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中東大戦争が近い?

2008年2月19日   田中 宇

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 2月12日深夜、シリアの首都ダマスカスで、イマド・ムグニヤ(イマド・ムグニエ)が暗殺された。ムグニヤは、シリアの隣国レバノンのシーア派政党(武装組織)ヒズボラの最高幹部の一人で、ヒズボラの対外軍事諜報部門の責任者を長くつとめていた。

 米イスラエルの諜報機関は、ムグニヤは最も手強いテロリストの一人であると考えてきた。話は米軍が初めてレバノンに大規模な進駐をした1980年代初めにさかのぼる。当時、ヨルダンやシリアからレバノンに大挙移動してきたパレスチナ人ゲリラがイスラエルにゲリラ戦を仕掛け、対抗してイスラエル軍がレバノンを侵攻し、米軍もイスラエルに引っ張られてレバノンに進駐した。だが米軍は、1983年にレバノンの首都ベイルートの海兵隊司令部が自爆テロで爆破され、米兵ら数百人が死んだ事件をきっかけに、レバノン進駐に消極的になり、撤退した。

 この海兵隊司令部の爆破テロを指揮したのが、まだ21歳だったヒズボラのムグニヤだった。米軍の撤退後、イスラエルはレバノン占領の泥沼に陥り、2年後にはレバノンの支配権をシリアが取り戻すことに渋々同意して撤退せざるを得なくなった(イスラエルはレバノン南部の国境地帯だけは支配した)。これ以来、ムグニヤはイスラエルの宿敵となり、戦いを挑まれたムグニヤはヒズボラの対外軍事諜報部門を発展させて対抗した。(関連記事

 イスラエルの撤退後、レバノンはシリアの覇権下で安定し、1992年にヒズボラは武装ゲリラ組織から政党へと発展した。レバノン南部の国境地帯でのイスラエルとの限定的戦闘以外の戦闘を放棄した。国際テロなど在外軍事行動を行っていたムグニヤの組織も、情報収集や政治工作だけを行う方針に、少なくとも表向きは転向した。しかしそれ以後も米イスラエルは、ムグニヤがアルカイダやイラクのテロ組織と連携していると警戒した。911事件が起きた直後には「ムグニヤの犯行かもしれない」「ムグニヤに比べたら、ビンラディンなど子供みたいなものだ」と指摘されている。(関連記事

▼イラン・シリア・ヒズボラ・ハマスの戦争会議をイスラエルが攻撃?

 ムグニヤは、爆殺される直前、ダマスカスの住宅街にあるビルにいた。このビルにはシリアの諜報機関と警察、それからイラン人子弟向けの学校が入居していると報じられている。シリアの諜報機関の事務所と同居していることから考えて、イラン系の施設は、表向きは学校として運営されているが、同時にイランの諜報機関の拠点の一つであると考えられる。つまりこのビルには、イランとシリアの諜報機関が入居していた。(関連記事

 ムグニヤは、このビルから出てきてしばらく歩いたところで、すぐ近くの車に仕掛けられた爆弾を遠隔制御で何者かに爆破され、殺された。犯人は、ムグニヤがビルから出てどこに行くか、行動を事前に把握し、歩行ルートのわきに爆弾入りの乗用車(三菱パジェロ)を何気なく駐車し、その無人のパジェロのダッシュボード内に仕込んだ爆弾を携帯電話などで遠隔制御して爆発できるようにして、ムグニヤがちょうど脇を通ったときに爆発させた。

 ムグニヤが爆殺された時、この諜報機関のビルには、パレスチナのガザを統治する過激派組織ハマスの指導者の一人であるハレド・マシャルがおり、シリア諜報機関との会議中だったと報じられている。マシャルは、ハマスの在外軍事諜報部門のトップとしてシリアに駐在し、イスラエルと戦う代理勢力として最近さかんにハマスを支援しているイランとの連絡や調整を担当してきた。(関連記事

 つまり、ヒズボラの諜報責任者であるムグニヤは、爆殺される直前まで、このビルの中で、シリアとイランの諜報機関の担当者、それからハマスの諜報責任者であるマシャルと会議をしていた。シリア・イラン・ヒズボラ・ハマスの諜報担当者が集まって会議をしたのなら、その議題は、イスラエルとの戦闘についてだった可能性が高い。この会議の翌日(2月13日)、イランのモッタキ外相がダマスカスを訪問したことから考えて、2月12日夜の担当者会議では、かなり重要な決定がなされたと考えられる。イランはここ1−2年、シリア・ヒズボラ・ハマスを傘下に入れ、イスラエルを潰す戦争を仕掛けようと企画している。(関連記事

