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世界的な政治覚醒を扇るアメリカ

2008年12月24日   田中 宇

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 民主党の外交戦略家の重鎮で、オバマ新大統領の外交顧問をしてきたズビグニュー・ブレジンスキーが、12月16日に興味深い論文を発表した。「世界的な政治覚醒」(The global political awakening)という題名で、米国が指導力を失う中、環境・社会・経済などの分野で起きる世界的な問題に対する論争が活発化し、世界的な政治覚醒が起きると予測している。

 ブレジンスキーは、次のように書いている。「歴史上初めて、人類のほとんど全員が、政治的に活発になり、政治的に覚醒し、政治的に相互連携する」「世界的な政治活動によって、これまで植民地支配や帝国的支配によって抑制されてきた、文化的な尊厳や経済成長の機会を求める動きが、世界的に勃興するだろう」「これまで500年間、世界の中心は大西洋諸国(欧米)だったが、中国と日本の新たな台頭によって、その状態は終わる。その次にはインドやロシアも勃興するかもしれない」(関連記事

 ブレジンスキーは、以前から「世界的な政治覚醒」という言葉を、予測として発し続けてきた。彼が2003年に出した「孤独な帝国アメリカ」(原題:The Choice)という本にも、同じ分析が出ている(同書の日本語訳の解説は私が書いた)。今回も、以前と同じ予測の繰り返しだ。

 しかし今回、彼の言葉に特に重みがあるのは、彼がオバマの顧問であるということに加えて、来年にかけて世界では、米国の覇権衰退や欧米中心体制の崩壊、イスラム世界や中南米などでの反米的な政治運動の盛り上がり、米国や世界各地での暴動などが予測され、世界的な政治覚醒が起こりそうな感じが現実的に強まっているためだ。

 すでにギリシャでは反政府暴動が起こり、その動きはフランスやイタリア、スペイン、デンマーク、スウェーデンなど、欧州各国に拡大した。欧州では金融危機による年金制度の破綻も始まりそうで、西欧諸国の自慢だった高福祉の社会保障体制は崩壊に瀕している。欧州の政治不安や暴動は、今後も拡大していきそうだ。(関連記事

 ブレジンスキーの今回の論文を読んで私が感じたのは「オバマ政権はブッシュ政権と同様、隠れ多極主義を採るのではないか」ということだ。以前の記事「覇権の起源・ロシアと英米」に書いたように、100年前にニューヨークの資本家たちは、ロシア革命や中国革命を支援し、世界各地の植民地の人々を政治的に覚醒させ、世界各地のナショナリズムを勃興させて新たな国民国家を無数に作り、世界中に産業革命を拡散させて、世界的な経済成長を誘発しようとしたふしがある。この歴史観は私の仮説にすぎなかったのだが、ブレジンスキーの論文「世界的な政治覚醒」では、私の仮説とだいたい同じ筋のものが、客観的な予測を装った現実の戦略として描かれている。

 多極化の目的は、ブレジンスキーも書いているように「植民地支配や帝国的支配によって抑制されてきた、文化的な尊厳や経済成長の機会を求める動きが、世界的に勃興する」ことだ。経済的には、これまで宗主国や欧米によって経済成長を抑制され、産業革命前の状態に置かれてきた発展途上国が、政治的覚醒によってナショナリズムに基づいた産業革命や高度経済成長を実現できる。ゴールドマンサックスが予測していた「2020年に世界の中産階級が20億人に急増する」という、国際資本家にとっての夢の実現である。(関連記事

 また多極化は、国際政治的には、軍産英複合体が、英米イスラエル中心の世界体制を維持するため、諜報力を駆使して世界中を不安定にして、各地で戦争を誘発してきたこの50年間の悪弊を止め、世界を安定させる。多くの日本人は、英米ではなく、中露やイスラム主義こそ世界を不安定にすると思っているが、これは冷戦型のプロパガンダを軽信した結果の、非現実的な概念である。国際情勢を詳細に見ていくと、世界を不安定化する戦略を展開しているのは、多くの場合、英米イスラエルであるとわかる。英米イスラエルの挑発がなければ、反米イスラム主義は勃興しなかった。

