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近現代の終わりとトルコの転換

2009年11月18日   田中 宇

 11月9日、トルコのイスタンブールで、イスラム諸国会議が開かれた。イランのアハマディネジャド大統領も出席し、会議の傍らでトルコとイランの首脳が会談したが、そこで、従来の敵味方関係を大転換する合意が結ばれた。これまでNATOの一員として、イランを敵視してイスラエルと協力する立場にあったトルコが、イランと協力してイスラエルの行動を監視する立場に転換したのである。イスラエルがイランを攻撃しそうな現状をふまえ、トルコ政府は、イスラエルの軍事行動に関する情報をイラン政府に渡すことを約束した。 (Erdogan promises Iran Turkish intelligence aid against Israel

 トルコは冷戦体制が確立した1952年に、欧米の軍事同盟であるNATOに加盟した。(トルコのNATO加盟は、第2次大戦後、英国の中東支配が崩壊し、代わりに英国が米国を操って冷戦をやらせる戦略に移行する時期に行われた。英国が中東を支配してい時代には、ギリシャをトルコに噛みつかせ、トルコを疲弊させる均衡戦略がとられていたが、冷戦開始とともにその英国の戦略は終わり、ギリシャとトルコはNATOに同時加盟した)

 トルコは、北をロシア影響圏(旧ソ連。コーカサス諸国)に接し、南は中東諸国(シリア、イラク、イラン)に接している。欧米から見ると「敵陣に突き出した半島」であり、欧米の世界支配にとって重要な、地政学的な要衝である。だから、米国は以前から欧州に対し、トルコをEUに入れるよう求めていた。

 トルコ国内では、政治を握る軍が、世俗主義の監視人としてイスラム主義の台頭を抑止し、自国が欧米陣営から出ていかないようにしながら、早期のEU加盟を望んでいた。だが、キリスト教圏としての結束を守りたい欧州がトルコの加盟を嫌がっている間に、テロ戦争とその失敗によって、中東全域でイスラム主義が強くなった。トルコでは、イスラム主義を隠然と進める政党AKP(公正発展党)が与党となり、軍との政治暗闘に勝って実権を握った。

 AKPが隠然と反米イスラム主義の政策を強化しているのは、単なる宗教上の理由によるものではない。今後の中東もしくはイスラム世界で、イスラム主義は「反米主義」から脱皮して「イスラム政体の確立」への転換を目指し、イスラム諸国が政治経済の共同体として立ち上がり、多極型になっていく世界の「極」の一つとして機能していきそうなので、AKPはそれに乗っている。トルコは、欧米へのコンプレックスを強要されたままEUの末席に座らせてもらうより、イスラム世界の主導役になった方が、経済的にも尊厳的にもずっと良いと考えられるからだ。 (Rise of the Turkish crescent

▼イスラム主義の拡大は政治統合につながる

 宗教改革(政教分離運動)の歴史を持つ欧米キリスト教と異なり、イスラム教は、政教分離を経験していない。イスラム教は政治分野を含んだ宗教である(イランのイスラム共和国体制が象徴的)。イスラム教徒が結束すると、イスラム世界は国境を越えて政治的にも融合できる。イスラム世界は、宗教的になるほど「政治統合」される仕掛けになっている。かつての英国は、イスラム教が持つ政治結束力を恐れたからこそ、中東をいくつもの「世俗的(非イスラム的)ナショナリズム」を持つ「近代国家」に分断した。近年のイスラム主義の勃興は、英国が仕組んだ中東解体の方向性を逆回しする流れにつながっている。

 トルコは、イスラム諸国の中でも、イラン、シリア、スーダン、レバノン(ヒズボラ)、ハマスといった、欧米から敵視されがちな国々や組織の立場を積極的に擁護する半面、エジプト、ヨルダン、ファタハ(パレスチナ自治政府)といった、いまだに欧米の傀儡として生きていこうとしている親米的な国々に対しては冷淡だ。これは米国の覇権が弱まる中、イスラム世界において親米諸国が不利になり、イスラム主義勢力への人々の支持が増えていることを先取りした戦略である。 (Erdogan shifts its allegiances to anti-Western Islam