 ムグニヤを爆殺したのは、イスラエルの諜報機関モサドである可能性が高い。後述するように、イスラエル政府の広報官は、イスラエル犯人説を完全には否定していない。また、イスラエルの諜報部員は、イスラエルの新聞(Yediot Aharonot)の記者に対し「(爆殺に使われた)パジェロは新車なので、もったいないことをした」と冗談的に述べている。イスラエルは、半分犯行を認めている。(関連記事

 これらを総合して考えると、2月12日夜にシリア・イラン・ヒズボラ・ハマスの諜報担当者が集まり、イスラエルとの戦争準備についての担当者レベルでの会議を行った。翌2月13日にはイランのモッタキ外相とシリアのアサド大統領らが会って、イスラエルとの戦争の準備について、何らかの正式な話を決めた。これらの動きを事前に知ったイスラエルのモサドは、先制攻撃的な対抗策として、ムグニヤを爆殺した。推測が多く含まれるものの、今回の事件の真相は以上のようなものだと私は考えている。イラン・シリア・ヒズボラ・ハマスは、会議でイスラエルとの戦争日程を立てた可能性もある。

▼戦争準備に入るヒズボラとイスラエル

 ムグニヤ暗殺の直後、ヒズボラは、イスラエルに対する報復を表明した。以前からレバノン南部にミサイル配備などをしてきたヒズボラは、暗殺後、5万人の予備兵に戦闘準備を命じ、イスラエル国境に近いレバノン南部に点在するヒズボラ管理の建物から一般市民を避難させるなど、レバノン南部でイスラエルと戦争する準備を開始した。イスラエル側では、ヒズボラが爆弾搭載の無人飛行機を飛ばして攻撃してくるのではないかと警戒し、パトリオット迎撃ミサイルを対レバノン国境近くに配備した。(関連記事その1その2

 イスラエルとヒズボラは、すでに一昨年(06年)夏、レバノン南部で約1カ月間の戦争を展開したが、勝敗がつかずに停戦している。06年夏の戦争のきっかけは、2人のイスラエル軍兵士がヒズボラに誘拐されたことで、イスラエルは停戦後、捕虜にされた兵士たちをヒズボラに解放させるべく画策してきたが、イスラエル政府はムグニヤ暗殺の4日後、兵士たちはすでに殺されていると結論づけ、解放工作をやめることを決めた。この決定によってイスラエルは、ヒズボラと交渉する必要がなくなり、ヒズボラとの再戦争に入れるようになった。イスラエル側もヒズボラとの再戦争を準備している。(関連記事

 06年夏の前回戦争は、イスラエル内の右派(軍幹部など)が戦線をレバノンからシリア、イランへと拡大することを模索したため、イスラエル内の中道派(リブニ外相ら)が戦線拡大を阻止するために、国連などを動かして停戦に持ち込んだ経緯がある。イスラエルが再びヒズボラと戦争したら、シリアやイランとも戦争になる可能性が大きい。間にあるイラクや、イスラエル周辺のパレスチナでも戦闘が激化し、中東大戦争に発展するおそれがある。(関連記事

 ヒズボラは1992年の政党化以来、レバノン国外での軍事行動を自粛してきた。だが今回、イスラエルがダマスカスというレバノン国外でムグニヤを暗殺したため、ヒズボラは正当防衛のために自粛を解除せざるを得ないと表明している。米イスラエル当局はこの表明を受けて「ヒズボラは再び欧米などのレバノン国外でテロをやるかもしれない」と言っている。(関連記事

 今後、欧米でヒズボラの犯行とされる大規模テロがあるかもしれない。しかし、ヒズボラが欧米でテロをやって最も得をするのは、ヒズボラ自身ではなく、ヒズボラとの再戦争の際に欧米を味方につけられるイスラエルの方である。ヒズボラの犯行に見せかけた、イスラエルによる自作自演のテロがあるかもしれない。(関連記事

▼暗殺犯はパレスチナ人?

