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アサドが巻き返すシリア

2013年6月3日   田中 宇

 米欧がシリア上空を「飛行禁止区域」に設定することを検討していると報じられている。米国のオバマ大統領が国防総省に対し、飛行禁止区域の設定を検討するよう命じたという。いよいよシリアがイラクやリビアのように、米軍によって政権転覆されるのかと思った人も多いかもしれない。 (Exclusive: Obama Asks Pentagon for Syria No-Fly Zone Plan

 しかし詳細に見ていくと、事態はむしろ逆だ。最近、ロシアがシリアに地対空ミサイルや戦闘機を追加供給したことで、シリアに飛行禁止区域が設けられる可能性はほとんどなくなった。ロシアは、米欧がシリアに侵攻したり飛行禁止区域を設定することを思いとどまらせるために、シリアに兵器を供給することにした。 (Assad forces advance; West, Russia exchange barbs ahead of talks

 飛行禁止区域の設定には、米軍もしくはNATO軍などの戦闘機がシリアに領空侵犯し、迎撃してくるシリアの戦闘機を撃ち落としてシリアの空軍力を削ぎ落とし、地上から攻撃してくる地対空砲などを空爆で黙らることが必要だ。それをして初めて、米欧が許可しない飛行を許さない飛行禁止区域を設定できる。フセイン政権時代のイラクは長いこと飛行禁止区域に設定されていたが、当時のイラクは長期の経済制裁を受け、精密誘導ミサイルや戦闘機を少ししか持っていなかった。しかし、シリアは全く違う。 (和平会議に向かうシリア

 シリア軍はロシア製のミグ戦闘機を多数持ち、反政府派との内戦に使用している。ロシアは最近、追加のミグ戦闘機をシリアに輸出することを決めた。またロシアは、シリアにS300という強力な地対空迎撃ミサイルを輸出した(する)。シリアのアサド大統領は、すでにS300がシリアに設置されたことを示唆したが、ロシアはまだ輸出していないと言っている(たとえすでに設置してあってもロシアは米欧からの反発を避けるため、表向き否定するだろう)。 (Assad says Russia to honour Syria arms deals) (Israeli defense chief indicates if Russia ships advanced missiles to Syria, they could be hit

 シリア軍は、多数の地対空ミサイルやミグ戦闘機を持っている。飛行禁止区域設定のため米欧の戦闘機がシリアを領空侵犯すると、シリア軍が迎撃し、大規模な戦争になる。飛行禁止区域を設定する前に、米国はシリアと本格戦争になる。NATOの米軍司令官も、そのように指摘している。財政難で軍事費を減らしたいオバマ政権にとって、シリアを経済制裁したり、苦労せず飛行禁止区域を設定したりする程度ならかまわないが、本格戦争は困る。イラクやアフガンのように、巨額の軍事費がかかり、政権転覆後の国家運営に延々とつき合わねばならず、最終的に失敗して国際信用をさらに損ねかねない。つまり、ロシアがシリアにS300やミグを追加供給した時点で、シリアに飛行禁止区域を設定するのは不可能になった。ロシアは、唯一の空母をシリア沖の地中海に派遣した。これも米欧に侵攻を思いとどまらせるためだろう。 (Breedlove: No-fly zone over Syria would constitute 'act of war') (Russia Sending Air Defense Missile Systems To Syria Should Be Called 'Operation Human Shield'

 ロシアがシリアにS300やミグを追加供給することにしたのは、イスラエルがシリアを空爆した直後だ。イスラエルはシリアを弱体化させる目的でダマスカス近郊の軍事施設を空爆したが、結果としてロシアの追加供給を招き、シリアを強化してしまった。 (Multiple messages in Israel's Syria strikes

 シリアの地上では、アサドの政府軍が優勢になっている。ロシアが供給したミグで反政府派の拠点を空爆している。以前はシリア政府軍から脱走する兵士が多かったが、最近は脱走が急減したという。 (Balance of power in Syria shifting Assad's way) (Syria Assad on the March

 隣国レバノンの国軍以上の強い武装勢力であるヒズボラが、アサド政権を助けるためにシリアに越境し、反政府軍の拠点を陥落している。アサド政権はイスラム教の少数派であるアラウィ派(広義のシーア派の一派)主導で、アサドが倒れるとシリアはたぶん反シーアのスンニ派原理主義の国になる。シーア派であるヒズボラはそれを望まないので、アサドに加勢している。小国レバノンは、隣の大きなシリアからの政治支配が歴史的に強い。 (Hezbollah Plays Major Role in Capture of Qusayr

 シリア反政府派は、内部分裂がひどくなっている。反政府派を政治的に主導するシリア国民評議会(SNC)は米国傀儡の勢力で世俗派だが、彼らはトルコなどシリア国外にいる。対照的に、シリア国内で政府軍と戦っているのはイスラム過激派(スンニ派の原理主義者。いわゆるアルカイダ)で、アルカイダがCIAに育てられた点で出自的に米国の傀儡だが、反政府戦士の多くは、米欧(キリスト教世界)を嫌悪している。 (Syria crisis: Rebels condemn opposition coalition

