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TPPより日中韓FTA

2012年1月1日   田中 宇

 すでに各所で報じられているが、南太平洋の島国サモアでは、2011年12月30日が存在しなかった。12月29日の次の日は、12月31日だった。サモアは、日付変更線の近くにある。従来、日付変更線が自国の西側を通るように設定し、日付が変わるのが世界で最も遅い国だったが、12月31日から日付変更線が東側を通るように変更し、日付が変わるのが世界で最も早い国となった。 (Samoa to Skip Friday, Lose Dec. 30, 2011 Forever

 サモアは、米英独が支配権を争う中、米国がしだいに優勢になる1892年、日付変更線の西側から東側に鞍替えした。今回、120年ぶりに日付変更線の西側に戻る。19世紀末は、米国が台頭して太平洋地域の支配的な勢力になり、英国の覇権衰退が始まった時期だ。サモアの前回の鞍替えは、米国の台頭に合わせて米国の時間帯に近づけ、対米関係を強化するのが有利と判断した。対照的に今回の鞍替えは、サモアと、中国、オーストラリア、ニュージーランドといったアジア太平洋諸国との関係が深くなり、米国よりアジアを重視する必要が生じ、アジアの時間帯に近づけることにした。米国の衰退と中国の台頭が、サモアの120年ぶりの鞍替えにつながった。

 米国の衰退と、中国(などBRIC)の台頭が、今後も長期的な傾向として続きそうである以上、サモアのような鞍替えは、日本を含む世界の多くの国々にとって自然な動きだ。日本にとって今後、この手の鞍替えの象徴になっていくかもしれない事象の一つが、今回のテーマである「米国とのTPPより、中国韓国との日中韓FTAの方が、日本にとって重要になりそうだ」という件だ。

▼日韓が連携して米中両方を譲歩させる戦略が良いのに・・・

 日中韓FTAは、2002年に始まった構想だ。昨年末まで、日中韓の学界関係者らがFTAについての学術的な合同研究を進めてきたが、準備期間は昨年末で終わり、今年は具体的な政治交渉に入る。今年5月に日中韓首脳会談が予定され、その前後に交渉が大きく進むと予測されている。 (KRUS S. Korea to prepare action plans on FTA with Japan, China

 日中韓FTAは、どの分野が自由貿易の対象になるか決まっていないなど、未確定の部分が大きい。しかし、昨年末までの予備的な交渉(学術研究)で、FTAを日中韓3カ国にとって利得のあるものにすることや、現実的な枠組みにすること、WTOと矛盾しないものにすること、できるだけ短期間に交渉して具現化することなどの方向性が決まっている。 (Is China-Japan-Korea deal an alternative to the TPP?

 これらの方向性の多くは、米国が中国除外のアジア太平洋の貿易体制として打ち出してきたTPPと、米韓FTAが抱えるマイナス面を意識したものだ。TPPや米韓FTAは、米国の経済システムをアジア諸国の市場に導入させ、アジア諸国がもともと持っていたシステムを廃棄させるという「アメリカナイズ」の色彩が強く、その点が日本や韓国などでの反対論につながっている。それと対照的に、日中韓FTAは、日中韓3カ国の個別の事情を最大限に尊重する方向性だ。

 アメリカナイズのTPPは、WTOに取って代わるものと見なされることが多い。対照的に日中韓FTAは、WTOに準拠することを掲げている。自由貿易立国である日本と韓国は、昔からWTOを重視している。かつて欧米主導だったWTOでは、中国など新興市場諸国の政治力がしだいに強くなり、WTO準拠は中国にも好都合だ。

 日本も韓国も、すでに米国よりも中国との貿易取引の方が多額であり、日韓とも、中国が最大の貿易相手国だ。日韓間の貿易も密接なので、日韓にとって長期的には、TPPや米韓FTAよりも、日中韓FTAの方が重要な貿易の枠組みである。

 TPPや米韓FTAは米国主導で中国排除、日中韓FTAは逆に中国主導で米国排除の構図ととらえることもできる。その視点に立つと、日韓は、米国と中国の両方を天秤にかけて、米国がアメリカナイズを強要してきたら「米国がそんな態度なら、日中韓FTAの方を重視しますよ」と言い、中国が真綿で首を絞めるように影響力を行使してきたら「中国より米国を大事にしたい」と言うという、バランス外交ができるはずだ。その戦略には、日韓の連携も重要になる。

