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石油高騰の謎(2)

2008年7月19日   田中 宇

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 ここしばらく、米政界では、高騰を続ける原油価格を下落させようとする動きと、いっそう高騰させようとする動きが交錯し、鎮静派と高騰派とが暗闘していたように見える。

 原油価格高騰の原因は、需給の逼迫ではない。今年1−3月、世界の原油生産量は2・5%増えたが、需要量は2%しか伸びていない。ブッシュ大統領は6月、サウジアラビアを訪問した際、サウジに原油生産増を要請した。サウジ政府はブッシュに「わが国が増産しても、買い手はいませんよ。高騰の原因は需給逼迫ではありません」と言ったものの、ブッシュのたっての望みということで、一度の増産量として過去最大の日産20万バレルの増産をおこなった。(関連記事その1その2

 しかし、増産でサウジが出せたのは高品質ではない原油だったため、中国や日本などアジア方面の精油所の中には、購入を断るところが相次いだ。消費者であるアジア諸国が質の良い原油しか買いたがらないことは、原油の需給が逼迫していないことを象徴している。「中国やインドの需要増が値上がりの原因」「OPECの増産拒否が原因」という見方は間違っている。(関連記事

 現物市場で需給の逼迫が起きていないのに、原油価格が高騰している理由としては、先物市場(ニューヨークとロンドンにあるWTI石油先物市場)において買いが殺到していることが考えられる。WTI先物市場には、現物受け渡しなしの金融投機が許されるようになった2006年以来、900億ドルの資金が流入しており、1億ドル流入するごとに1・6%の相場上昇要因になると指摘されている。(関連記事その1その2

 昨夏以来のアメリカの金融危機は、原油価格の高騰が元凶である。2002年からの原油高騰の結果、米経済ではインフレが激化し、米連銀は05年から金利を上げざるを得なくなり、変動金利型のサブプライム住宅ローンの破綻が相次ぎ、昨夏の金融危機となった。金融危機後、連銀は利下げに転じたが、これはインフレを悪化させ、原油価格の高騰が加速し、高騰は穀物や貴金属にも飛び火した。

 連銀内では、インフレ抑制を重視し、利上げに転じるべきだと主張する勢力と、利上げは金融機関を減益にして金融危機を悪化させるとして反対する勢力の間で論争が続いたが、6月は利上げ反対派が勝ち、利上げが見送られた。インフレ抑制策が見送られ、原油や穀物、貴金属の値上がり持続は間違いないと見た投資家は先物買いに殺到し、原油価格の高騰に拍車がかかった。(関連記事

 米政界では、原油先物相場に対する投機の動きを規制して、原油価格の高騰を沈静化しようとする動きが広がり、6月17日から米議会下院で、原油先物投機についての調査が開始された。これが、鎮静派の動きである。議会が原油先物投機を規制できれば、原油価格は1バレル135ドルから70ドルへと急落するだろうと、分析者は指摘していた。(関連記事その1その2

▼イスラエルとイランの「軍事演習」

 ところが実際には、その後も原油は値上がりし続けた。原油先物規制に乗り出す動きに対抗するかのように、米議会下院では6月中旬、イラン制裁新法の審議が本格化した。イランが核開発(ウラン濃縮)をやめない場合、イランを海上封鎖することを大統領に求めることを含む法律(決議)で、海上封鎖は宣戦布告と同義である。イスラエル右派の政治圧力団体AIPACの強い圧力を受け、ほとんどの議員が賛同していた。(関連記事

 6月20日には、イスラエル空軍が6月上旬に、地中海上空で100機以上の戦闘機(F16など)が参加し、空中給油を含む長距離飛行の訓練を行ったことが明らかになった。訓練飛行の距離が、イスラエルからイランのナタンズ核施設までとほぼ同じ900マイルだったため、ナタンズを空爆するための訓練に違いないと報じられた。(関連記事その1その2

 イスラエルと一緒に飛行訓練をしたギリシャ政府は「イスラエル空軍機がイランを空爆するには、探知されないような低空飛行が必要だが、今回の訓練は高い高度で行っている。イラン空爆の訓練ではない」と否定した。しかし、マスコミの世界では、米議会はイランとの戦争決議を審議し、イスラエルはイラン空爆の訓練を行い、いよいよイランとの戦争が始まりそうだ、とする報道が広がった。(関連記事その1その2