 トルコは、20世紀初頭の第一次大戦で英国に負けて帝国を解体されるまで、オスマントルコ帝国として、イスラム世界の主導役を名実ともに果たしていた。産業革命から150年経った20世紀初頭には、欧米(キリスト教世界)の経済力・軍事力は、トルコを筆頭とするイスラム世界よりも圧倒的に強くなっており、第一次大戦で敗戦して帝国を解体された後のトルコは、イスラムを捨てて欧米化(近代化、世俗化)するしかなかった。この転換は、日本の明治維新が目指したものと同じである。

 それから100年、冷戦体制が崩れ「第2冷戦」を目指したテロ戦争も失敗し、米英は金融危機によって劇的で自滅的な経済崩壊を引き起こしている。今、世界的に起こりつつある多極化は、欧米が中心だった「近現代」という時代の終焉を意味している。欧米が圧倒的に強かった20世紀前半には、トルコ(や日本)のような国々は「近代化」(欧米化)を進めざるを得なかったが、21世紀になって欧米が相対的に弱くなった今、欧米モデルを目指す国家戦略は時代遅れになりつつある。各国は、近代化以前の自国の姿を歴史的に捉えなおし、欧米化を絶対視する従来の価値観から距離をおいた上で、自国の戦略を見直す必要に迫られている。トルコは、この見直しをすでに開始している。(日本はこれから)

 トルコ政府は、かつてトルコがオスマン帝国としてイスラム世界の主導役だったということと、自国の将来像を結びつけている。9月末にトルコ帝国最後の皇太子オスマンオウルが死去した後、イスタンブールで行われた葬儀には、副首相、内相らトルコ政府の4人の閣僚や、国会議員、次官、地元県知事などが参列し、エルドアン首相も個人の資格で弔電を送った。第一次大戦後、新生トルコ共和国はオスマン皇帝一族を国外追放し、その後米国に住んでいたオスマンオウルがトルコに戻って市民権を与えられたのは2004年のことだった。ドイツのシュピーゲル誌は、オスマンオウルの葬儀に対するトルコ政府の手厚い扱いを、オスマン帝国を意識するトルコの新たな国家戦略だと分析している。 (Disillusioned With Europe, Turkey Looks East

▼トルコに期待する米国

 反米イスラム主義に乗るトルコの国家戦略を、米国はどう見ているのか。既存の常識で考えるなら「米国はトルコを潰すだろう」となるが、実際には全く違う。米オバマ政権は、イランの核兵器開発疑惑への解決策を探しているが、イランと親しい関係を構築したトルコが、イラン核問題の解決策を提供してくれそうなので、米政府はむしろトルコに期待している。 (Iran agrees 'in principle' to compromise on nuclear programme

 イランは、テヘランにある医療用原子炉(放射性同位体製造用)の燃料が切れそうな状況にある。イランが持っている1・2トンの低濃度ウラン(濃度5%以下)のほとんどを、ロシアやフランスで濃縮し、医療用原子炉で使う濃度20%のウラン燃料に転換してイランに戻すことで、イランは核兵器製造に使える低濃度ウランをほとんど持たなくなり、医療用原子炉の燃料も切れずにすむ。これは良い考えだということで、米国も賛成し、国連のIAEAとイラン政府の間で交渉が進められた。 (Iran to seek fuel supply guarantees in next round of talks

 しかし、交渉の途中でイランは「もしかすると米イスラエルがロシアやフランスに圧力をかけ、イランが送った低濃度ウランを転換・返送せず、没収してしまう懸念がある」と言い出し、交渉が頓挫している。そんな中でトルコが、イランやIAEAに対し「ロシアやフランスが医療用原子炉燃料をイランに返送するまで、わが国がイランの低濃度ウランを預かりますよ」と提案した。トルコは、イランと欧米の両方から信頼されている国なので、公正な第三者として、低濃度ウランの保管役になると期待できる。米国は、トルコがイラン核問題を仲裁することを歓迎している。 (IAEA Discussing Turkey as Potential Partner in Iran Nuclear Deal

 米政界では従来「反トルコ」の勢力として、第一次大戦末期に起きたトルコによる「アルメニア人虐殺」を誇張する、アルメニア系米国人の政治圧力団体が強かった。米国のイスラエル系団体は、アルメニア系団体に米政界を脅すやり方や、お得意の史実誇張の手法を教え、トルコが親イスラエルの態度をとらざるを得ないように仕向けていた。だがトルコは最近、100年ぶりにアルメニアと和解した。アルメニア系やイスラエル系の団体は、米政界を通じてトルコを脅すことができなくなった。トルコとアルメニアの和解を仲裁したのは米国とロシアであり、米国の米英イスラエル中心主義と多極主義との暗闘が、トルコのアルメニア人「虐殺」問題の背後に存在していたことが感じられる。 (Armenia-Turkey sign peace deal but pitfalls lie ahead