 SNCの軍事部門の幹部は、政治部門の幹部を声高に非難するようになっている。内部分裂がひどくなり、内戦でアサドの政府軍に負けている反政府派は、6月中に予定されている米露など主催のシリア和平会議に欠席すると言い続けている。 (Russia Says Syrian Opposition Obstructing Peace Process

 SNCのトップは米欧風に染まった世俗派なので「民主主義」「人権」を重視する姿勢を採っているが、軍事部門は「民主や人権の概念自体が米欧の世界支配の口実だ」と考える(この考え方自体は正しい)。米欧では「SNCの内部で、民主や人権を軽視する勢力が増えており、支援できない」という声が強まっている。 (UN: Most Syrian Rebels Don't Want Democracy) (人権外交の終わり

 5月27日には、シリア国境に近いトルコ南部の町アダナで、トルコ当局がシリア反政府派の拠点を家宅捜索したところ、2リットルの化学兵器(サリン)の溶液が見つかったと報道された。以前、シリア国内で化学兵器(サリン)が使用され、アサドの政府軍が使ったに違いないと米欧で報じられたが、国連が調査した結果、反政府派が使った可能性の方が高いとされた事件があった。 (Chemical Weapons Found in Turkey Al-Qaeda Raid) (Moscow expects Turkey's explanations for Syrian rebels' sarin - Lavrov

 トルコ当局がアダナでサリンを押収したのなら、反政府派が化学兵器を使った可能性がぐんと高まり、米欧やトルコが支援してきた反政府派の信用失墜につながる。報道の後、トルコ当局は、化学物質を押収したがサリンでないと発表したが、トルコ政府は反政府派を支持してきただけに、押収したものがサリンだったとしても隠す可能性が十分ある。 (◆大戦争と和平の岐路に立つ中東) (Turkish authorities question 6 terror suspects, deny sarin gas was seized

 最近、EUが反政府派に武器を供給する方向性を決めた。EU内では、反政府派のテロリスト性を重視して武器供給に反対するオーストリアなどと、米国との協調を重視する英仏などが対立していたが、対米協調派が押し切った。しかし、反政府派がシリア国内で化学兵器を使ったことが確定すると「人権重視」のEUは、反政府派に武器を供給できなくなる。 (Fails to Reach Deal, Syrian Arms Embargo to Expire Saturday

 米政府は、シリア問題について、シリアの安定が目標だと言わず、アサド政権の転覆が目標だと公言している。しかし、アサドと戦っている反政府勢力は軍事的に退却し、政治的に分裂し、テロリストの本性を露呈して国際信用を失っている。米欧が軍事的にアサドを倒そうにも、ロシアによる兵器供給で、飛行禁止区域すら設定できなくなった。米欧によるシリア軍事介入の可能性は大きく減った。シリア内戦は、3カ月ほど前まで、いずれアサドが倒れると予測されたが、最近になって、アサド政権が維持され、反政府勢力の方が負ける可能性が急に高まっている。 (White House: Priority in Syria Is to Oust Assad

 露中やイランは、アサド政権のままで良いからシリアを安定させるべきだと言っている。シリア国内の世論も安定重視で、アサドを再び支持する世論が強まっていると、NATO自身が認める報告書を出している。。最近では、イスラエル諜報部の高官すら、シリアにアルカイダの政権ができるぐらいならアサドのままの方が安定を維持できて良いと言い出した。米国から批判されたのか、イスラエル政府は、あとでその見解を否定した。シリアをめぐる米欧の本音と建前も分裂している。 (NATO data: Assad winning the war for Syrians' hearts and minds) (Israeli intelligence official: Assad preferable to rebels

 6月に予定されていたシリア和平会議は、米露協調で開くことにしたが、現状で和平会議をすると、結論は、アサド政権の持続を認める方向になる。米国が受け入れられないため、和平会議は延期される公算が強くなった。米国は、イスラエルの意向も無視する強硬姿勢なので、この先もアサド政権を認めないだろう。反政府派の内部分裂は今後ひどくなるばかりだろうから、事態を放置するほどアサドの優勢が増し、シリア問題は事実上、露中イランの主導になる。 (Syria peace talks likely to be postponed as Russia plans to ship more weapons

 シリア問題では、米欧と露中イランのほか、サウジアラビアやカタールといったアラブ勢、それからトルコが関係国だ。アラブとトルコは従来、米欧と同歩調の反アサドだったが、それが現実重視でアサド政権の持続を容認するようになると、さらに状況が転換する。米国との関係を重視して、アラブやトルコが宙ぶらりんな姿勢をとり続け、シリア内戦が続く可能性も高い。 (露中主導になるシリア問題の解決) (中露トルコが中東問題を仕切る?

