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中東の中心に戻るエジプト(下)

2011年5月3日   田中 宇

この記事は「中東の中心に戻るエジプト(上)」の続きです。

▼イランとの和解へ

 エジプト新政権は、イランとの和解も進めている。米イスラエルはイランに「核疑惑」の濡れ衣を着せ、敵視し続けている。だが中東のイスラム諸国では、イラク侵攻後のイスラム主義や反米反イスラエル感情の高まりを受け、悪いのはイランでなく、米イスラエルの方だと考える世論が強まっている。 ('Iran appoints first ambassador to Egypt in 30 years') (Egypt ready to 'open new page' in relations with Iran

 79年のイラン・イスラム革命後、イランとの国交を断絶したエジプトでも、イランとの国交を回復すべきだという世論が、ここ数年強まった。しかし、米イスラエルの傀儡であるムバラクは、イランと国交を回復するわけにいかず、エジプト政府はイランとの関係を少しずつ改善しつつも、国交を結んでいなかった。ムバラク追放後のエジプトは、米イスラエルの傀儡であることから解放され、自立的な外交戦略を採れるようになり、イランとの国交正常化へと近づいている。同時にエジプト新政権は、イラク侵攻後にシーア派主導の国に転換してイランの傘下に入った新生イラクとも関係を強化している。 (Egypt shakes up Middle Eastern order

 エジプトはナセル大統領の時代、アラブ諸国を統合する国際政治運動を率いる中東の主導国だったが、ナセルの死後、エジプトは米イスラエルの傀儡国へと堕落していった。米国が揺るぎない世界の覇権国だった時代には、傀儡的な国是が現実的だったのだろうが、イラク占領失敗後、米国の覇権の衰退や、中東イスラム主義の高揚などの変化が起こった。それを受け、エジプトの軍や政界、世論の中に、米イスラエルの傀儡から脱し、かつてのような中東の主導国にエジプトを戻すべきだという考え方が強まった。しかしエジプトの権力はムバラクに握られ、国是の転換ができなかった。 (やがてイスラム主義の国になるエジプト

 この行き詰まりを転換したのが、チュニジアからエジプトに飛び火した民主化運動だった。もし米国がムバラクを強く支持し続けていたら、エジプト革命は成就しなかっただろうが、米政府はムバラクに民主化を要求した。これを見て、かねてからムバラクの独裁による自国の疲弊を快く思っていなかった軍部が、ムバラクを辞任へと押しやり、暫定新政権を作った。新政権がイスラエルを批判し始め、パレスチナの内紛を和解する仲裁を開始し、イランとの国交回復を進めるのは自然な流れだった。 (エジプト革命で始まる中東の真の独立

 パレスチナの和解仲裁を進めたのは、ムバラク政権の諜報長官を長く務め、ムバラクに対抗できる存在として革命開始後に副大統領になり、ムバラクに引導を渡したオマル・スレイマンだと目されている。スレイマンは、新政権を率いる軍の最高評議会のメンバーだが、ムバラク政権の重鎮だった経歴を国民に批判されかねないだけに、革命後は公式な場にいっさい登場せず、黒子に徹している。パレスチナ仲裁やイランとの和解、イスラエル批判などの外交を表舞台で代表しているのは、暫定政権のエルアラビ外相で、彼は革命開始時、いち早く革命に賛同した人でもある。 (Egypt's revolution brings new players to move Palestinian pieces into place

 今のエジプトはまだ暫定政権であり、今秋の議会と大統領の選挙後までは、国家戦略は確定的なものと言えない。しかし軍部が国家安定の要であり、ムスリム同胞団が最大の政治勢力である状況は今後も変わらないだろうから、今始まっているエジプトの国家戦略はおそらくずっと続くだろう。中東ではここ数年、イランとトルコが、中東全域に対して影響力を広げる国家戦略を採っている。米国の影響力が低減していく中で、エジプトは今後、イランやトルコと並ぶ中東の地域覇権国になっていく可能性が強い。 (近現代の終わりとトルコの転換

 半面、米国が強かった時代に中東で大きな影響力を持っていた親米のサウジアラビアは、国家戦略を劇的に転換しない限り、影響力が低下していくだろう。サウジは07年前後、通貨のドルペッグをやめて、サウジ傘下のGCC(ペルシャ湾岸諸国)の共通通貨を作っていく構想を持っていたころには、経済を主軸に米国の覇権から脱して自立していくかに見えた。だが結局のところサウジ王家は、対米従属から自立する踏ん切りがつかなかった(日本と似ている)。 (原油ドル建て表示の時代は終わる?

