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債券市場の不安定化

2015年6月15日   田中 宇

 5月下旬ごろから米国のマスコミなどで、米国の債券市場の「流動性の危機」が問題視されている。債券市場の流動性とは、投資家が債券の売買注文を大量に入れたとき、取引の相手がすぐに現れて取引が成立することだ。注文を入れてもなかなか取引が成立せず、その間(数分間とか)に相場が動いてしまい、意図した価格で売買できない事態が増えると「流動性の危機」になる。FTやWSJなど、権威ある金融マスコミが危機の発生を報じている。危機は潜在的なものでなく、マスコミも認める「本物」だ。 (Why Liquidity-Starved Markets Fear the Worst) (Bond market liquidity dominates conversation

 債券市場の流動性の危機は、昨年からときどき起きていた。先進諸国の金融当局の中で、日本と欧州は通貨を大量発行して国債などの金融商品を買い支えるQE(量的緩和策)を続けている。米連銀は表向きQEをやめたがゼロ金利を持続し、昨秋まで続けていたQEの余波と日欧からのQEの支援などで、米国も事実上強い緩和策を続けている(米国自身がQEを続けていたら、基軸通貨としてのドルの地位がもっと揺らいでいた。ドルの基軸性を守るため、QEを米国がやめて日欧が受け継いだ)。債券市場の流動性の危機は、日欧米のQEの副作用として起きている。 (◆加速する日本の経済難

 近年の金融市場は、米欧日の金融当局がQEなどの緩和策をどう続けるかが、最大(多くの場合、唯一)の材料となっている。債券だけでなく、株や為替市場も同様だ。金融市場は、需給や景気など民間経済の動向で決まる「自由市場」でなく、米欧日の当局の政策が反映される場になっている。多くの銀行や大手投資家が、当局の政策の行方だけを注視して取引している。大手投資家の多くはコンピュータを使ったプログラム売買で、それが当局の政策の行方という唯一の材料のみに瞬時に敏感に反応し、市場を動かす。市場から多様性が失われ、流動性が低下した状態になっている。 (Free Financial Markets Are A Hoax - Paul Craig Roberts) (The Real Reason Why There Is No Bond Market Liquidity Left

 QEは、金融市場に大量の流動性を供給することが目的だ。しかし当局がQEで流動性を供給するほど、市場参加者は、QEがいつどのように終わるのか(いつ流動性が失われるか)を懸念するようになり、現実の市場は流動性が低下する。大手の投資家たちは、QEに「出口」がない(金融崩壊以外の終わり方がない)ことを知っている。当局がQEをやるほど、投資家は不安になってすくんでしまい、市場は薄商いになり、流動性の危機や、乱高下(テーパー・タントラム)が起きやすくなる。 (◆超金融緩和の長期化) (◆出口なきQEで金融破綻に向かう日米

 危機が起きると、当局はQEの買い支えを強めて事態を元に戻すが、それを見た大手投資家は、QEだけが市場を持続させる事態をますます懸念し、さらに危機がひどくなる。QEには円滑な出口がない。それは昨年からわかっていたことだ。米国債市場の生みの親といわれる投資家のビル・グロスは「さかんにQEが行われている今でさえ、流動性の危機が起きている。QEは多分5年以内に終わらざるを得ないが、そのころには危機がもっとひどくなる」と言っている。 (Gross On The Next Liquidity Crisis) (米国と心中したい日本のQE拡大) (◆崩れゆく日本経済) (◆日銀QE破綻への道

 ビルグロスが創設し、世界最大の米国債投資会社として有名だったピムコは、5月に手持ちの米国債の3分の2を売り払った。ピムコの運用資産に占める米国債の割合は23%から8%に急低下した。流動性危機の頻発と合わせ、米当局の緩和策の失敗によって、米国債が安全な運用資産だった時代が終わりつつあることの象徴として受け止められている。ビルグロスは昨年ピムコを追い出された。 (Pimco Dumps Two-Thirds of Its Treasuries Before June Selloff

 ピムコが米国債を売り放った5月から6月にかけ、米国債金利はかなり上昇したが、市場の崩壊は起きていない。ブルームバーグの記事は「ピムコが売り放っても市場の崩壊が起きなかったのだから、米国債は大丈夫だ」と書いているが、こうした指摘は、視点をわざと的外れにしている。ピムコは、危機がひどくなる前に上手に売り抜けたのであり、ピムコが米国債を見捨てたことの方を重視すべきだろう。 (People Are Worried About Bond Market Liquidity

