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ドイツ・後悔のアフガン

2010年2月7日   田中 宇

 アフガニスタンに駐留するドイツ軍は、ほとんど基地から出ていけない状態が続いている。米英は、911事件直後の2001年10月にアフガニスタン侵攻し、タリバンを政権から追い出し、代わりに傀儡的なカルザイ政権を打ち立ててアフガン占領を開始したが安定を実現できず、アフガン人は反米傾向を強め、タリバンへの支持が再拡大した。窮した米英は06年、ドイツやカナダ、オランダなどのNATO諸国に支援を頼んだ。ドイツは約2500人を派兵し、米英に次ぐ駐留兵力数となった。

 しかし、その後もアフガンの不安定化は続き、タリバンの支配地域が拡大し、NATOは不利になった。ドイツやカナダは、米英から「すでにタリバンを抑え込んであり、今後は経済建て直しなどの国家再建の時期に入るので手伝ってほしい」と言われ、平和維持活動にたずさわるつもりで派兵した。しかし実際には、タリバンは抑え込まれておらず、ドイツやカナダの軍は、タリバンとの戦闘に直面した。 (アフガンで潰れゆくNATO

 ドイツ軍は、他のNATO諸国と異なる状況におかれている。ドイツは日本と同様、第二次大戦の敗戦国だからである。戦後のドイツは、いったん軍隊のない状態にされた後、冷戦が始まって西ドイツが東西対立の最前線となった1950年代に、米英の方針転換で西ドイツ軍(Bundeswehr)が再建され、徴兵制が敷かれ、NATOに加盟した。西ドイツ軍の任務は、憲法で「防衛」に限定されていたが、冷戦は実際の戦闘にならなかったので、西ドイツ軍の行動は事実上、災害復旧に限られていた。 (Federal Defence Forces of Germany Bundeswehr From Wikipedia

 冷戦終結後、西ドイツ軍は東ドイツ軍を吸収し(東欧諸国や英仏がドイツの軍事再台頭を恐れたため、吸収にあたって大量の兵器を東欧に売却させられた)、94年に憲法裁判所で、軍の任務である「防衛」の解釈が拡大された。それまでドイツ国内が軍事侵攻された場合のみに限定されていたのが、国外での紛争予防策を含む幅広いドイツの安全保障行為に改訂された。

▼防衛限定をタリバンに突かれて窮した独軍

 その後ドイツ軍は、NATO軍やEU、国連軍の一員として、ボスニア(EUFOR)、コソボ(KFOR)、ソマリアなどの平和維持活動に参加し始めた。ボスニアやコソボといった旧ユーゴは、かつてドイツの影響圏であり、ドイツ経済の後背地になりうるため、積極的な平和維持活動が行われた。

 ドイツは冷戦後、任務を平和維持活動に限定しつつ、国際機関の一員としてのドイツ軍の海外派兵を繰り返し、慎重に国際影響力の拡大を図った。ドイツは、米国が単独独覇権主義を掲げて行ったイラク侵攻とその後の占領は、国際機関によるものでなかったため参加せず、同様の理由でアフガン戦争にも行かなかった。だが、米国の依頼を受けてNATOが組織的にアフガン再建(占領)に協力することになったため、ドイツも4500人の枠を設定してアフガン派兵に踏み切った。この派兵枠は、コソボ派兵(2000人)の二倍以上で、冷戦後のドイツの海外派兵として突出した最大規模になった。

 前述のように、ドイツは憲法で軍隊の任務を「防衛」に限定しているため、なるべく戦闘をせずにすむ地域への駐屯を希望し、アフガンの中でも比較的タリバンが少なく安定していた北部地域に駐留した。しかし駐留開始後、アフガン全土でタリバンの反撃が強まり、北部でもタリバンがドイツ軍に対し、爆弾設置や自爆テロを含む攻撃を仕掛けてくるようになった。

 ドイツ軍司令官は、自軍の行動が防衛の範囲を超えることを恐れ、できる限りタリバンとの戦闘を避けた。かつてイラクのサマワに派兵された日本の自衛隊がとった態度と同じである。ドイツ軍は、できるだけ基地にこもり、基地の外にパトロールに出る時には、装甲車を連ねて走るだけで、基地外で兵士が装甲車から降りて歩くことはほとんどなかった。米軍幹部は「われわれはアフガンの村人と一緒に飯を食い、村人をタリバンから守るが、ドイツ人は怖くてそれができない」と揶揄した。

 ドイツ軍に戦意がないと見たタリバンは09年に入り、積極的に北部地域での攻撃を拡大した。北部の治安が悪化していくのを見て、北部地域のアフガン人の行政官は、ドイツではなく別の国の軍隊に来てほしいとNATOに要請した。米軍筋は「ドイツ軍は基地でビールを飲んでいるだけの役立たずだ」とマスコミに語るようになった。これは、日本の自衛隊がイラク駐留に固執したり、アフガニスタンに駐留したりしていたら、陥ったであろう事態でもある。

▼クンドゥス空爆事件は米軍にはめられた?