 イランは「ウラン濃縮はやめない」と改めて表明し、イラン軍の司令官は6月末「われわれのミサイルは、十分イスラエルまで届く」と警告した。(関連記事

 原油先物相場は、上昇を続けた。米イスラエルから攻撃されたイランが報復し、世界の石油の2割がタンカーで通航するホルムズ海峡や、ペルシャ湾対岸のアラブ諸国の油田も反撃によって破壊され、原油は300ドル以上になるとの予測も出た。(関連記事その1その2

 7月9−10日には、イラン軍がミサイル演習を実施した。この演習を受けて原油相場はさらに上昇し、7月11日には、WTI原油は史上最高値を更新し、1バレル147ドル台まで上昇した。(関連記事

 実際には、イラン軍の演習は「張り子の虎」だった。1日目にイラン政府は、4発のミサイルの発射直後の写真を発表したが、実際の発射は3発で、のこりの写真上の1発はフォトショップ(画像処理ソフトウェア)でコピーによって加筆されたものと判明した。2日目は1発しか発射せず、しかも2日とも発射したのは古い型のミサイルだけだった。(関連記事

▼和解姿勢に急転向したアメリカ

 6月初旬から7月10日ごろにかけて、米イスラエルがイランに侵攻しそうな感じは強まり続けた。しかしその後、本日にかけての約1週間は、アメリカがイランと和解しそうな兆候が急速に強まっている。7月16日には、これまで国連(安保理5カ国+ドイツ。P5+1)とイランとの核問題をめぐる交渉に参加することを拒否していた米政府が、態度を一転させ、7月19日にジュネーブで行われるP5+1とイランとの核交渉に、初めて高官(バーンズ国務次官)を出席させると表明した。(関連記事

 米政府はこれまで「イランがウラン濃縮を止めない限り、P5+1とイランとの交渉に参加しない」と言い続けてきた。イランは現在まで「ウラン濃縮はすべてのIAEA加盟国に認められた権利であり、交渉前に濃縮を止めろという要求は不当だ。交渉の中で、見返りをやるから濃縮を止めてくれとP5+1の側が提案するなら、検討しても良い」と言い、ウラン濃縮を続けている。

 米政府は、バーンズ国務次官はP5+1の交渉に同席するものの「傍聴」であって「参加」ではなく、次回の交渉1回限りのことであり、米政府としての態度の変更ではないと釈明している。この釈明は、米政界内の好戦派を煙に巻くための詭弁とも思える。(関連記事

 7月18日には、英ガーディアン紙が、米政府はイランの首都テヘランで、28年ぶりに外交代表部(事実上の大使館)を再開すると来月に発表することに決めた、と報じた。(関連記事

 テヘランのアメリカ大使館を再開することを国務省が検討している、という記事は、6月下旬にはすでに出ていたが、真偽のほどがわからない話で、イラン政府は「欺瞞的な話にすぎない」と一蹴していた。(関連記事その1その2

 今回のガーディアンの記事も、真偽は怪しいものがあるが、確定的であるバーンズ米国務次官の交渉出席の話と同時期に出たことによって「ブッシュ政権は、北朝鮮に対して強硬策から和解策に戦略を一転したように、イランに対しても和解策に転じた」とマスコミに思わせる効果を持った。米政府がイランと和解する戦略に転換した、との見方から、原油相場は7月15日から3日間、一気に下落を続け、3日で16ドル下落した。米議会で原油先物投機を規制する審議が始まった、6月初旬の水準まで戻った。(関連記事

▼イランの石油利権はBRICへ

 現時点では、イランをめぐる緊張度は下がり、原油相場も下落しているが、この傾向が今後も続くかどうかわからない。先行きは不透明だが、一つはっきりしている傾向がある。それは、米欧がイランを制裁している間に、イランの石油ガスの利権が、米欧企業から、ロシアや中国、インドなどBRIC諸国の国有企業へと移転し続けていることだ。

 イランの石油ガス利権について、欧米勢では唯一、フランスのトタール社が、巨大なサウスパース・ガス田の開発に参画してきた。だがトタールは7月9日、イランに投資することは非常に危険だと思える状態になったので、イランからは手を引くと表明した。(関連記事

