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世界不況は終わりつつある??

2009年6月16日   田中 宇

 イタリア南部の町レッチェで開かれたG8財務相会議で、世界経済が昨秋からの不況を脱していく方向にあるので、先進諸国は不況離脱を準備する経済政策に転じる必要があるという方針が合意された。景気が底打ちして不況が脱出期に入ると、資金や物資の需要が増えてインフレの傾向が増すので、この半年間でG8諸国が米国主導で市場に資金を大量供給した「量的緩和策」を終わりにして通貨供給を減らし、ゼロ金利をやめて利上げ傾向に転じるとともに、財政赤字を急拡大する景気対策も終息期に入るのが、不況離脱期に必要な経済政策である、

 G8の中でも、量的緩和策(通貨供給の大幅増)と財政支出の急拡大による不況抑止策に積極的なのは、米国と英国であり、逆にドイツやフランスなど、通貨増刷によるインフレと財政赤字を嫌う国々は、米英主導の緩和策に反対してきた。最近、金融市場(世界の投資家たちのこと)が米英の量的緩和と赤字急増に不信感を持ち始め、ドルと米国債が下落を始めたため、独仏や中露などは「量的緩和(ドル過剰発行)と財政赤字急増をやめないとドルが崩壊するぞ」と警告を発し、今回のG8での「量的緩和と赤字増の政策をそろそろ終わりにする」という合意に結びついた。 (◆ドル崩壊とBRIC

 つまり、事態の本質的な流れからすると、今回のG8の合意は「量的緩和と財政赤字をこれ以上やると危険なのでもうやめる」という意味であり「そろそろ世界不況が脱出期に入るので量的緩和と財政赤字増をやめる」ということではない。各国の経済状況を見ると、G8諸国の中でも日本や米国は、まだ当分は不況から脱することができそうもないと政府が予測している。G8の声明でも「各国経済には、株価の上昇、(国債とジャンク債などとの)金利差の縮小、景況感の改善など(景気)安定化への兆候が見られる」としつつも「各国の状況はまちまちだ」としている。 (Text of final G8 communique

 日米などマスコミは「慎重な言い回しながら、世界不況は終わりつつあるとG8が宣言した」と報じ、金融市場はこれを好感して、下がっていたドルが再上昇し、経済破綻しかかっている英国のポンドも上がり、諸通貨に対して年初来高値をつけた。こうした状況は、最近の私の分析とは正反対の動きである。私は、米国中心の先進国経済はまだ不況が悪化する、ドルとポンドの潜在危機は拡大している、と書いてきた。私は、自分の分析が間違っているのなら訂正せねばならないので、今回は世界経済の現状を再分析してみる。

▼政府が経済てこ入れをやめたら危機は再燃

 今起きている世界不況について分析するには、まず不況が何故起きたかを考察せねばならない。今回の世界不況の発生は、昨年9月のリーマン・ブラザーズ倒産が引き金であり、リーマン倒産が意味するところは「レバレッジの大解消(大崩壊)」である。

 最近までの世界経済は、レバレッジの拡大によって下支えされてきた。レバレッジとは借金や債券発行による資金調達、つまり「信用の換金」である。世界経済は1997−98年のアジア発の国際通貨危機によっていったん破綻しかけたが、そこからの離脱策として、米英の金融機関が主導して、世界中のあらゆる信用を換金していくレバレッジの急拡大が始まった。

 これは端的に言うと、世界中の人々に住宅ローンを組ませて金を貸し、世界中の人々にクレジットカードを発行して借金での消費増をもたらし、世界中の企業の借金や債券発行を増やし、それらの債権を流通させて、世界中の信用を資金に転換し、その資金増で世界経済の成長率を高める策である。こうした借金増大の政策を嫌う国も多かったので、とりあえず米英でレバレッジの急拡大が01年以降起きた。米英ではすでに製造業は死に体で、レバレッジで金を作って消費することで経済が成長した。

 しかし米国では、05年からの原油上昇による利上げによってローン金利が上がり、住宅ローンの返済不能者が増え、07年夏にサブプライムローンの債券が破綻し、金融危機が始まった。米政府は、金融界の相互不信を解消できず、代わりに資金不足の金融機関に対する政府や連銀からの救済融資を増やしたが、状況は改善せず不信が拡大し、やがてリーマン倒産を機に、金融市場における相互信用は決定的に崩壊した。レバレッジ拡大の根底にあった信用の価値が急落し、債券は紙くずと化した。 (Brooks: Great Unwinding