 ドイツにとって決定的な事態は、09年9月4日に起きた。この日、中央アジアのウズベキスタンから首都カブールに向けてNATO軍用のガソリンを運んでいた2台のタンクローリーが、ドイツ軍の守備範囲であるクンドゥス市内でタリバンに乗っ取られた。NATOの主要な補給路は、もとともパキスタンからカブールへの経路だったが、その経路が頻繁にタリバンに襲撃され、代わりの補給路としてウズベクからの道路が使われるようになったが、タリバンはそちらも襲うようになっていた。 (Target Germany: A Second Front in Afghanistan?

 乗っ取りの目的は、NATOの補給路を絶つことだったと考えられるが、ドイツ軍の現場司令官のところには地元諜報筋から「タリバンは、タンクローリーをドイツ軍基地に突っ込ませて爆破するテロを計画している」という情報が入っていた。装甲車から出られず、独自に情報収集ができない独軍司令官は、この情報に振り回され、基地に突っ込まれる前にタンクローリーを捕獲するか破壊せねばならないと考えた。

 米軍戦闘機の偵察により、ローリーは、クンドゥス郊外の川を渡ろうとして河床に車輪がはまり、立ち往生したことがわかった。現場は独軍基地から5キロしか離れておらず、のちに米軍司令官は「米軍なら現場に地上軍を派遣し、ローリーを奪回していたはずだ」と語ったが、ドイツ軍は戦闘を恐れ、タリバンがいる場所に歩兵を派遣することを躊躇した。すでに夜だったが、米軍機が撮った不鮮明なビデオ映像を米独で解析したところ、ローリーの周囲にはタリバン兵士がいるだけで、一般市民はいないとの結論になった。そこで独司令官は、米軍に頼んで戦闘機を出してもらい、ミサイルを発射してローリーを爆破した。 (Kunduz: Did German Defense Minister Know More Than He Let On?

 しかし実際には、タリバン兵は、ローリーが動けなくなったので、近隣の村に呼びかけ、ローリーの積み荷であるガソリンを人々に無料で配っているところだった。ポリタンクなどを持ったおおぜいの村人がローリーの脇に集まっているところに、米軍機が攻撃を加えて大爆発が起こり、一瞬にして150人近くが殺された。のちの調査で、このうち40人ほどが一般の村人とわかった。

 この事件の後、ドイツは国を挙げて激しい呵責の念に襲われた。戦後のドイツは、二度と戦争の人殺しをしないことを誓い、冷戦後の派兵は国際貢献のはずだった。アフガンに駐留しても、できるだけタリバン兵を戦闘で殺さないようにしていた。それなのに、独軍は米軍機に依頼して、タリバンを殺すよりもっと悪い、一般市民に対する虐殺行為をしてしまった。ドイツでは、アフガンからの撤退を求める世論が一気に強まった。 (End of Innocence in Afghanistan 'The German Air Strike Has Changed Everything'

 私はこの事件について、ドイツ軍は米軍にはめられたのではないかとの疑いを持っている。米軍は、戦場のどさくさにまぎれて、同盟国の軍隊を困らせる策略を行ってきたふしがある。米軍は、独軍が情報不足なのを見越して、不鮮明な映像を示し、タリバンしかいないようだと示唆して、独軍が米軍に空爆を要請するように仕向けた疑いがある。イラクでは03年11月、米国に貢献する気持ちの強い外交官だった奥参事官らが自動車で走行中に射殺されたが、米軍が殺したという説が強い(日本のマスコミの一部は、奥を殺したのは米軍だと報じたが、外務省自身は国内の反米感情をあおることを恐れ、もみ消した)。