▼ムスリム同胞団の本質

 今後のエジプトで最大の政治勢力になりそうなのは、ムスリム同胞団である。社会運動の組織である同胞団は、ムバラク時代に政党活動を禁じられていたが、4月30日、政党として「自由公正党」を創設し、9月の議会選挙に向けて全議席(508)の半分をとる目標を掲げた。同胞団はそれまで、全議席の3分の1をとることを目標としており、野心的な目標の上方修正である。同胞団の支持者数から考えて議会の半分はとれず、3分の1程度にとどまると予測する分析者もいるが、いずれにしても最大政党になるだろう。 (Egypt's Brotherhood contests half of parliament seats

 同胞団が与党になってエジプトが中東の大国として外交戦略を展開すると、その戦略はイスラム主義をアラブ諸国の全域に拡大しようとするものになる可能性が大きい。イスラム主義というと、民主主義を否定するイスラム聖職者による独裁のような悪いイメージがある。しかし、同胞団はイスラム主義の各派の中で穏健な方である。

 イスラム主義勢力の中で強硬なのは「サラフィ」である。サラフィは「先人」の意味で、イスラム教を興したムハンマド(マホメット)やその直後のイスラム指導者を模範として、そうしたイスラム初期の先人の教えに厳密に忠実に生きようとする運動で、他の信者にもそれを強いる運動だ。サラフィ主義はイスラム教の1300年の歴史の中で何度か出てきたが、最新のものは欧州文明が中東を席巻し始めた19世紀中葉、欧州文明に対抗するイスラム文明の復興を意図してエジプトのアズハル大学などを中心に出てきた思想だ。その前には、18世紀にサウジアラビアで起こったワッハーブ運動(今のサウジ王家はこの宗教運動に乗ってアラビア半島を征服した)もサラフィの一つと考えられている。

 サラフィの中にもいろいろな考え方があり、ムハンマドの時代より後に発明された機能や技術、システムなどを否定する考え方と、イスラムの教えに反しない範囲で後世の発明を容認する考え方があるが、全体として、欧米文明に基づくシステムや思考を排除しようとする傾向が強い。議会制民主主義や政党政治、経済政策、憲法など、全部ダメということになる。だからサラフィ主義者の中には、政党も作らず、選挙も否定している者が多い。またサラフィ主義者の多くは、シーア派やスーフィ主義(イスラム以前の信仰をひそかに取り込んでいる神秘主義。広義のスーフィにシーア派も含まれる)を、イスラムを汚す邪道・偶像崇拝として強く嫌い、攻撃する傾向が強い。シーア派やスーフィ信者は殺して良いと考えるサラフィもかなりいる。女性差別を肯定する者も多い。 (Salafist groups find footing in Egypt after revolution

(イスラム教は、ムハンマド以前の歴史や信仰を「暗黒のもの」と強く否定し、勃興期のイスラム勢力が持っていた強い軍事力で、イスラム以前の信仰を持つ勢力を強制的にイスラムに改宗させた。その際、以前の信仰を持っていた勢力は、以前の信仰をイスラムの教えの下に隠し持つようになり、神秘主義的なスーフィやシーア派が生まれた)

 ムスリム同胞団は、イスラム主義ということで、サラフィの仲間であると考えられることが多い。欧米マスコミは、そのように報じる傾向がある。だが、同胞団の規範の4本柱は(1)イスラム教はあらゆる制度・システムを含むと考える、(2)政治改革における暴力を否定、(3)民主主義の肯定、(4)複数政党制・政治多様性の容認、である。サラフィ主義者の多くは、この4本柱を肯定できない。 (The Muslim Brotherhood's trial of pluralism