▼MGI論文との類似性

 ブレジンスキー論文が表向き掲げているのは、多極主義ではなく、その反対側にある米欧中心主義(国際協調主義)である。「今後も米国は、国際システムの根幹に位置せねばならない。この役目は、米国以外の国では代替できない。米国が世界を主導しなければ、世界は立ち直らない。混乱するだけだ」といった、従来からのブレジンスキーの、傲慢ともいえる選民思想的な「世界を主導できるのは米国だけだ」という主張が、この論文にも出てくる。

 同じ姿勢は、前回の記事で紹介したMGI報告書にも出てくる。ブレジンスキー自身はMGI報告書の作成者には名を連ねていないが、報告書作成を主導したマデレーン・オルブライトはブレジンスキーの弟子である。(関連記事

 しかしその一方でブレジンスキー論文は、多極化を容認している点でも、MGI論文と一致している。「G8は時代遅れ。G16や、地政学的に重要な経済大国(つまりBRIC)による協調が重要だ。米、欧州(英独仏)、中国、日本、ロシア、インドといった主要国の指導者が、非公式な対話を通じて協調を深める必要がある」「今の唯一の超大国である米国の大統領と、次の世界大国となりそうな中国の指導者が、世界を導く責任感を共有することが大事だ」とブレジンスキーは書いている。

 この論文は、英国のチャタムハウス(王立国際問題研究所)での講演をもとにしているので、欧州が「英独仏」の3カ国で表されているが、ブレジンスキーは1997年のフォーリンアフェアーズに書いた論文では、欧州統合の推進を支持するとともに、欧州統合の中心は独仏であると書いている。(関連記事

▼バルカン、中東、中央アジアの覚醒が重要

 FT紙のコラムニストであるフィリップ・スティーブンスも、彼は「政治的な覚醒が国際社会の形勢を作り替える」(A political awakening that recasts the global landscape)と題する記事で「インターネットや衛星放送に触発され、国家の枠組みを超えた、欧米以外の地域の人々の覚醒が起きている」「今の世界が混乱して見えるのは、われわれの価値観が以前のものだからだ」と書いている。彼は、民主党のブレジンスキーと双璧をなす米共和党の戦略家であるブレント・スコウクロフトの言葉を借りて「これまで国家としては弱い地域だったバルカン、中東、中央アジアなどの人々が覚醒することで、これらの地域が強くなり始めている」と書いている。スコウクロフトは、MGI報告書の作成に参加している。

 ここで語られていることは「多極化」と比類して語られることが多い「無極化」の現象である。しかし、無極化を語る分析は多くの場合、中国やロシア、イスラム世界などの台頭という多極化の要素が包含されている。中南米の反米勢力やイスラム世界の人々の結束強化は、無極化でもあるし多極化でもある。従来の欧米中心体制ではない世界秩序ができうるという点で、多極化と無極化は、同じ方向の動きである。そして米国では、民主党のブレジンスキーも共和党のスコウクロフトも、この動きをポジティブにとらえている。これは、超党派のオバマ政権の姿勢になるだろう。

 オバマ政権が「隠れ多極主義」であるとしたら、今後も米国は表向き単独覇権的な姿勢を採り、世界の反米感情を扇動し、ロシアやイスラム世界や中南米諸国を挑発しつつ、世界の政治経済体制を多極化へと誘導するだろう。

 ブレジンスキーの戦略はオバマ政権の戦略になる可能性が高いので、今回の論文の中身を詳しく見ていくと、イランとは無条件で交渉を開始すべきで、アフガニスタンのタリバン内部の穏健派とも交渉した方が良いと書いている。パレスチナ問題は最重要課題であり、非武装のパレスチナ人国家を創設し、イスラエルとの国境はNATO軍に警備させる。イスラエルはエルサレム分割を認める代わりに、エルサレム近郊のいくつかの入植地はイスラエル側に残す。パレスチナ難民に帰還権を放棄させることを双方が納得し、帰還できない難民に補償を与えるのが良いとしている。

 これは、イスラエルが縮小を容認するなら国家としての生存権を保障してやるということだ。しかし現実には、中東全域でイスラム主義が台頭する中、欧州諸国が自国兵をNATO軍としてイスラエル警備に赴かせ、むざむざ悪者になるとは考えにくい。イスラエルは和平を了承する分だけ譲歩を迫られ、最期はイスラム主義勢力との戦争で潰される可能性が残る。

▼中国と日本の台頭が米英支配を崩す??