 だが実際のところ、日本も韓国も、政権に対米従属一辺倒の派閥が強く、バランス外交をやる立場にない。日韓ともに、米国と交渉しようとすると、逆に米国から脅され、より大きく譲歩させられて終わる。特に日本政府は、米国を交渉相手でなく絶対服従の「お上」と見なす傾向が強い。日本と韓国の間も、協調するより対立する方が多く、日韓が協調して米中のバランスをとって外交するのは夢のまた夢だ。日本では今年、TPPと日中韓FTAの両方の交渉が進むだろう。だが「TPPに入らねば日米同盟が終わり、日本の破滅だ」「中国や韓国は信頼できない。日中韓FTAは日本に不利だ」といった、結論先にありきの議論が席巻するおそれがある。

 昨年末の野田首相の訪中時に決まった、日中間の貿易で円と元を多用していく新体制も、日中韓FTAと並立するものだ。円と元、円とウォン、元とウォンという3つの2国間の決済体制が合わさって、FTAと並ぶ日中韓の貿易決済体制になっていくだろう。今後、ドルの基軸性が低下していく中で、ドルを使わない日中韓の決済体制が重要になっていく。

▼戦後の終わりに蒸し返す日本の「戦争犯罪」

 日中韓FTAの体制ができていくことは、日中韓にとって「戦後」の体制からの脱却にもなる。戦後体制とは「冷戦」だけを意味しない。日本が中韓に対する「戦争責任」の問題を解決していくことをも意味する。韓国の李明博大統領は、先日の訪日時の野田首相との日韓首脳会談で、会談の半分以上の時間を従軍慰安婦問題に割き、日本を批判した。今年、韓国で議会と大統領の選挙があるので、韓国民の不満の矛先を日本の方に向けようとする韓国与党の意図がありそうだ。だが同時に、日中韓が冷戦構造や対米従属を離脱して協調していく今後の流れの中で、韓国として日本に言いたいことを先に大声で言っておく交渉の姿勢も感じられる。 ([Editorial] Korea, Japan and China

 日本としては、従軍慰安婦や南京大虐殺などの「戦争犯罪」問題について、全面謝罪の姿勢を明確にとることで問題を終わらせるのか(ドイツはEU統合に際しこの姿勢をとった)、それとも「それらは勝者(米英側)が勝手にでっち上げた戦時プロパガンダにすぎない」という正論を主張するのか(正しいけど究極的に米英をも敵に回すことになる)国是としての選択を迫られている。

 従来のように、対米従属の裏返しとして「アジアと協調しない」戦略の一環として、中韓の主張に反論・無視・軽視する戦略は、対米従属できなくなっていく今後、有効でなくなる。かといって、国際社会で北朝鮮並みの孤立に陥ることを恐れず「日本の戦犯問題はプロパガンダだ」と言い切る向こう見ずな度胸は、今の日本人になさそうだ。三島由紀夫らが死んで久しい。とすれば、プロパガンダに屈して、ドイツ的に、我慢して全面謝罪して乗り切るしかないだろう、と私は現実論として思う。もちろん、日本国民の総意があるなら、戦犯問題はプロパガンダだと中韓米英に向かって言ってやるのも良い。北朝鮮やイスラエルの国民と同じ気持ちを味わえる。

 もう一つ、日中韓協調・対米従属離脱の流れと関連して出てきているのが、日本の武器輸出規制の緩和である。武器輸出抑制は、日本が米国の軍事力の傘の下に永久にいるための戦略の一つだった。今後、日本が対米従属できなくなるとしたら、武器輸出抑制の自縛は取り払った方が良いと、日本の財界は考えているはずだ。日本の武器輸出抑制は、終戦直後でなく、冷戦が終わって日本が米国から放り出されるかもしれないという懸念が見え始めた1967年(英国のスエズ以東撤退と同じ年)に強化されている。 (Japan relaxes weapons export ban



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