 ムグニヤ暗殺後、シリア政府は、暗殺に関連した疑いで複数の容疑者を拘束して取り調べており、容疑者たちは一般市民ではなく、アラブ諸国で活動する諜報機関の要員だとヒズボラ系の新聞が報じている。また、容疑者の多くはシリア在住のパレスチナ人であるという指摘もある。(関連記事

 これらの指摘からは、ムグニヤを暗殺したのはパレスチナ自治政府(ファタハ)の要員であるかのようにも感じられるが、状況はそんなに単純ではない。シリア在住のパレスチナ人の中には、シリア政府やイラン、ヒズボラ、パレスチナ各派の諜報活動に協力している者が多いが、その中にはイスラエルにも情報を流している二重スパイがかなりいる。パレスチナ人はイスラエル占領下から逃げてきた難民であり、生活苦から二重スパイ稼業で生計を立てる者が出てくる。

 シリア政府は第3次中東戦争でイスラエルに負けて以来、中東各地の反イスラエル勢力がダマスカスに拠点を設けることに寛容だが、その勢力の中にイスラエルとの二重スパイが混じった。シリア自身の諜報機関もイスラエルに入り込まれている。

 ヒズボラが「ムグニヤを殺したのはイスラエルだ」と言っているのに対し、欧米マスコミの多くは「イスラエル政府は否定している」と書いている。だが、イスラエル右派(ネオコン)に近いウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は「イスラエル政府の広報官は、ヒズボラからの非難を拒絶すると言っているだけで、ムグニヤ暗殺そのものを否定しているわけではない」と指摘している。(関連記事

 これは、イスラエル右派=ネオコン系のWSJならではの指摘である。というのは、イスラエルの右派とアメリカのネオコンは、イスラエルとヒズボラを戦争させたいと考えて策略を展開し続けてきたからである。

▼イランを強化する米イスラエル右派の自滅策

 イスラエルとヒズボラの再戦争は、シリア、イランを巻き込んだ時点で、米イスラエル対イスラム世界(北アフリカからパキスタンまで)の戦争へと発展し、イスラエル国家の終焉と、米英の中東覇権の崩壊で終わる事態になりかねない。イスラエル右派と米ネオコンという強硬派シオニストと、この2つと結びついているブッシュ政権は、その可能性を知りつつ、事態を戦争の方向に進めており、自滅的である。(関連記事その1その2

 中東大戦争を起こしたい勢力は、米ネオコンとイスラエル右派のほかに、アハマディネジャド大統領らイラン上層部の強硬派勢力がいる。イラン上層部は、シリアやヒズボラ、ガザのハマス、イラクのシーア派などを傘下に入れ、それらを総動員してイスラエルを潰し、米軍を中東から追い出して、中東におけるイランの覇権を急拡大しようとしている。米ネオコンとイスラエル右派は、イランをことさらに敵視することで、逆にイランを強化し、事態を戦争に近づけている。(関連記事

 シリア政府や、ヒズボラやハマス、イラクのシーア派、アフガニスタンのタリバンなどは、アメリカと和解できるものなら和解したいと考えてきた。だが、ネオコン系の米ブッシュ政権は、和解を強く拒否し、これらの勢力をイランの側に追いやっている。(関連記事

 イスラエル政界では、右派(占領地入植者)以外の勢力(中道派)は、イスラム側と戦争したら破滅だと気づき、何とか戦争を止めて、逆にパレスチナ人やシリア、アラブ諸国との和解を進めて緊張緩和しようと努力してきた。イスラエル政府では、オルメルト首相が優柔不断なので、中道派のリブニ外相がオルメルトを脅したり励ましたりしつつ操作し、和平を進めようとしてきたが、至るところでブッシュ政権や国内右派からの妨害を受け、和解は不能になっている。

 たとえば、ブッシュ政権は昨年末からシリア敵視を一段と強め、ムグニヤ暗殺の翌日には、対シリア制裁を強化した。シリアは、アメリカが敵視を解いてくれるなら、イスラエル中道派が呼びかけた和解交渉に乗りたいと言ってきたが、アメリカは逆にシリア敵視を強め、シリアとイスラエルの和解を阻止した。イスラエルとパレスチナが和解交渉を進めるたびに、米政府のライス国務長官らがお節介にやってきて、話を潰して帰る。(関連記事