 今回のブレジンスキー論文で気になるもう一つの点は「中国と日本の台頭(傑出)によって、大西洋諸国(欧米)の500年間の世界支配は終わる」と書かれていることだ。米英に代わって日中が世界を支配する時代が間もなく来ると言わんばかりである。

 実際の日本がとっている姿勢は、ブレジンスキーの予測とは正反対だ。日本政府は、1日でも長く対米従属を維持したいと考えている。たとえ今後米国の覇権が崩壊しても、日本政府は今のところ、世界の多極化には貢献したくないようだ。政治鎖国的な傾向をとりつつ米国が復活するのを待つ方が良いというのが、今の日本の姿勢である。米国の財政破綻が近いというのに、日本政府は09年度予算で「米軍再編協力費」の名目で米軍にあげるお金を3倍に増やした。外務省は「これで米国に貢献できる」と喜んでいる。米国の傀儡国の傾向をむしろ強めるのが、今の日本国の方針である。

 ブレジンスキーは1970年代から「日本は国際政治に関与する気がないので、永久に米国の属国であり続けるしかない」と言って日本を侮蔑してきたが、日本政府は侮蔑されても喜々として対米従属を堅持している。今回のブレジンスキーの「中国と日本は」というくだりは「中国」だけが本質的な主語で「日本」は、ブレジンスキーの中国偏愛を読者に悟られないようにするための当て馬にすぎないのかもしれない。

 今回の日中に関する指摘を詳しく説明したものを、ブレジンスキーはすでに1997年のフォーリンアフェアーズ論文「ユーラシア地政学」で書いている。この論文は、ユーラシア大陸を「地政学的な巨大なチェス盤」にたとえ、米国がどうやってユーラシア大陸を支配するかを書いたことで有名になった。だが、世間で取り沙汰された好戦的なイメージとは裏腹に、論文が掲げた目標は「NATOにロシア、中国、日本を入れて全ユーラシア安保体制を作る」という、世界安定化であり、その目標達成のために米国は中国との協調が必要だという話になり、1998年にクリントン大統領が、日本に立ち寄らずに中国を訪問して「中国重視・日本軽視」を見せつける「ジャパン・パッシング」につながった。

 この論文は11年前のものだが、この11年間で世界は、共和党ブッシュ政権下でいったん過激に好戦的になったのが大破綻し、今またブレジンスキーに頼る民主党政権になろうとしており、再びこの論文が有効になる事態に戻ろうとしている。その意味で、ブレジンスキーの97年の論文は、08年の今回の論文につながっている。「全ユーラシア安保」は「NATO」+「上海協力機構」+「北朝鮮6カ国協議が発展したもの」として実現していく道筋ができつつある。(関連記事

▼ブレジンスキーの隠れ多極主義

 97年の論文は「隠れ多極主義」の典型だ。ユーラシア大陸を支配するものが世界を支配するのだから、米国はユーラシアを支配せねばならないと、まず英米中心主義、冷戦型の戦略構造を掲げる。ここだけを読むと、ブレジンスキーは「軍産英複合体の犬」である。しかし、その先はユニークな展開となる。

 米国がユーラシアを支配する方法としてブレジンスキーは、従来の「米国は、ユーラシアの西と東に位置する英国・日本と強く連携し、英日を橋頭堡として、大陸内部を封じ込める」という冷戦型の戦略ではなく、橋頭堡をもう一歩大陸内部に進めて「米国は、独仏を中心に統合しつつあるEUと、経済発展によってアジアの地域覇権国(regionally dominant power)になりつつある中国という、ユーラシア東西の大勢力と強く連携し、ユーラシアの安定化を図る」という戦略を打ち出している。