 米軍は、ベトナムでもイラクでもアフガンでも、初めから失敗が予測されている戦略を展開し、自滅的に失敗している。アフガンでは、タリバンを撲滅しようとする米軍の戦略が、逆にタリバンをアフガン社会の人気者にしている。米国の自滅策は、自国の覇権を自ら解体しようとする「隠れ多極主義」と考えられるが、その一環として米軍などは、英国が先導する同盟諸国による米国支援によって覇権解体がくい止められることに対する破壊行為をも行っている。その例が、ドイツ軍を窮地に陥れたローリー空爆であり、イラクでの日本外務省の積極性を大幅にそいだ奥殺害だったと考えられる。 (Going 'deep', not 'big', in Afghanistan - Gareth Porter

▼カルザイの不正をめぐる駆け引き

 09年夏、ローリー空爆と前後して、イタリア軍がタリバンにお金を払いって戦闘を回避していたことや、英国軍がタリバンとの戦闘を避けるための賄賂行為として、タリバン兵士群をアフガン南部から北部にヘリコプターで空輸していた(英軍は、タリバンの独軍攻撃を助長した)ことなどが発覚し、おまけに英軍のタリバン空輸の証拠写真を入手したニューヨークタイムスの現地スタッフが英軍の「誤射」によって射殺される事件も起きた。NATO加盟国相互の不信感と、世論の厭戦機運が強まった。 (Has Italy Been Paying Off the Taliban?) (UK army 'providing' Taliban with air transport

 米国は、911の「犯人」とされる「テロ組織」アルカイダが多く潜んでいると言ってアフガン占領を開始したが、米軍のマクリスタル司令官は昨年9月、アフガンにアルカイダがほとんどいないことを認めた。米軍は、占領を続ける意味がないことを自ら認めたことになるが、同時にマクリスタルは4万人の米軍増派をオバマに申請し、大筋で認められている。 (Obama's Secret: Only 100 al-Qaeda in Afghanistan) (International Terrorism Does Not Exist

 昨年8月にはアフガンの大統領選挙で、カルザイ陣営が大規模な不正を行っていることが発覚した。だが、11月のやり直し的な決選投票を行う直前に、対立候補が立候補を取り下げ、なし崩し的にカルザイの勝ちになった。これは、カルザイの政治信頼性を低下させた。カルザイは04年の選挙でも不正を指摘されたが、カルザイは米国が据えた傀儡なのだから、選挙不正は米中枢が了承(黙認)していたはずだ。 (アフガニスタン民主化の茶番

 何とか政権を維持したカルザイは、アフガン人の反米感情の高まりの中で、米国と自分との対立をことさらに見せることで、人気の保持を図った。アフガン占領の失敗がしだいに決定的になる中で、米政府内では国務省などに「カルザイの腐敗」を口実にアフガンからの米軍撤退を進めようとする勢力も出てきた。米政界では、米国の覇権を自滅させようとする勢力と、自滅策を途中で転換して覇権を維持しようとする勢力が暗闘しており、自滅を防止したい勢力が、アフガンからの撤退を模索したようだ。 (Is the White House Signaling an Afghan Exit Strategy?

 駐アフガン米大使のエイケンベリーは昨年10月「カルザイは米国にとって適切な伴侶ではないので、米軍はアフガンに増派すべきでない」とする報告書を、二度にわたってオバマ大統領に打電した。この提案をめぐり、政権中枢で激論があったが、結局オバマは3万人の増派を決めた。 (Obama Ignores Key Afghan Warning

 昨年10月にはアフガン南部で、英軍と交戦中にタリバンが民家に入ったため、オランダ空軍機がその民家を空爆し、住んでいた一般市民を殺してしまう事件が起きた。オランダでは連立与党内でアフガン駐留を続けるかどうかで激論が続き、結局2011年にアフガンから自国軍を撤退させることを決めた。カナダとニュージーランドも同様の決定を行った。 (Dutch jet accidentally bombs Afghan civilians) (Canadian Forces Prepare for Afghan Withdrawal

 アフガンは冬に厳寒となるので、戦闘は主に夏に行われる。昨年夏の戦闘はNATOが負け、タリバンの優勢が進んだ。タリバンは今や、夜間に国土の8割を支配している。昼間はNATO軍が戦闘機を出せるので、タリバンは隠れているが、夜は事態が逆転する。NATOがおさえているのは首都カブール周辺のみだ。歴史を見ると、かつてアフガンを支配した英国もロシアも、しだいに支配が失敗してカブールのみの占領となり、撤退に至っている。 (Taliban Claims to Control 80% of Afghanistan

