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中国の傘下で生き残る北朝鮮

2010年9月3日   田中 宇

 北朝鮮の独裁権力者である金正日が、8月26日から30日まで5日間の日程で中国の東北三省を訪問し、吉林省の長春で中国の胡錦涛主席と会談した。北朝鮮は9月6日に、今後の国策を決定する労働党代表者会議を30年ぶりに開く予定で、そこで決めることを事前に中国側に伝える目的で、金正日が胡錦涛に会いに行ったと考えられる。 (NKorea confirms Kim's not-so-secret trip to China

 金正日が、今後の北朝鮮の国策として決めた事項と考えられるもののうち、最も騒がれていることは、三男の金ジョンウン(金正銀?)への権力継承と、20歳代のジョンウンの摂政役として、金正日の妹の夫である経済改革派の張成沢(チャン・ソンテク)を就任させることだ。金正日が、今回の訪中にジョンウンを連れていったかどうかは不明だ。北朝鮮側が中国側に渡した一行の名簿には、ジョンウンの名前は入っていない。

 しかし、1980年に前回の党代表者会議が開かれたとき、金正日は金日成の後継者として劇的に登場し、党の要職に就任した。金正日が、息子のジョンウンに、自分と同様の劇的な登場をさせるつもりなら、今回の訪中でも名前を出さずに同行させ、胡錦涛ら中国の高官に非公式で面通しをして、6日の党代表者会議の準備とした可能性はある。 (N. Korean leader pays tribute to late father on way home

 金正日一行は今回の訪中で、吉林市、ハルピン市、牡丹江市にある金日成の関係の史跡に立ち寄っており、これらを回るため、5日間の全日程のうち3日間を費やしている。金正日がジョンウンを連れてこれらの史跡を回ったのであれば、それは息子と孫が金日成の偉業をしのぶという、北朝鮮国内に向けた「三代目への代替わり」を象徴する行為である。同時に、かつて金日成が中国にお世話になりつつ北朝鮮を建国した史跡を金正日らが訪問することで、中国に対する依存を強めた金正日が、中国に忠誠を示す構図にもなっている。 (China, North Korea Tout Friendship Amid Kim Visit

 中国共産党は、権力の世襲を好んでいない。胡錦涛らは金正日に対し、世襲より集団指導体制の方が安定的だと勧めていると推測できる。しかし北朝鮮では、金日成から金正日に権力を世襲する際、世襲に反対する国内の意見を抹殺した結果、北朝鮮には、世襲体制にぶら下がって自らの政治生命を維持する世襲支持派しかいない。血縁に頼らない集団指導体制の構築は困難だ。中国から支援を受けている金正日は、ジョンウンを連れて胡錦涛に会いに行き、ジョンウンを後継者にすることを中国側に報告したと考えられる。 (North Korea Leader Travels With Son to China: Reports

 9月6日の党代表者会議でジョンウンが劇的に登場するかどうか、まだわからない。韓国には、党代表者会議でジョンウンが劇的に高位の役職に就任することはないかもしれないと予測する分析者もいる。代表者会議でジョンウンが高位の役職に就かない場合、金正日は国内外の目を欺くために「世襲をするふり」をしているだけで、実際の権力は張成沢に与え、集団指導体制の方に持っていくつもりだという見方が強くなる。6日の代表者会議が注目される。 (Rare Party Conference in N. Korea Raises Succession Questions

▼中国の保証を得て改革開放する北朝鮮

 金正日の訪中にジョンウンが同行しなかった可能性もあるが、それと対照的に、張成沢は同行した可能性が強い。張成沢の妻である金敬姫(金慶喜、キム・ギョンヒ)は金正日の妹で、軽工業大臣をしているが、張成沢と金敬姫の夫婦は昨年末以来、金正日が行う視察のほとんどすべてに同行している。 (Who's Riding on Kim Jong-il's Armored Train This Time?