 これは、既存の冷戦型の米英中心主義の換骨奪胎である。独仏中心のEUが強くなると、欧州における英国の影響力が低下し、米国とEUが直結すると、英国は辺境の島国に戻ってしまう。同様に、米国と中国が直結すると、日本も辺境の島国に戻る。英日は反ロシア的だが、ロシアとその影響圏に隣接するEUや中国は、親ロシア的だ。米国が英日ではなくEUと中国を重視するほど、米国の対ロシア戦略も協調的にならざるを得ず、米国の世界戦略は多極型になる。

 ブレジンスキーは表向き、「私はポーランド生まれだから」という理由で反ロシア的で、80年代にアフガニスタン・パキスタンのイスラム主義武装勢力をけしかけ、アフガン占領中のソ連軍とゲリラ戦争させ、ソ連を撤退に追い込んで潰してしまった。しかし、そもそも冷戦とは「ソ連が永久に米英欧日の敵として健在であること」が前提であり、ソ連を潰しては冷戦も続かなくなる。英日にとっては「巨悪」のソ連こそ、米国を自国好みに踊らせられる、金の卵を生むニワトリだった。

 ソ連を潰して冷戦終結を誘発したブレジンスキーは、反ソ連のふりをした反英国・多極主義・対日侮蔑主義者である。ブレジンスキーの「私はポーランド生まれだからソ連嫌いだ」という言葉は、パパブッシュがサッチャーに言ったとされる「私はドイツ系だから東西ドイツの統合を支持する」という言葉と同様、地政学的なまやかし、あるいはジョークである。

 ブレジンスキーが扇動したアフガンのイスラム主義武装勢力は、ソ連崩壊後、反米的なオサマ・ビンラディンらの動きにつながって、米国を逆襲してきたが、この反米イスラム主義の勃興こそ、ブレジンスキーのもう一つの論点である「世界的な政治覚醒」の象徴である。

 米国が傲慢で抑圧的に振る舞うほど、イスラム世界や中南米などの人々が反米感情を募らせ、世界が反米主義で結束し、バラバラだった中東や中南米に新たな政治的な「極」が生まれ、BRICなどとも相互に連携し、多極的・非米的な世界体制を作る。これは、米英中心の既存の覇権体制を壊し、世界を安定的な多極型へと転換しうる。

 ブレジンスキーは以前から「米国しか世界を主導できない。他の国々ではダメだ」と傲慢なことを言ってきたが、これは世界の反米主義を扇動するために挑発しているのだとも思える。ブレジンスキーは日本に対しても「永久に対米従属しかできないダメな国」と侮蔑しているが、これも日本人の「鬼畜米英」以来の反米感情を扇動しているのかもしれない。

 実際には、戦後の日本人はものわかりが良すぎて「そうです。日本人はダメです。米国しか世界を主導できません」と、ブレジンスキーの侮蔑を飲み込んでしまい、扇動は効果をあげていない。ブレジンスキーからすると、武士道を捨てて自閉する日本人より、アルカイダやチェゲバラ的な中南米左翼や金正日のような冒険主義の反米主義者の方が立派だということになる。

 ブレジンスキーは表向き、ブッシュやチェイニーを嫌悪する発言をしているが、実際には、ブッシュやチェイニーは、世界中の反米感情を扇動し、ブレジンスキーの戦略を実行してくれた。ブレジンスキーは「米国による正義の武力行使」を容認する「ネオリベラル」の源流にいるが、その共和党版がブッシュ政権を席巻したネオコンである。スコウクロフトやキッシンジャーといった共和党現実主義者も含め、全体的に言っていることには大差がなく、皆で強い米国を過剰に演じることで世界を反米方向に政治覚醒させ、多極化している。