 カブールでは、米大使館の警備などをする米軍傘下の傭兵団が、夜になるとタリバンの格好で武装して市内に出ていき「無許可の軍事行動」を行っていると報じられている。イラクでも、米傭兵団による市民殺害など不法行為が問題になった。こうした行為の放置が、どんな戦略に基づくのか不明だ。市民の反米感情をあおる自滅行為に見える。 (US Embassy Guards Dress as Afghans, Go on Military Ops at Night) (米イラク統治の崩壊

▼足抜けできないドイツ

 NATOは、アフガン人を訓練してアフガン政府軍と警察組織を創設し、治安維持任務を委譲して占領を終わらせる計画だが、これは成功しそうもない。訓練中の軍や警察の中に、タリバンの回し者が無数におり、アフガン政府の作戦内容はタリバンに筒抜けだ。戦闘になると寝返りが続出する。米国は、イラク人を訓練した時にも全く同じ問題に直面して失敗したのだが、全く懲りずに失敗を繰り返している。米政府は「アフガン軍を編成できなければ占領は失敗だ」と言うが、失敗はすでに決定的といえる。 (Afghan Police Penetrated by Taliban at `Every Level') (Afghanistan's Sham Army

 オランダやカナダが撤退するなら、ドイツも撤退できなくはないが、撤退すると「ドイツのせいでアフガン再建が失敗した」と米英などからいわれる。古くから英米の同盟国であるオランダやカナダは、英米の軍事行動に協力し、世論を説得できたら派兵し、厭戦機運が強まると撤退することを繰り返してきたが、ドイツは「敗戦国」の縛りを解除されてから日が浅い。アフガン撤退は、冷戦後のドイツが欧米内で築いた安全保障面の信用を崩し、国内的にも、海外派兵はもうごめんだという機運を作ってしまう。

 ドイツ政界の左派は、欧州から遠いアフガンに派兵すべきでないと前から言っていた。だが、ブッシュ政権時代の米国が、単独覇権主義や拷問容認など、欧州人に受け入れられない方針を採り、欧米関係が分裂してしまった後、何とか欧米関係を元に戻したいという考えがドイツ政界の右派にあったので、米国からアフガン再建を手伝ってほしい要請された時、ドイツ政府は断りたくなかった。

 結局、ドイツはアフガン撤退に踏み切れないが、米軍のように積極的な軍事行動をする気になったわけでもなく、中途半端に駐留を続けている。米軍は、アフガン北部に2500人を派兵する構えを見せ、使いものにならない独軍ではなく米軍が北部に駐留した方が良いと言わんばかりの行動をとっている。 (Berlin Reluctant to Follow American Lead on Afghanistan

 米国は、こうした意地悪をする一方で昨年末、ドイツ軍に2500人の増派を求めた。増派どころか撤退を求める世論が強いので、ドイツの国防相は昨年末「民主主義は、アフガニスタンにふさわしい政治形態ではない」と発言し、増派を断る姿勢を見せた。しかし、米国との関係を悪化させたくないドイツ政府は結局、800人の増派に応じた。ドイツ軍は不本意ながら、無意味と知りつつも、失敗色を強めるアフガンに駐留し続けねばならない。 (Afghan Planning Faces Grim Realities) (German Defense Minister: Afghanistan Not Suited for Democracy

 米国は、兵力増派による戦力強化によってタリバンに勝ち、アフガンを安定化すると言っているが、ドイツ政府は、その戦略は失敗すると考え、むしろタリバンとの交渉を望んでいる。ドイツに撤退されるとNATOが解体しかねないと恐れる英国は、米独の間を取り持ち、アフガン占領を立て直すため、1月末にロンドンに60カ国の代表を集め、アフガン関連諸国会議を開いた。 (Is London Conference Becoming a Taliban Fundraiser?

 この会議では「タリバンの下っ端の兵士たちは生活に困って兵士として雇われている」との分析から、日独などに金を出させ、下っ端の兵士たちを雇う失業対策事業を盛んにして、タリバンの軍事力をそぐ作戦の実行が決まった。しかし、この作戦もアフガンの社会構造を誤認しており、成功しそうにない。アフガンは前近代の部族社会が生きており、人々は個人の意志や生活事情から兵士になっているのではなく、部族や地域社会の大きな利害関係の中でタリバンに協力したり、敵対したりしている。タリバンの下っ端に渡した金は、部族連合体であるタリバンに上納され、敵を利するだけだ。 (Spirits up as allies prepare Afghan offensive