 米国は、イランの問題だけでなくイラクの問題でも、トルコに世話になる傾向が増している。トルコ東部の山間部には、トルコ民族とは異なるクルド民族が住んでおり、これまでトルコが欧米化(トルコ・ナショナリズム)を国是としていた時代には、自治を要求するクルドの民族主義はナショナリズムの敵として抑圧され、トルコ軍はクルド人を容赦なく弾圧した。

 しかし、ナショナリズムの代わりにイスラム主義を掲げ出したAKPの今のトルコ政府にとっては、トルコ人もクルド人も同じスンニ派イスラム教徒であり、クルド人の民族主義はさしたる問題ではない。トルコ政府は最近、これまで25年間続いてきたクルド民族主義との戦いをやめて和解する方針を打ち出した。その具体策として、クルド語のテレビ放送を禁止する規制を解除することや、クルド人の町村にトルコ語風の町村名を強制していた政策をやめることを検討している。 (Turkey Is to Allow Kurdish Television as Peace Process Gathers Pace

 クルド人は、トルコ、イラク、イラン、シリアの4カ国に分断されて住んでおり、トルコにおける人口が最も多い(約1100万人。イラクとイランは各600万人)。イラクは、湾岸戦争から米イラク侵攻までの12年間、欧米から経済制裁されていたが、その間もイラク北部のクルド人居住地域は反フセイン的だったため制裁対象外で、イラクのクルド人地域では、その時代からトルコの経済的な影響力が大きかった。トルコが自国内のクルド人と和解することは、北イラクにおけるトルコの影響力が拡大することにつながる。 (クルドの独立、トルコの変身

 イラクのクルド人は、米イラク侵攻から最近まで、米イスラエルの支持を後ろ盾として、イラクとは別の国として独立することを目指していた。彼らはトルコのクルド人にも独立をうながしたため、米イラク侵攻後、イラクのクルド人はトルコと対立し、一時は戦争寸前の事態になった。だが最近では、米イスラエルの影響力低下の結果、イラクのクルド人が独立できる可能性は減り、代わってトルコとの関係が強化されている。イラクの米軍は撤退する過程にあるが、イラクの安定には、クルド人地域をおさえるトルコと、シーア派の人脈をおさえるイランの公式・非公式の協力が不可欠になっている。 (米軍イラク撤退の中東波乱

▼トルコに蹴飛ばされても下手に出るイスラエル

 トルコはイランに接近し「欧米側」から「イスラム側」に寝返った。いや、寝返りというよりむしろトルコは、イランなどと協力してイスラム世界を欧米に対抗できる勢力に仕立てることができると考えて国家戦略を転換した。この転換は、いくつかの重要な考察につながる。その一つは、トルコが事実上NATOを脱退したことが意味するところの考察だ。以前の記事に書いたように、トルコはイスラエルが参加することを口実に、10月に自国でNATOの軍事演習が行われることを拒否した。トルコはその直後にシリアと軍事演習を行っている。トルコはNATOを脱退し、代わりにイラン、シリア、イラク、レバノン、スーダンなどとともに、米国覇権から自立した中東の集団安保体制を組みたいと考えているのではないか。 (オバマのノーベル受賞とイスラエル

 この非米的な新安保体制の中に、サウジアラビアやエジプトなどの親米諸国が入るかどうかは、親米諸国がいつ米国に頼れなくなっていることに気づくかによる。スーダンを舞台に、サウジアラビアとイランの代理戦争が展開しているが、それも、この流れの中の出来事であろう。NATOは、アフガニスタン占領が失敗したら事実上、解体していくと予測される。EUはすでに各国のリスボン条約批准を完了し、いずれNATOから自立すべく、外交防衛の分野での統合を進めている。トルコがNATOにこだわる意味は低下している。