 リブニはオルメルトを動かし、聖都エルサレムを二分して東半分をパレスチナ国家の首都にしてやる件(以前からの国連案)を進めようとしたが、連立政権内の右派の猛反対を受け、オルメルトはエルサレム分割問題を棚上げした。「棚上げなんかしない」と言っているリブニは、オルメルトに外された観がある。しかもその間にも、イスラエル住宅省を乗っ取っている右派は、東エルサレム市域内のハルホマ入植地にどんどん新しいユダヤ人用住宅を建設し、エルサレム分割を着々と不可能にしている。(関連記事その1その2

 米イスラエルの右派が、和平を阻止し、戦争を扇動し、イランを敵視しすぎて強化した結果、ヒズボラ、シリア、ハマスは完全にイランに取り込まれ、もともと親米反イランだったエジプトやサウジアラビアはイランを容認する姿勢を強めている。

▼ガザのハマスとの戦争も近づく

 イスラエルが直面する戦争相手はヒズボラだけでなく、ガザのハマスもいる。ハマスはスンニ派イスラム過激派だが、今ではすっかりシーア派過激派であるイランの傘下におり、軍事援助を受けている。先日、約10日間にわたってガザとエジプトの間の国境の壁が崩壊したときに、かなりの武器がガザに搬入され、イスラエルとの戦争準備が急速に進んだはずである。(関連記事

 ハマスは以前から、イスラエルに向けて短距離ロケットを撃ち込み続けている。イスラエル側の死者は非常に少ないが、イスラエル右派はオルメルト政権に対し、ガザに侵攻してロケット発射を止めろと要求し、イスラエルの世論を好戦的な方向に扇動している。オルメルトは先日ドイツを訪問したが、その目的の一つは、イスラエルのガザ侵攻に対する支持をEUから取り付けることだったと報じられている。ドイツは「ホロコースト」の負い目があるので、イスラエルの要請(脅し)に弱い。(関連記事

 こうしたイスラエル側の動きからすると、イスラエル軍のガザ侵攻は近いと感じられる。イスラエルの専門家の間からは「ガザ侵攻は自滅だからやめろ」という強い主張が噴出しているが、これは逆に見ると、ガザ侵攻がそれだけ近いことを示している。イスラエル中道派が粘って今後また巻き返す可能性もあるが、それがない場合、イスラエルは1カ月以内にガザに侵攻する(侵攻がない場合は、イスラエル中道派が粘っているということだ)。(関連記事

 ガザのハマスとレバノンのヒズボラは、今ではイラン傘下で同盟関係にあるので、イスラエルがガザに侵攻したら、ヒズボラもイスラエルに戦争を仕掛け、イスラエルは南北2正面の戦争に突入する。もしくは逆に、ヒズボラとイスラエルの戦争が先に始まり、ガザのハマスが呼応してイスラエルへの攻撃を強め、2正面の戦争になる展開もあり得る。

 戦争が始まると、イスラエルとパレスチナの両方が好戦的な方向に引っ張られる。パレスチナ社会で、イスラエルと和平交渉するために存続を許されてきた西岸のパレスチナ自治政府(ファタハ)は、好戦的な雰囲気の高まりの中で崩壊し、西岸もハマスの支配下に入るだろう。戦争が続くと、ガザと西岸からイスラエル側に越境攻撃するパレスチナ人が増え、しだいにイスラエル国内が戦場になる。

▼反米反イスラエルに傾くアラブ

 イスラエルがハマスやヒズボラとだけ戦っている間は、国家間の戦争ではない。従来から繰り返されてきたことでもあり、国際的な衝撃は比較的小さい。しかし開戦後、ヒズボラはシリアやイランから武器供給を受け、ハマスはエジプト(シナイ半島)から武器を搬入し続けるだろうから、イスラエルはシリアやイラン、シナイ半島を空爆する必要に迫られる。特にシリアとイランは従来からイスラエルの敵なので、戦争が拡大する可能性が高い。イスラエルが、シリアやイランを攻撃したとたんに、この戦争は中東全域を巻き込む。

 シリアはアラブ連盟の一つの国なので、アラブ諸国は全体としてイスラエル敵視を強める。従来なら、アラブ諸国の中でも親米国であるサウジアラビアやエジプトは、反米国であるシリアに冷淡だったが、ここ数年、米軍イラクの失敗を機に、アラブ諸国は反米反イスラエルのイスラム主義の傾向を強めている。アラブ諸国では、シリアやヒズボラ、ハマスを見殺しにするなという世論が高まる。アラブはイランとも接近する。