 レバレッジ崩壊によって企業も個人も資金調達難に陥り、底上げされていた世界経済の底が抜け、大不況となった。米英式のレバレッジ拡大による資金増の恩恵は全世界が受けていたから、世界的な大不況となったが、最も打撃を受けたのは米英と、米英式を大々的に導入した東欧諸国やアイルランドだった。アジア諸国は97年の通貨危機や日本のバブル崩壊の教訓から、レバレッジ拡大に消極的だったので、比較的悪影響を受けていない。

 今年に入ってクライスラーとGMという大手自動車会社が相次いで倒産したが、この主因も、売れ行き不振というより運転資金の調達難だった。GMなどは10年ほど前から、自動車を作るほど赤字が増える構造だったが、企業名の信用力を換金するレバレッジによって何とか回っていた。

 米政府と連銀は、GMや大手銀行などの資金不足を、公的資金注入(財政赤字増)や連銀からの救済融資によって補い、経済全体の需要減も、巨額の財政出動によって穴埋めした。経済を下支えしていたレバレッジ拡大による金あまり現象が消失した代わりに、連銀がドル増刷の量的緩和による金余り現象を出現させた。米当局は、大手銀行の1−3月期の決算に合わせて会計基準の緩和を行って大手銀行に利益を出させ、米金融界が危機から脱して再び利益を出せるようになったと演出した。政府主導の粉飾決算の結果、大手10行は合計で102億ドルの黒字だったが、その他の銀行(全米8245行)の総合計は26億ドルの赤字だった。 (Most banks still getting weaker, analysis shows) (◆米金融まやかしの健全性

 米政府は、EUや英国、日本などの政府と中央銀行にも、同様の財政赤字増と量的緩和策を採るよう圧力をかけた。ドル崩壊がいやなら協力しろと言われれば、量的緩和に反対の独仏も同意せざるを得なかった。日本は、米国の政策に強い支持を表明しつつ「これ以上赤字を増やせません」と言い訳した。

 株価の上昇など、G8財務相会合で「(景気)安定化の兆候」であるとされた金融市場の活況は、米国主導の財政赤字増と量的緩和策の結果である。もしG8の声明どおり、金融市場の再活性化を世界経済が不況を脱しつつある兆候であると認識し、財政赤字と量的緩和による経済対策をやめたら、金融市場の機能不全が再び顕在化し、金融危機が再燃するとともに、米国主導の世界経済の景気は再び底が抜けて悪化するだろう。

 米国は、住宅市況や失業率が悪化し続け、カリフォルニア州など地方政府も財政破綻寸前である。政府主導で作られた資金は、株式市場やドルとポンドの買い支え、金先物売りなど要所に注入され、金融が安定しているかのような演出がなされているが、米国の実体経済は悪化の一途だと感じられる。 (Americans' wealth drops $1.3 trillion

 レバレッジ崩壊(金融バブル崩壊)の規模が小さければ、崩壊時に政府や連銀が不良債権を買い取って、危機を脱して債権価格が戻ったら売るという対策ができるが、今回の危機は規模が巨大すぎる。連銀はすでに8兆ドルの不良債権を抱え込み、今の政策を続けるとドル崩壊や財政破綻、やめると金融危機や不況の再燃という、板挟みの窮地に陥っている。 (Public debt The biggest bill in history

 連銀は、簿外勘定に巨額の不良債権を抱え込んでいるが、表向きの帳簿上だけでも、一般の金融機関と同じ厳しさの監査を受けたら、即座に破綻を宣告されるような悪い状況だと評されている。レバレッジ拡大の急先鋒だった米国のすべての投資銀行(5行)は昨年、すべて潰れるか利幅の薄い商業銀行に転換しており、すでに米金融界はレバレッジを再拡大する道具すら持っていない。 (Fed Would Be Shut Down If It Were Audited, Expert Says

▼英米中心主義とともにすたれるG8

 今や世界経済は多極化しつつあり、G8が対象とする米国主導の米欧日の先進国経済は、その中の一部にすぎない。しかしG8は、前回までの「経済分野はロシアを外したG7で行う」という悪弊はやめて経済もG8で行うようにしたものの、いまだに中国やインドはオブザーバー的に呼ばれるだけで、参加させてもらっていない。世界経済の実態に合ったサミットはG8ではなくG20になっている。そしてG20の中心であるBRICは、ドルを見捨てることをサミットの議題にしている。BRICの一角を占める中国やブラジルは、米欧日より先に経済成長の復活をしそうである。 (Brazil's recovering economy Ready to roll again

 米英が覇権を維持したければ、G8がG20に世界の中心組織の役割を奪われるのではなく、G8に中国やインドを入れて拡大すべきだったが、米英はそれをしなかった。私の推測では、英国はそれを望んだが、米国は反対した。G8の前身であるG5は、1971年にニクソンが金ドル交換停止でドルを自滅させた後、英国が日本やドイツに協力させてドルを立て直すために作った組織である。米国の隠れ多極主義者は、ニクソンのドル自滅によって世界の覇権構造を変えようとしたが、米国覇権の黒幕である英国はそれをさせず、G5やG7を結成し、管理変動相場制や協調介入によってドルを立て直した。 (ドルは歴史的役目を終える?