▼同胞団と軍の関係

 エジプトではスーフィを信仰する地域が各所に存在する。キリスト教徒(コプト正教徒など)も多い。ムバラク時代にはイスラム主義運動が強く抑制されていたが、革命によってそれが解除されたとたん、各地のスーフィの廟やキリスト教会が破壊される事件が連発している。サラフィ主義者の犯行とか、サラフィの犯行に見せかけたムバラク支持者(旧治安警察要員ら)の犯行とか言われているが「同胞団が政権をとると、宗教弾圧がひどくなる」という予測の先例として報じられている。 (Secular forces must organise themselves before opposing Islamists

 実際のところ、すでに述べたように同胞団はサラフィと決定的に異なる方針を持ち、キリスト教組織や女性団体との交流を開始している。しかも1938年に同胞団を設立したハサン・アルバンナーは、12歳から32歳(同胞団設立の6年前)までの20年間、スーフィの教えを学んでいた。アルバンナーはスーフィの考え方を同胞団の結成に持ち込んでおらず、同胞団の支持者にはスーフィよりサラフィの方が多く、同胞団はサラフィ的な色彩を持っているようにも見える。 (Hassan al-Banna From Wikipedia

 しかし、アルバンナーが同胞団を結成した目的は、当時から現在まで、イスラム世界の政界や思想界がいくつもの勢力に分裂し、相互に敵視し合っているがゆえに、英米やイスラエルといった中東を支配しようとする勢力に、簡単に負けたり使われたりしてしまう状態を乗り越えるためだった。同胞団はスーフィとサラフィのどちらを支持するのかということでなく、同胞団はスーフィもサラフィも包含する折衷的、最大公約数的な、曖昧さを意図的に残した存在である。同胞団が自ら政党にならず、自由公正党という別組織を立ち上げて今秋の選挙に出ることになったのは、同胞団内部のサラフィ的な人々から「政党政治はイスラム的でない」と批判されるのを回避するためかもしれない。

 イスラムの教えを広義にとらえることで欧米的な近代システムを取り入れ(狭義にとらえると欧米近代システムを拒否せざるを得なくなる)、イスラム法を至上のものとするが法改革も必要と考え(ムハンマドの時代そのままで適用するのが良いとは考えない)、国家の枠を超えて同胞団の組織を拡大していくことで欧米によって分割されたイスラム世界を再統合(カリフ国を再建)するのが同胞団の方針だ。エジプトやシリアを筆頭に、アラブ各国の為政者は、国家を超えた統合を希求する同胞団を弾圧することが多かった。

 同胞団には、派閥抗争を止揚する最大公約数的な曖昧戦略があるので、内部でサラフィ的な勢力が強くなれば、同胞団はサラフィ主義だと言われるようになる。しかし実際のところ、同胞団の曖昧戦略は、ムハンマドの預言と言動録にのみこだわる一元的で強硬なサラフィでなく、イスラム以前の宗教哲学体系を隠然と保持している表向き柔軟で現実的なスーフィやシーア派の奥義的・密教的なあり方に近い。このような同胞団のあり方は、創始者のアルバンナーがスーフィを学んでいたことと関係があるかもしれない。「同胞団はスーフィ的だ」と批判的に論じる人もいる。 (Sufism Spawned The Muslim Brotherhood

 革命以後のエジプトは、軍部が権力を握っている。エジプトの軍部はナセル以来、政教分離(リベラル主義もしくは社会主義)を重んじる勢力で、イスラム主義の政治台頭を嫌ってきた。そう考えると、軍部は同胞団の台頭を嫌っているということになるが、実際はそうでない。革命の早い段階から、軍部はむしろ組織力がある同胞団が民衆運動に加わることを歓迎し、民衆運動が無秩序化するのを同胞団に抑止統制させようとしたふしがある。軍部と民衆運動家の対話会に、エルバラダイは呼ばれなかったが同胞団の代表は呼ばれている。軍部がムバラクの政党だった国家民主党を解体したのも同胞団に漁夫の利を与えている(これで同胞団がエジプトで唯一の大規模政治勢力となった)。エジプト新政権がハマスの面倒を見るようになったのも事実上の同胞団容認だ(ハマスは同胞団から分派した)。 (Egypt at a crossroads; where does the Muslim Brotherhood stand?) (Islamist Group Is Rising Force in a New Egypt