▼日本に再要求されそうな「米中日三角外交」

 ブレジンスキーは97年の地政学論文で、日本は米国の同盟国であり続けるのが良いと書いたが、その一方で、日米同盟は反中国同盟であってはならない、日本を中国敵視の不沈空母にしてはならないとも表明している。同時に、米国のユーラシア戦略の中では日本より中国の方が重要なコマであり、米中日の安定した三角関係を築くことが重要で、日本は中国が民主化するまでのつなぎ役として意味があるとも書いている。

 実際のところ米国の上層部は、中国が共産党独裁体制のままで北京五輪の開催を許しており、中国を民主化させる努力をほとんどしていない。ブレジンスキーはカーターの大統領補佐官だったが、カーターは初めて訪中したニクソンの後を受け、米中国交を正常化した。カーターの親中国政策の裏にいたブレジンスキーは、ニクソン・キッシンジャーと同様、中国を大国化へと誘導する先鞭をつけた。

 97年の論文で「米中日の三角関係」が望ましいと書かれたことは、日本の政界にも影響を与え、小沢一郎や加藤紘一が日本の国家戦略として「米中と等距離の正三角形外交」を打ち出すことにつながった。01年の911後、ブッシュの米国は単独覇権主義を掲げたが、日本側はこれが実は隠れ多極主義であると裏読みせず、真に受けたため「米中等距離外交」の構想は姿を消し、日本は反中国の対米従属一本槍に走り、加藤紘一の実家は右翼に放火された。

 しかし今、ブッシュの単独覇権主義は全崩壊し、オバマ新政権はブレジンスキー流に、表向きは「強い米国の復活」を掲げるが、MGI報告書などでは多極化を容認する姿勢を強めている。おそらくオバマ政権は、日本に対し、97年論文にあるような、日中の接近による米中日三角戦略の再生を隠然と求めてくるだろう。

 米国の促しに応え、日本が中国との関係を強化し、ロシアとの関係も改善して、多極型の新世界秩序に即した国家姿勢に転換していくなら、それがブレジンスキーの言う「中国と日本の台頭によって、大西洋諸国の世界支配が終わる」ことになる。逆に、もし日本が、中国との関係強化を拒否し、従来の対米従属のみに固執した場合、オバマの米国は日本を軽視する傾向を強め、米中2国のみで太平洋を協同支配する態勢を強めるだろう。

▼無意味になる対米従属

 今の日本では、対米従属は古来不変の国是であるかのように感じられる。しかし現実には、日本の対米従属戦略の根幹にある要件は「米英が世界最強であり、米英に逆らうものは原爆を落とされ、破滅する」という、第二次大戦から得た政治教訓と「世界最大の市場であり、技術力や金融財政技能の源泉である米国と親密である限り、日本経済も安泰だ」という戦後の経済戦略である。そして、これらの政治的・経済的な要件は今後、米国の覇権衰退とともに失われていく公算が大きい。

 今の日本経済は、ドルと米国市場ばかりを見ている。経済人はドル高円安を歓迎し、米国の消費市場を最重視している。ニューヨーク株式市場が下がれば、翌朝の東京株式も下がる。しかし今後、ドルが崩壊して決済通貨・備蓄通貨として使いものにならなくなり、米国の不況が悪化して米国が消費大国でなくなったら、日本経済にとってのドルや米国の価値は大幅に下がる。ドルと米市場が崩壊したら、その後の日本は、ドルではなく円を使って貿易決済した方が良い状態になる。日本製品を輸出する最重要市場は、米国ではなく中国になる。日本人が最重視すべき為替相場は、円ドルではなく円人民元になる。日本は、円を含む多極型の通貨体制を認めざるを得なくなり、中国にも人民元を切り上げて多極型通貨体制に入るよう求める必要が出てくる。

 政治的にも、米国覇権の衰退は、日本の国是を根幹から揺るがす。米国の不況の深化は、暴動や反政府活動など、米国内政治の混乱に結びつきそうだが、その状態が長引くほど、日本は米国に頼れなくなる。在日米軍の空洞化も強まる。