 このタリバン買収策と並行して、米軍主導のNATOはタリバンへの攻撃を再開する予定だが、NATOに攻撃されるほど、タリバンの部族連合は結束し、買収用にあげた金はNATOにとって良い効果を何ももたらさない無駄金となる。買収策をやるなら、戦闘をやめた上で行わねばならない。タリバン側は「外国軍が撤退しない限り、買収策など成功しない」と発表したが、これは正しい。 (Taliban: Buyout Futile Without Foreign Pullout

▼アフガンに必要な多極型解決

 NATOのアフガン占領は失敗に向かっている。タリバンは勢力を強め、NATOは陸路の補給路を断たれつつある。物資のすべてを空輸せざるを得なくなり、戦費がかさむ。すでにNATO軍がアフガンで使う燃料は、1リットルあたり10から100ドルの輸送費がかかっている。米軍は1日一人当たり80リットルの燃料を使う。オバマは財政緊縮策を発表したが、軍事費は対象外だ。金をケチりだしたらアフガン占領は続かないが、占領を継続する限り、米政府は米本土での教育費や社会保障費をいくら削っても、財政難は終わらない。 (Afghanistan: 22 Gallons of Fuel Per GI Per Day; At $300-400 Per Gallon

 財政難になっても米政府はアフガンで軍事行動をやめにくい。支持率が落ちているオバマは弱腰と批判されたくない。だが、武力に頼る限り、タリバンの優勢が進み、いずれ核保有国である隣国パキスタンの政権も反米イスラム主義に乗っ取られ、米軍との戦場になっていく。関係各国は、この最悪の事態を何とか防ぎたいが、流れを変えることはできていない。

 とはいえ、最近になって新たな動きが出てきた。一つは、中国が少しずつ関与を強めていることだ。2月初めにドイツのミュンヘンで、毎年恒例の「ミュンヘン安全保障会議」が開かれ、そこに史上初めて中国の高官(楊潔チ外相)が招かれ、開会式で演説を行い、米国やドイツなどの閣僚と相次いで会談した。今年のミュンヘン会議の主要テーマの一つはアフガン問題だった。 (Chinese debut sets scene for Munich security talks) (台頭する中国の内と外(2)

 今年のミュンヘン会議には、インド、パキスタン、アフガニスタンも招待され、インドがパキスタンに高官協議の再開を提案した。印パ間の協議は08年のムンバイテロ事件以来止まっていた。同時にインドは、アフガン問題に関して、イランとの協調関係も強化している。アフガンをめぐっては従来、タリバンがパキスタン系で、その敵の北部同盟(タジク系など)がインド、イラン、ロシアに支援されていた。米国は1998年ごろを境にタリバン敵視に転じ、北部同盟と組んだが、同時に米国はイランを敵視し、ロシアをも警戒していたので、関係は複雑になった。 (US welcomes Indian offer of talks with Pakistan

 イランは近年、インド、中国、ロシアとの関係を強めており、印中露の3カ国はBRICとして協調している。アフガン占領が失敗色を強めるほど、NATOは中露やイランなど、これまで味方でなかった国々の協力を得ることが不可欠となる。その一例が、ミュンヘン会議への中国招致だったといえる。米国がイラン敵視をやめるかどうかは、イスラエルとの関係もあって不透明で、むしろイラン・イスラエル戦争の懸念も色濃いが、全体として、イラン、中国、ロシアといった非米諸国が入ってくると、アフガン問題は新たな解決の方に向かう可能性が強くなる。

 米軍はイラクから撤退する過程にあるが、米軍撤退後のイラクは、イラン、トルコ、シリアといった近隣諸国の協力を得て統一を維持する新たな国際体制が確定しつつある。同様にアフガニスタンも最終的には、印パ、中国、ロシア(中央アジア諸国)、イラン、サウジアラビアといった、近隣と周辺の諸国の協力によって、アフガンの統一と安定が維持される体制になると予測される。欧米も引き続き関与するだろうが、欧米と中露イランは、対等な立場でアフガンに関与するようになる。

 その事態に至るまでには、少なくともあと1-2年、米軍が軍事行動を拡大し、失敗していく過程が続くだろう。だが、いずれ米国は軍事力に依存する今のアフガン政策をあきらめ、中露イランの協力を得る新たな多極型の政策に転換する。その際に、国際政治全体の多極化が進むことになる。米軍司令官は最近「アフガンの戦争は今後1年半が正念場で、この戦争の結果は、今後数十年間の世界の安全保障体制を決定する」と語っている。この発言は、米軍が失敗した場合の世界体制の多極化を容認しているように見え、興味深い。 (Next 18 Months Vital to Afghan War



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