 エジプトはイスラム教徒が90%を占める国で、米国のテロ戦争への反動などで、この10年ほど、人々のイスラム信仰は非常に強まっている。エジプト社会の安定を維持するのが軍部の存在意義である以上、軍部は以前のリベラル主義(欧米化した国づくり)へのこだわりを捨て、イスラム的な政治体制を容認せざるを得ない。イスラム主義の諸勢力の中で、同胞団は最も多元的・現実的であり、しかも最大勢力だ。エジプトの軍部が、ムバラク後のエジプトのあり方として、同胞団を中心とするイスラム政治体制を擁立するのは自然な流れだ。 (Egypt wants Qur'an doctrine in law: Poll

▼エジプトが先導するイスラム主義の中東自立

 エジプトで軍部とムスリム同胞団が和合しつつあるように見えることは、中東全域の政治構造が約30年ぶりに大転換していくことにつながっていくと予測される。30年以上前の中東は、エジプトのナセルが、左翼的(政教分離派)なアラブ統合戦略(アラブ民族主義)を持ち、同じく左翼的なバース党のシリアやイラクとの大連合を模索し、米国の傀儡として機能するサウジやヨルダンなどの王室がこれに対抗する構図だった。エジプトが第三次中東戦争に負けた後、アラブ民族主義は下火になり、79年のイラン革命後、シーア派主導のイスラム主義を中東各地に広げようとする反米的なイランと、それを阻止しようとするスンニ派のサウジ中心の親米的な防御策との対立に取って代わられた。これ以降の30年間、スンニ対シーアの対立構造が維持されたが、それは米欧イスラエルが扇動した結果でもあった。 (Egypt in Danger of Becoming America's Greatest Middle East Enemy

 この30年間の対立構造が、今回のエジプトの転換によって崩れていく可能性がある。同胞団主導のエジプトは、中東を米欧イスラエルの支配下から離脱・自立させることを画策するだろう(エジプト暫定政権によるパレスチナ和解策で、すでにそれが始まっている)。中東政治のダイナミズムは、スンニ対シーアという作られた対立構造から、中東を米欧イスラエルの支配下から自立させようとするエジプト、イラン、トルコを中心とする動きと、米欧イスラエルによる支配に便乗してきたサウジ、湾岸産油小諸国、ヨルダンなどによる生き残り策との間の相克へと転換する。 (Egypt explains shift in relations with Iran

 同胞団はスンニ派の組織であり、シーア派のイランとは、同じイスラム主義でも別物というのが従来の見方だ。しかし、たとえば5月1日の米当局によるオサマ・ビンラディンの殺害に対する反応を見ると、イランと同胞団は「ビンラディンが死んだ以上、米国やNATOの軍隊は、イラクやアフガニスタンを占領し続ける意味がなくなる。早く撤退すべきだ」という、ほとんど同じ趣旨のコメントを発している。米欧イスラエルによる中東支配を終わらせ、中東を自立させることが、同胞団つまり今後のエジプトと、イランとの共通の目標であり、この点でイランとエジプトは、スンニとシーアの対立を超えて協調していくだろう。 ('No excuse for US presence in region') (Egypt's MB wants US to leave region

 同胞団は、シリアやバーレーンでも活動している。シリアでは同胞団がアサド政権を転覆させる動きの一翼を担い、バーレーンでは同胞団が議会で3番目に大きな政治勢力であり、王室による民主化弾圧を批判している。イランと同胞団(エジプト)は、シリアでアサド政権が転覆されて内戦になった場合、イランとエジプトが仲裁しうる。バーレーンに対しては、イランとエジプトが、サウジによる軍事介入をやめさせようとするだろう。 (Muslim Brotherhood Urges Protests In Syria) (Muslim Brotherhood tells Bahrain to listen to its people

 今後、米国の覇権が弱くなるほど、サウジやヨルダンの王室といった米国頼みの勢力が弱くなり、イランとエジプト、それからトルコによる連携的な仲裁の力が強くなり、中東の非米化が進むだろう(サウジでは、いずれ王室内で、対米従属からの自立を進める勢力が席巻するかもしれない)。3つの大国による中東の非米化・自立化は、BRICなどによる世界的な覇権の多極化と同じ方向の動きであり、中国やロシアが国連などの場で、エジプトなどの動きを支援する場面も増えるだろう。



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