 トルコは、揺れ動くシリア情勢の影響を、すでに大きく受けている。エルドアン政権が続くトルコは、シリア内戦の前、米国(米欧)の中東覇権の衰退に合わせ、米欧の中東覇権ができる前にトルコがアラブやイランまでを支配していたオスマントルコ帝国の影響圏を再生する「新オスマン」の外交戦略を始めた。2011年にシリア内戦が起きると、トルコは新オスマン戦略の一環として、米欧のアサド敵視に同調しつつアサド転覆後のシリアへの影響力を確保しようと、シリア反政府派を擁立してトルコ国内に拠点を設けさせた。 (Turkey and the Dream of Ottoman Revival) (近現代の終わりとトルコの転換

 5月にトルコは、米欧がシリアに侵攻するか飛行禁止区域を設けることを前提に、クルド人との和解に乗り出した。クルド人は、英仏がオスマントルコが解体して中東をいくつもの「国民国家(中東ではこの概念に「サイクス・ピコ条約」的な歴史的偽善が含まれている)」に分割した際、クルド人の国民国家を作ることを許されず、トルコ東部、シリア北部、イラク北部、イラン西部の4カ国に分散して住んでいる。クルド人の悲願は4カ国に分割された民族の地を一つにまとめて独立することで、4カ国で分離独立運動を続け、4カ国政府から弾圧されている。 (トルコがシリアの政権転覆を模索?) (クルドの独立、トルコの変身

 トルコ政府は5月8日、クルド弾圧の40年の歴史をくつがえし、違法化していたクルド人組織PKK(クルディスタン労働者党)と和解し、停戦合意した。トルコ政府はPKKへの弾圧をやめる代わりに、PKKはトルコから出て、イラク国内のクルド人地域である北イラクに移ることを約束した。この背景には、アサド政権が転覆することで国民国家としてのシリアが崩壊し、シリアとイラクでクルド人国家の創設運動が強まるとトルコ政府が予測したことがありそうだ。同時期、米国が、これまで禁じてきた北イラクのクルド人の分離独立を認めそうだという観測記事が流れている。クルド独立を支援してきた米国のネオコンは喜びの記事を出した。 (First Kurd rebels reach Iraq under Turkey truce) (`US preparing for Iraqi Kurds to split') (Is US Poised to Back Kurdish Independence From Iraq?

 トルコ政府は従来、イラクの中央政府(シーア派主導のマリキ政権)と親しい関係を維持してきた。だがトルコ政府は5月、PKKと和解すると同時に、北イラクでクルド人が掘り出した石油を購入する契約を締結した。クルド人は北イラクの油田の石油をクルド人のものだと主張し、イラク政府のものだと主張する中央政府と対立しつつ、勝手に石油を採掘している。中央政府は、クルド人が採掘した石油を外国勢が買うことに強く反対している。トルコ政府は従来、イラク中央政府との関係を重視して、北イラクの石油を買っていなかったが、5月に購入に踏み切った。これも、シリアの政権が転覆してクルド人がシリアとイラクで統合独立していきそうな流れを先取りしたものと考えられる。 (Turkey's big game) (Turkey-Kurd Deal On Oil Riles Iraq

 シリアのアサド政権を支持するイランは、トルコの新戦略に反発し、PKKに対し、トルコに居続けるなら全力で支援すると声明を出した。トルコとイランの関係はこれまで非常に良かったが、急に悪化しそうな流れに転換した。 (Regional Repercussions Of the Turkish-Kurd Peace Process

 しかし、それから1カ月も経たないうちに、アサドは劣勢から優勢に再転換した。クルド独立の話は、その後まったく語られていない。アサド政権が持続するなら、中東の、サイクス・ピコ条約以来の偽善的ではあるが現実的な国民国家システムは崩れず、クルドの独立も夢物語のままだ。 (Is it the end of Sykes-Picot?

 そうこうするうちに、トルコのイスタンブールで、市内の貴重な緑地である公園の一つを潰してビル群を新築するエルドアン政権の計画に反対するリベラル派や野党のデモが数万人の規模にふくれ上がり、エルドアン首相に辞任を求める運動に発展している。エジプトやチュニジアなどの「アラブの春」がトルコに波及するのでないかとの見方もある。 (Turkish prime minister Erdogan pulls police out of Taksim Square

 エジプトなどと異なり、トルコは独裁制のない民主主義体制なので、もしトルコの反政府デモが拡大して政権の解散になっても、その次の政権は総選挙で選ぶことになり、非常に弱いリベラル派の野党は勝てる見込みがない。とはいえ大規模デモの発生は、シリア問題の誤算でエルドアン政権が弱っていることも感じさせる。今後大きな動きになるかもしれない。



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