 その一方、3日後の7月13日には、ロシアのガスプロム社が、イランのガス田開発、ガス・パイプラインの建設などの包括的な開発契約をイラン側と締結した。トタールが手放した利権をガスプロムが得たわけではないが、フランス勢が出ていき、ロシア勢が拡大した観は強い。(関連記事

 そして、仏露交代の一連の動きがあった直後の7月16日、米政府はイランとの核交渉に国務次官を出席させることを決め、テヘランの米大使館の再開話まで出てきて、フランス勢が恐れていた緊張関係は一気に低下した。トタールは7月13日になって、イランのガス田開発から撤退するつもりはない、と言い直した。(関連記事

 6月から7月にかけて、イランが米イスラエルに攻撃されそうだという見通しが強まる中、中国はイランとガス田開発について交渉を続け、インドはイランからパキスタン経由でインドまでガスを運ぶIPIパイプラインの建設計画について話を進めている。(関連記事

 ロシアのガスプロムは、イランのほか、北アフリカのリビアとも、リビアが輸出可能な天然ガスの全量を購入していく契約を結んだ。スーダンやナイジェリアでも、旧宗主国のイギリスが、人権侵害を理由に制裁する姿勢を続けている間に、中国の石油ガス会社が入ってきて利権を取られ、アメリカがイギリスに味方して強硬姿勢でスーダンやナイジェリアの政府を威嚇するほど、これらの政府は中国に頼る傾向を強める状況にある。(関連記事

 イギリスは、ナイジェリアへの軍事介入(ナイジェリア軍の訓練)を検討しているが、これはすでにイラクとアフガンで過剰派兵状態にあるイギリス軍に新たな泥沼を与え、自滅させてしまうと英国内から批判されている。英米が自滅的な好戦策から抜け出せない間に、中国やロシアなどが、どんどん石油ガス、インフラ整備、商品の売り込みなどのビジネス利権を拡大している。(関連記事

▼高騰派はチェイニーら

 イランやスーダンなどの状況に共通しているのは、米英が制裁の根拠としている「核問題」や「人権問題」の根拠に胡散臭さがあり、米英は胡散臭い言いがかりに基づく経済制裁を、軍事制裁(侵攻)にまで強めているがために、イランなどより米英の方が「悪」だという状況を作ってしまっていることだ。イランより米英の方が悪なのだから、ロシアや中国が、米英の制止を無視してイランと石油ガス開発の契約をしても、全く悪いことではない、という話になる。

 国連のIAEA(国際原子力機関)によると、イランのウラン濃縮は、核燃料を作るための低濃度に限定されており、高濃度の核兵器開発を行っている兆候はない。米イスラエルが「イランが核開発をやめないなら空爆も辞さない」と言っているのは濡れ衣である。

 善悪問題ではなく「力」の問題としても、世界最強だった米軍は、イラクとアフガンで占領の泥沼に陥って過剰派兵状態で、イランを軍事占領することは不可能だ。イランが空爆されれば、イスラム世界はイラン支持を強め、米軍はイラクから追い出され、イスラエルは自国近隣のヒズボラ、ハマスといったイラン系勢力とのゲリラ戦の泥沼で消滅する可能性が高まる。

 米イスラエルによるイラン侵攻を主張しているのは、米チェイニー副大統領とネオコン、AIPACなどイスラエル系右派、イスラエルの右派野党リクードなどの好戦派である。今にもイラン侵攻を挙行しそうな勢いの話を米英マスコミに流し、原油価格をつり上げてきた「高騰派」は、彼らである。

 原油価格の高騰は、世界的なインフレを引き起こし、世界経済に非常に悪い影響を与えている。アメリカだけでなく、中国やインドなども高インフレに悩んでいるが、最終的には、ドルを基軸通貨として使い続けることの利得を失わせ、ドルに対する国際信用を失墜させる。(関連記事

 私はチェイニーについて、これまでの記事の中で、しばしば「隠れ多極主義者」の中心的人物とみなしてきた。今回の石油高騰の話も、チェイニーが隠れ多極主義者であると考えると、納得できる行為である。読者の多くに、この納得を共有してもらうには、これまで何回か試みてきた「多極化」についての分析をしなければならないのだが、それは長くなってしまいそうなので、改めて書くことにする。(関連記事

【続く】



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