 アラブが反イスラエルになる半面、米議会はイスラエル支持決議をするだろうから、アメリカとアラブの敵対が強まる。状況は、1970年代の第4次中東戦争時、アラブがアメリカなどへの石油輸出を禁じ、石油危機が起きた時に似てくる。

 中東産油国をめぐる政治状況の変化に合わせるかのように、経済状況も激変している。以前の記事に書いたように、サウジなどペルシャ湾岸産油国6カ国(GCC)の通貨は、為替がドルに連動(ペッグ)しているが、アメリカが不況に近づき米連銀(FRB)が利下げを繰り返すほど、世界的なインフレが湾岸産油国を襲い、ペッグを維持しにくい状況が加速している。GCCでは通貨のドルペッグをやめるべきだという議論が強まっている。(関連記事

▼OPECのドル離脱という石油危機の可能性

 加えて世界の産油国の集まりであるOPECでは、これまでドル建てだった石油の国際価格を、ユーロもしくはドルペッグをやめた後のGCCの通貨で表記する形式に変更すべきだという主張が強まっている。この主張は、昨年末のOPECサミットで、イランとベネズエラという反米的な2カ国によって初めて主張され、当初は反米主義に基づく非現実的な極論と思われていた。だがその後、アメリカの金融危機の深化で、ドルの潜在的な信用不安が拡大するにつれ、急速に現実味を帯びてきた。(関連記事

 2月上旬には、OPECの事務局長(Abdullah al-Badri)が「10年以内に」という限定をつけつつも「ドルの下落が続いているので、石油価格をドル建てからユーロ建てに変えざるを得なくなるかもしれない」と表明した。OPECでは近く、各国の財務相が集まり、石油のドル建て表示をやめることについて改めて会議を開く予定があるとも報じられている。(関連記事その1その2

 アメリカではサブプライムの住宅ローン破綻が、高リスク債券市場全体の崩壊を誘発し、先週は地方公共団体が発行する債券の売れ行きが急に落ち、各州政府などがパニックに陥った。45兆ドルの高リスク債の債務保証を行ってきたモノライン保険が業界ごと崩壊しそうにもなっている。金融危機を回避しようと、米連銀はドルの大増刷と利下げを続けており、ドルの信用不安は今後さらにひどくなることは必至だ。(関連記事

 経済的な事態は、GCCは通貨のドルペッグをやめざるを得なくなり、OPECは石油のドル建て表記をやめざるを得なくなる方向に進んでいる。そして、イスラエルとイスラム諸国との戦争が起きたら、GCCやOPECは政治的にもドル離れを画策するようになる。中東大戦争が今夏までに起きたら、ドル危機のタイミングと合致するので、GCCとOPECによるドル離れという「石油危機」が発生する可能性が高い。石油価格の高騰と、ドルの下落が起きる。

▼イランの背後にプーチンのロシア

 イランは2月17日、一昨年あたりから構想されつつ何度も延期されてきた、石油製品取引所を、ペルシャ湾岸のキシュ島に開設した。この取引所の目的は、ドル以外の通貨で石油製品を取引することで、イラン政府の反米戦略の一つである。(関連記事

 イランは米イスラエルとの戦争と、アラブ諸国を親イラン的なイスラム主義の方向に持っていく政治戦略に加え、アラブなど世界の産油国を巻き込んだドル潰しの経済戦争という、軍事・政治・経済の全面で、米英イスラエル中心体制への挑戦を行っている。これまで何回も延期されてきたこの取引所の開設を、イラン政府が今回のタイミングで行ったことの意味は、間もなく始まりそうな中東大戦争と合わせ、イランが戦いに打って出る時が来たと考えているということだ。イランの盟友であるベネズエラも、アメリカとの「経済戦争」に言及している。(関連記事

 これはイランだけで構想したものではなく、裏に黒幕としてプーチン政権のロシアがおり、中国なども巻き込んだ、世界的な覇権構造の転換戦略となっている。イランは、新設した石油製品取引所の中心的な取引通貨の一つにロシアのルーブルを据え、ロシアと組んでドル本位制に挑戦する。(関連記事その1その2