 その一方で、日本国内の政治も、09年以降、混乱や政界再編が激化すると予測される。今は自民党と民主党という二大政党は、いずれも対米従属を基本方針としているが、米国の崩壊と同期して起きそうな今後の日本の政界再編によって、対米従属ではなく米中等距離の外交戦略を掲げる大型政党が日本に登場し、政権をとるかもしれない。小沢一郎が民主党で米中との正三角形の外交戦略を復活し、政権党になるかもしれない。

 日本の官界では、外務省は最期まで対米従属を貫きたがるだろうが、財務省はドルが崩壊したら「円の国際化」をやりたがるだろう。すでに官界では、昇格した防衛省が中国との関係緊密化を模索し、対米従属一本槍の外務省との間で摩擦を生じさせている。(関連記事

▼日本人が覚醒しうる好機

 今後予測されるこのような政治転換の中、日本人は、どこかの時点で「そもそも日本の対米従属は、米国が圧倒的に強い覇権国だったから採用していた戦略だ。米国が弱くなり、経済的にも軍事的にも日本が対米従属する利点がなくなった以上、日本は対米従属をやめた方がいいのではないか」という思いにとらわれるだろう。このような思いが日本人の中に広がっていくと、国民の間で「ならば日本はどうすべきか。世界の中でどう振る舞いたいか」という考察が始まる。

 これは、ブレジンスキーがいうところの「政治的な覚醒」となる。日本人は、戦後60年間、自分たちを拘束してきた対米従属の呪縛から解放される機会を得る。対米従属の呪縛は、戦後の日本が再び対外野心的な戦略をとらないようにするための「瓶のふた」だったが、すでにこの「ふた」は破れかけ、裂け目から青空がのぞいている。日本人にとっての「アメリカ以後」が迫っている。

 日本は、米英との戦争に大敗北したから、戦後は対米従属した。戦前の日本は、国際的な野心の強い国だった。日本人は勝手に「自分たちは戦後、全く変わったんだ」と思い込んでいるが、もしかするとそれは、過去を簡単に忘れる民族的特技を持つ日本人の幻想でしかなく、ブレジンスキーは日本人自身より良く日本人のことを知っていて「米国の覇権が崩壊したら、中国と日本が台頭して世界支配に乗り出す」と書いたとも考えられる。(関連記事

 日本は、対米従属をやめた後は、対中従属するという未来像もあり得るが、日本人のほとんどは、中国に従属するなど真っ平だろう。日本人は、敗戦しなければ対米従属すら望んでいなかったはずだ。中国に従属するぐらいなら、中国に負けないように必死で頑張った方が良い、と多くの日本人が考えるはずだ。

 従来の日本は、対米従属することで冷戦型の中国包囲網の一翼を担っていることになるという、お気楽な対中戦略をとっていた。米国覇権衰退後の日本には、そんな贅沢なお気楽さは存在しない。独自の力で、中国の台頭に対応せねばならない。

 しかし、悲壮感にさいなまれる必要はない。中国は日本と同様、経済的な繁栄を維持することで、国を安定させており、この先20年ぐらいは、この状態は変わりそうもない。中国が日本と戦争したら、中国の経済繁栄は失われ、不安定になる。中国は日本と戦争してもメリットがない。日中は対立関係を続けるかもしれず、小競り合いぐらいはあるかもしれないが、全面戦争にはなりにくい。日中とも安定重視である以上、折り合いをつけて安定的な日中関係を模索する可能性の方が大きい。

 そして、米国の覇権が衰退している中で、いったん日中で話がつけば、次は日中協同でアジアや世界の安定化を模索しようという話になるかもしれない。「欧米の支配は終わり、日中が世界を支配する」という、今はまだ奇異に感じられるブレジンスキーの予測は、意外に先々の現実に即したものかもしれない。

 2009年から日本でも大不況が深刻化し、当分は失業したり減給したりして、日本人の生活も大変になるだろうが、この不況は日本人を対米従属から解き放ち、政治的覚醒につながりうる。日本にとって敗戦以来の大転換となりうる、政治的な好機がやってくる。



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