 以前の記事「代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮」に書いたように、張成沢は、北朝鮮における経済開放政策の最高責任者で、今年6月、北朝鮮の最高権力機関である国防委員会の副委員長に就任している(委員長は金正日。副委員長はほかに3人いる)。北朝鮮は04年まで中国式の市場経済化(改革開放政策)を導入し、張成沢はそれを主導した高官の一人だった。だが北朝鮮の上層部では、軍部や保守派が市場経済化に猛反対し、張成沢は権力闘争に敗れ、04年から06年まで失脚していた。その後、中国の大国化とともに、金正日は再び市場経済化を重視し、張成沢を復権させ、今春には軍部や経済保守派の高官が次々と失脚したり突然死したりして、その分、張成沢の権力が強まった。 (◆代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮

 8月には、張成沢と一緒に経済自由化政策を担当し、資本主義的な賃金制度を導入しようとして07年に失脚させられた朴奉珠(パク・ポンジュ)元首相が、党の経済関係の要職に復権した。9月6日の党代表者会議に向け、張成沢の一派の権力が着実に強化されている。日本のマスコミは、北朝鮮の権力継承の件でジョンウンのことばかり報じるが、実際に重要なのは張成沢である。 (North Korea Reinstates Market-Oriented Official) (Jang Song-thaek to get North's No. 2 post: source

 今回、訪中した金正日と長春で会談した胡錦涛は、張成沢の一派を応援するような発言をしている。韓国政府筋によると、胡錦涛は会談で金正日に対し、北朝鮮が中国を見習って経済開放政策を進めるべきだと、強く勧めた。胡錦涛は「社会主義の近代化(改革開放)は、中国の30年間の経験に基づいた、経済の改革と開放の政策だ。(北朝鮮が固執してきた)自力更正の考え方は、重要ではあるが、経済発展は外国との協力関係なしに達成できるものではない」と述べた。胡錦涛は金正日に対し、金日成が打ち立てた北朝鮮の孤立主義的な主体思想では経済発展できないと断言したも同然だ。 (President Hu tells Kim to follow China

 改革開放を修正主義と罵っていた10数年前の金正日なら、胡錦涛の言葉に顔をしかめただろうが、今回の金正日は、胡錦涛の意見に同意し、経済の改革や開放が重要だと返答した。金正日は「数年前に市場改革を導入したが、企業家層が政権転覆を図って危険なので途中で放棄せざるを得なかった」という言い訳めいたことまで胡錦涛に言ったという。金正日は今年5月にも訪中し、その時は温家宝首相が金正日に改革開放の重要さを説いたが、温家宝は金正日が気を悪くしないよう北朝鮮の政策を批判しなかった。今回の胡錦涛は、5月の温家宝よりずっと直裁的で「市場原理の導入が重要なんだ」と、金正日にはっきり伝えた。

 私がこの胡錦涛の発言から考えたことは、中国側がこれだけ強く北朝鮮に「中国の経験に基づいて確立された経済開放政策」の導入を求めるということは、逆に言うと、もし中国式の開放政策が北朝鮮の社会に合わずに失敗し、北朝鮮が貧困から脱せない場合、中国が北朝鮮に経済支援して補償してやるつもりが、中国側にあるということだ。外国との交渉で金を取ることばかり考えてきた金正日は、胡錦涛に、中国式の開放政策をやって失敗した場合に責任をとってくれるかと尋ねているはずだ。

 そして、北朝鮮に改革開放の導入を勧め続けている胡錦涛は、失敗したら助けてやるから早く改革開放を始めよと金正日に返答しているはずである。巨額の外貨準備を持ち、中央アジアやアフリカなどの諸国に資金を出して中国式の経済政策をやるよう勧めている中国が、その対象の中に北朝鮮を加えることは不思議でない。金正日は、中国の保証を得られたからこそ、経済改革派の旗手である張成沢を復権させ、自分の事実上の後継者として据えたのだと考えられる。北朝鮮は、これから改革開放を本格導入するにあたり、中国の「債務保証」を得たことになる。

 胡錦涛は、今回訪中した金正日を厚遇した。中国外交では異例なことに、胡錦涛は長春で、金正日と同じホテルに泊まった。厚遇の背景には、金正日が張成沢を事実上の後継者に据え、中国式の改革開放を始める姿勢をとったことがありそうだ。金正日が今年5月に中国を前回訪問した時は、張成沢を事実上の後継者に抜擢した6月の最高人民会議よりも前で、金正日は「これから張成沢を抜擢します」と胡錦涛に言ったのだろうが、今回は、その抜擢を約束どおり実現した後なので、金正日は胡錦涛に大歓迎されたのだろう。中朝は、両国関係について何も発表しないので、韓国では「金正日は今回も、中国から何の支援も得られなかった」と「解説」されているが、韓国政府が本気でそんな分析をしているとは思えない。 (Kim Jong-il's China Visit 'Hastily Arranged'

▼北が市場経済化したら韓国の対米従属は終わる

 北朝鮮は、改革開放が成功すれば、安定的な経済成長を得られ、10年以内に貧困を脱し、20年以内に新興工業国の仲間入りができるかもしれない。改革開放が失敗しても、中国の支援が得られ、国家崩壊を免れる。この新事態は、北朝鮮をめぐる国際関係を劇的に転換させうる。