 従来は、イランとロシアが組んでも経済面でアメリカに勝てる見込みはなかったが、米金融とドルの危機が急拡大する今後は、どうなるかわからない。ブッシュ政権など、米イスラエルの右派が、自陣営の自滅と敵陣の強化を推進する隠れ多極主義者であることが、イランやロシアにとって大きな有利となっている。

▼戦争になるかどうかの瀬戸際

 イスラエルがイランを攻撃する場合、核兵器を使う恐れがある。イスラエルは400発の核爆弾を持っている。イスラエル右派と米ネオコンは、イスラエルがイランを核攻撃することを以前から扇動している。核兵器を使ったら、イスラエルは恒久的にイスラム諸国の敵となり、イスラエルが国家消滅するまで戦争が続くだろう(だから使わないとも考えられる)。(関連記事

 イスラエルがイランを攻撃したら、イランは報復としてイラクの米軍を攻撃する(イラクの親イランのシーア派武装勢力に米軍を攻撃させる)と表明しており、アメリカとイランの戦争に発展する可能性が出てくる。イラク駐留米軍の唯一の地上補給路はインド洋からイラン正面のホルムズ海峡を通るルートなので、イランがホルムズ海峡を封鎖する可能性も高まる。

 中東の米軍動向に詳しい、元CIA(国連査察官)で今は反戦運動家のスコット・リッターは最近、中東地域での米軍の軍備増強は今春3−4月に一つの頂点に達するので、その時にアメリカがイランを攻撃する可能性が80%あると述べている。(関連記事

 ブッシュ政権自身は最近、イラン核開発疑惑やイラク情勢をめぐって、イランに対して譲歩したり緊張緩和したりする姿勢を続けている。だから今春、米軍の方から戦いを仕掛けてイランを空爆する可能性は低いと考えられる。だが半面、米政権は以前からイスラエルにイランを攻撃させようと様々な誘導行為を行ってきた。そのことから考えて、イスラエルがイランを攻撃し、それにアメリカが巻き込まれる形で米イラン間も戦争になる展開なら、米政権は乗っていくと考えられる。その準備として、米軍が中東での軍備増強をしている可能性はある。

 イスラエルがヒズボラやハマスと戦争になり、それがシリアやイランとの戦争に拡大したら、米軍も巻き込まれ、今春から今夏までの間に中東大戦争になるだろう。パキスタンのイスラム主義化、アフガニスタンのタリバン再台頭とNATO撤退、トルコのイスラム化加速、ヨルダンとエジプトのイスラム主義化(下手をすると政権崩壊)などがあり得る。

 アメリカでは来年1月から次の政権になる。今の選挙戦の趨勢が続くと民主党政権ができる可能性が高い。今政権中に中東大戦争が起こり、次期政権が民主党になったら、大戦争を終わらせるためアメリカは、イラクからの撤退、イランやシリアとの和解、ハマスやヒズボラの容認などをやり得る。アメリカは中東での覇権を減退し、代わりにサウジとイランとエジプトとトルコあたりによる自律的・協調的な中東運営に移行するかもしれない。従来、これらのイスラム諸国どうしの対立を仕掛けてきたのは米英であり、米英が中東から出て行くと、中東内部の対立は解消される。

 中東大戦争が一段落した後、欧米は、イスラエルをアラブ側と和解させ、第3次中東戦争前の国境線の国としてイスラエルを存続させる外交努力を行うかもしれないが、いったん大戦争になったら、アラブとイスラエルの和解は非常に難しくなる。アラブ側にとっては、イスラエルを存続させず、一気に潰してしまった方が安心できるからだ。欧米諸国やロシアで、イスラエルから戻ってくるユダヤ人の受け入れ態勢を作る必要が出てくる。

 今回、書いたことの多くは、従来の国際政治の常識からすると「とんでもないこと」「あり得ないこと」である。しかし、イスラエルがシリアやイランに戦争を仕掛けたら、この通りにならないとしても、とんでもないことが起こりうる。逆にこれまでのように、リブニ外相らイスラエル中枢の中道派が粘って、シリアやイランとの戦争突入を抑止している限り、米イスラエルの右派が挑発し続けても、大したことは起こらない。何が起きるか、今後の推移を見ながら、その都度の分析記事を書き続けることにする。



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