 トルコは、イスラエルをさかんに非難している。トルコのエルドアン首相は先日のイラン訪問時に「イランの核開発を問題にする前に(米国とイスラエルは)自分たちの核兵器を廃棄すべきだ」と言い放っている。「(ガザ戦争時の)イスラエルの戦争犯罪は、(ダルフル問題で国際刑事裁判所に訴追されている)スーダンの犯罪性よりもはるかに悪い。スーダンは悪くない」と言ったりもしている。この言いたい放題からは、トルコ政府がイスラエルを全く恐れていないことが感じ取れる。 (Turkey PM: If you don't want Iran to have nukes, give yours up) (Turkey PM: Israel war crimes worse than Sudan

 イスラエルは、トルコに言いたい放題に非難されても、平静を装うばかりで、ほとんど批判し返していない。それどころか、イスラエルはトルコに金を払って関係を修復しようとしている。以前にイスラエルはトルコに無人偵察機を売る予定だったが、それは「技術的な理由」から2年遅れている。イスラエルは、この遅延に対する賠償金をトルコに払うことを提案し、偵察機の販売交渉を復活させた。同時にイスラエルはトルコに対して陸軍の合同軍事演習(救援演習)をやろうと持ちかけ、米傀儡国のヨルダンも誘って3カ国でトルコでの合同演習を実施した。イスラエルは、何とかトルコとの関係を修復したいと下手に出ている。 (Turkey, Israel ease tension with drill

 イスラエルは、誇りが非常に高く「傲慢」という言葉がぴったりくる。本来なら、トルコに非難されることを許さないはずだ。それなのに下手に出ねばならないのは、イスラエルがそれだけ弱体化したことを意味している。イスラエルの強さの源泉は米政界を牛耳っていることだったが、今や米国自身の国際影響力は潜在的に失墜している。トルコはそれを見抜いている。

 トルコのAKP政権は、おそらく、イスラエルやユダヤ人が嫌いだから非難しているのではない。そうではなくて、イスラエルを非難すると、トルコ国内をはじめとするイスラム世界の全域で多くの人々に熱狂的に支持されるので、国内での人気維持策と、イスラム世界の盟主になるための方策の一つとして、イスラエル非難を連発しているのだろう。

▼「イスラエル後」をにらむトルコ

 イスラエルは今、滅亡に向かう危機の瀬戸際にある。米軍はアフガンとイラクで疲弊し、オバマ政権はイランを容認する態度を強めており、湾岸戦争やイラク戦争時のようにイスラエルが米軍を傭兵として使って中東の敵国を侵略させる策略は取れそうもない。たとえイスラエルがイランを「先制攻撃」しても、米軍がついてこない可能性が高い。イスラエルの方からは戦争を起こせない。だが同時に、イスラエルの方から攻めなければ安泰かといえば、そうではない。

 イスラエルの周辺にはレバノンのヒズボラやガザのハマスが武力を強めており、いつ戦争が起きても不思議ではない。米イスラエルの傀儡だった西岸のパレスチナ自治政府のアッバス大統領は辞意を表明し、イスラエルは中東和平をやっているふりすらできなくなっている。アッバスが辞めたら、その後の西岸は武装決起の様相を強めそうだ。レバノン、ガザ、西岸のいずれか一つの地域で戦争が起きたら、戦火は残りの地域にも飛び火し、イランやシリアとの戦争(中東大戦争)にまで拡大する恐れがある。 (Future of Palestinian Authority Is in Question

 このような中でトルコがイスラエル敵視の姿勢を採り始めたことは、イスラエルが何百発かの核弾頭を持っていることを考えると、かなり危険な賭である。だが同時に言えることは、中東大戦争が起きた場合、イスラエルはおそらく国家として劇的に終焉する。イスラエルが戦争を回避しつつ存続しようとしても、周辺のパレスチナ・アラブ勢力に対して譲歩せねばならず、イスラエル国家は緩慢な終焉を迎えざるを得ない。イスラエルとイスラム側との敵対がこれだけ強くなり、しかもイスラエルの後ろ盾だった米国の覇権が失われるとなれば、イスラム側が弱体化したイスラエルを国家的に生かしておくとは考えにくい。

 中東はいずれ「イスラエル後」の状態になる。おそらくイスラエルが終焉していく過程で、イスラム主義が政治的な結束力となっていき、その力で「イスラエル後」の中東の情勢が形成されていく。サウジアラビア王家や、エジプトで独裁をしているムバラク親子の政体は失われていく(サウジ王家は、変節して生き残るかもしれない)。トルコは、この「イスラエル後」に向けた転換の流れに乗り、この流れを主導していこうとしているのだろう。



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