 北朝鮮は冷戦後、どこからも支援を得られず、欧米日から制裁されて窮し、核実験やミサイル発射などの暴挙によって米韓の気を引いて支援をせびるしかなかった。しかし今後、改革開放策が軌道に乗るほど、北朝鮮は経済的にも政治的にも国家破綻の可能性が低くなる。中国の保証があるので、米韓日に経済支援してもらう必要もなくなる(だから金正日は今回、訪朝した米国のカーター元大統領に会わず訪中した)。

 改革開放を進めるほど、北朝鮮は安定し、米韓との緊張を高める必要はなくなる。すでに現在、朝鮮半島の緊張を高めているのは、北朝鮮よりも、天安艦沈没事件で北朝鮮に濡れ衣を着せて犯人扱いしている米韓の側である。韓国は、すでに天安艦問題をきっかけに政局が混乱し、韓国政府は北朝鮮を敵視する政策を引っ込めている。米国も、北朝鮮を追加経済制裁して敵視する姿勢と、カーターを訪中させて北朝鮮と話し合う姿勢の両方を見せ、北朝鮮政策の腰がすわっていない。米国は、すでに北朝鮮との経済関係をほとんど切っており、追加制裁は口だけだ。 (Closer N. Korea-China relations undercut effect of US sanctions

 北朝鮮は、中国との関係を強化すると、米韓日を敵視する軍事的暴挙も、中国に諭されるのでやれなくなる。北朝鮮が中国の傘下で安定していくと、中長期的に、朝鮮半島の緊張は緩和され、在韓米軍が駐留し続ける理由が薄れる。

 中国は最近、6カ国協議の再開を提唱し、中国代表の武大偉外務次官が韓国や北朝鮮を訪問した。北朝鮮は乗り気で、6カ国協議に参加したいと、訪中した金正日が胡錦涛に伝えている。北朝鮮が6カ国協議に出たがるのは、天安艦事件の濡れ衣を晴らす真相の再調査を米韓に提唱する好機だからだ。中国とロシアは、天安艦沈没で北朝鮮を犯人と断定した米韓の調査結果に納得せず、北朝鮮が提唱する南北合同の再調査に、基本的に賛成している。6カ国協議が開かれると、窮地に追い込まれるのは韓国の方なので、韓国は6カ国協議を開くことに反対している。対米従属に必要な北朝鮮敵視策にひびが入るので、日本も6カ国協議の再開には反対だ。しかし米国は協議再開に賛成しており、日韓が不利になっている。 (Visit brings little progress, Chinese envoy tries to get six-party talks back on track

 中国が6カ国協議の再開を提唱するのは、北朝鮮の核廃棄と、在韓米軍撤退の両方を得られ、中国にとって一石二鳥の枠組みだからだ。中国は、北朝鮮より優位に立つため、北朝鮮に核廃棄させたい。その際、在韓米軍の撤退と引き替えなら、北朝鮮も核廃棄するメリットがある。

 軍優先の政策で政権を維持していた従来の金正日にとって、体制維持に必要な敵として在韓米軍の存在は便利だった。だが、改革開放で経済成長して国家存続する方向に転換する今後は、国家財政の面から見てむしろ軍が小さい方が良くなり、在韓米軍の撤退による南北の緊張緩和が好ましいことになる。

 北朝鮮が改革開放策に転じるなら、韓国にとっても、北と敵対するより協調し、投資先や工業下受け先にした方が良くなる。韓国が北朝鮮と敵対し続けていると、北朝鮮の経済利権はすべて中国のものになってしまう。そのあたりのことについて、財界出身の李明博大統領は敏感なはずだ(彼が政治的にうまく方向転換できるかどうかは別だが)。北朝鮮の改革開放が進むと、韓国は、対米従属よりも中朝に接近する方を好むようになる。

 北朝鮮が改革開放を軌道に乗せることは、中国にとって、自国周辺の安定化と、朝鮮半島から米国の影響力を追い出すという政治的利得がある。経済面でも中国側は、大連をはじめとする東北三省の製造業を今後ハイテク化していく中で、従来型の労働集約型の製造業を北朝鮮に下請けさせられる。中国政府は、北朝鮮を経済的に東北三省と一体化させて北朝鮮の改革開放策を成功に導こうとしており、それが今回、金正日が東北三省を5日間もかけて見て回った理由かもしれない。

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