 このような流れがあるので、冷戦後、英国はG7にロシアと中国を入れ、英国が黒幕の米国覇権を維持拡大しようとして、ロシアを入れてG8とした(中国はこの時期、天安門事件が起こって国際制裁され、機を逸した)。米国はその後、90年代後半から単独覇権主義の傾向を強めてG8をも無視するようになり、今回の自滅的な金融破綻を起こしてからは、一転してG20というBRIC主導の別組織を隠然と支持するようになり、英国主導のG8は、今や悪いイメージとなった「米英中心」から脱せないまま、影響力が低下している。 (G8 Still Predominantly a European and Anglo-Saxon Affair

▼日本が手持ち米国債をスイスで密売?

 米国やG8が、粉飾によって不況脱出の演出を続け、その演出自体がドルや米国債に対する国際信用を揺るがせている一方で、G20はドル離れを画策している。各国の中央銀行は、来るべきドル崩壊に備え、外貨準備の4−5割を金地金に替えておこうとして金を買い漁っていると、ロイター通信が報じている。 (Cenbanks could justify sharp rise in gold holdings-WGC

 対米従属一本槍のわが日本だけは、無策のままかと思いきや、そうでもないかもしれないと思える事件が報じられた。イタリアG8財務相会議の5日前にあたる6月3日、イタリア北部のミラノからスイスに向かう列車の国境検問で、2人の日本人男性がスーツケースの中に合計1345億ドル分の無記名の米国債を隠し持っていることを、イタリア当局が発見し、資金洗浄を禁じる法律違反(無申告で巨額有価証券を持ち出そうとした容疑)で2人を逮捕した。50歳代の2人は、スーツケースに隠し底を作り、1枚5億ドル相当の米国債を249枚と、その他の米政府系債券10億ドル相当を10枚持っていた。 (US government securities seized from Japanese nationals, not clear whether real or fake

 2人が持っていた債券が本物だとしたら、それは日本が所有する米国債の4分の1にあたる。そして、2人は世界第4位の米国債保有者になる(3位はロシア政府、5位は英国政府)。さらに、イタリアでは法律で、無申告の巨額現金・有価証券を摘発した場合に摘発額の40%を罰金として没収することが決まっており、伊政府は国家予算の5%以上に当たる380億ドルの収入を得ることになる。

 この事件はイタリアの新聞(il Giornale)が報じ、ミラノの日本領事館も、伊当局が2人を逮捕したことを認めた。しかし、わかっていることはそこまでだ。2人の逮捕から2週間近くが経ち、米国債の真贋も判明しているはずだが、伊当局は2人の名前も発表せず、司法手続きにも入っていない。 ($134bn bond scam arrests) (Japanese pair arrested in Italy with US bonds worth $134 billion

 2人が持っていた米国債は偽造かもしれないが、無記名の巨額米国債は政府や大手金融機関の間でしか取り引きされず、それらの大手組織はすぐに真贋を見破るので、犯人が偽造債券を現金化することは困難で、偽造する意味がない。米国の金融分析者は「米国債の崩壊感が高まる中、日本政府が米国債をスイスのブラックマーケットに持ち込んで格安で売り切ろうとしたのではないか」という見方をしている。与謝野財務相が6月12日に米国債を堅く信じて買い続けると宣言したのは、6月3日にイタリアで米国債密輸の2人が捕まったことへの懺悔だったという考察も出た。世界各国の当局がドル崩壊から逃げようと密かにドルや米国債を売って金地金などに替えており、日本の動きもその中で考えられている。 (Did the Japanese Try to Dump $135 BILLION in US Bonds on the Black Market?

 しかし、戦前の無鉄砲な日本政府ならいざ知らず、昨今の後ろ向きな日本当局者が、このような大胆な行為を組織ぐるみで挙行するとは考えにくい。スイスに持ち込んだところで、誰が買うのかという疑問もある。もし摘発された米国債が本物で、日本政府ぐるみの密売計画だったのなら、それはそれで日本当局の覇気が感じられ、喜ぶべきことである。できれば摘発されず、格安でも米国債が売れた方が、紙くずを抱えずにすむので良かったのだが。

【6月19日追記】 米財務省の広報官は6月18日、無記名式の米国債の総流通量は1億ドル強しかないので、1354億ドル分の無記名米国債というのは明らかに偽造だと発表した。(U.S. Says Bonds Seized in Italy Are `Clearly Fakes'



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