 上記のブルームバーグの記事はまた「債券市場の流動性危機はQEのせいでなく、リーマン危機後の規制強化によって、米国の銀行が手がけている債券取引を仲介するディーラー業務のコストが上がり、取引仲介機能が低下した結果だ」という説も展開している。ディーラーは、売り手ばかりで買い手が少ないとき自分で買って短期保持し、次に売り手が増えたときに売るといった仲介をすることで儲け、相場の乱高下を防いできた。しかし、流動性の危機は債券だけでなく、株式や為替の市場でも起きており、銀行規制強化が理由になりうるのは債券市場だけであり、理由になっていないとブログのゼロヘッジが論破している。危機はQEが引き起こしたという説の方が有力だ。 (The Real Reason Why There Is No Bond Market Liquidity Left

 QEは「マクロ的な流動性と、市場的な流動性欠如の並存」を引き起こしている。洪水が起きているのに水不足だ。悲観的予測で有名になったNY大教授のヌリエル・ルービニは、現状を「流動性の時限爆弾」と呼んでいる。流動性の危機が、いずれ金融危機(金利高騰、市場凍結)という「爆発」を起こすという意味だ。 (A Liquidity Time Bomb in the Bond Market?) (QE 'sucking out' liquidity in markets: Strategist

 洪水なのに水不足というのは形容矛盾だが、昨今の金融市場はこの手の矛盾に満ちている。たとえば、米日独の国債は本来、ジャンク債(社債)よりも信用度が高く、より高い流動性が保持できるはずだが、実際には、社債市場より米日独国際市場の方が流動性の消失がひどい。ピークの06-07年(リーマン危機前)に比べ、債券市場での取引高は、ジャンク債(投資適格以下の債券)が30%減、投資適格社債が50%減となったのに比べ、米国債は70%減だ。米国債市場は、社債市場の10倍の規模だ。流動性(資金)の絶対規模は社債より国債の方がはるかに大きいが、流動性の減少傾向は、社債より国債の方がずっと大きい。米欧日のQEが主に国債を買い支えているため、投資家の懸念は社債より国債に向けられている。 (Treasury volumes raise liquidity concerns

 マスコミは、債券の流動性危機やテーパータントラムについて、一時的な現象であると解説したがる。しかし、EUで欧州中央銀行(ECB)のQEに対する懸念から、6月初めにドイツなどの国債の金利が急騰した時、ECBのドラギ総裁は「(投資家は)債券相場が不安定になることに慣れるしかない」と表明した。債券の危機や乱高下は一時的な現象でなく、ECBがQEを続ける限り頻発するので、投資家は大騒ぎせず無視しろ、という意味だ。これは、ECBがQEをずっと続けるという意思表明でもある。この発言を聞いて、債券金利はさらに上昇した。 (Draghi says `get used to' bond volatility) (◆ユーロもQEで自滅への道?

 米連銀は、失業率の低下を理由に、米経済が回復基調にあると言って「利上げ」を検討していると報じられている。しかし、投資家がQE(緩和策)の縮小を懸念して債券の流動性危機がしだいに頻発しているときに、利上げという緩和と正反対のことをやると、よりひどい危機が起きる可能性が増す。米国の失業率は粉飾であり、実質的な失業率は10-20%だ。米経済は今年1-3月期に0・7%のマイナス成長だ。経済成長などしていない。利上げは必要ない。 (US economy contracts in first quarter) (Billionaire Tells Americans to Prepare For 'Financial Ruin') (◆中央銀行がふくらませた巨大バブル) (米雇用統計の粉飾

 米連銀は昨秋、自分たちのQEをやめて日欧にQEを肩代わりさせ、同時に「近いうちに利上げに転じる」と言い始めた。円やユーロが負担を肩代わりすることで、ドルの基軸性を延命する方針を米欧日で決めた結果なのだろうが、債券市場は米連銀の利上げに耐えられる強さを回復しておらず、たぶん米連銀は口だけ「利上げ」を言うことでドルの強さを何とか維持しているだけで、実際の利上げはしないだろう(したら自滅だ)。IMFは「金融が不安定なので、米国は来年まで利上げを延期した方が良い」と忠告した。これは米連銀が「利上げしたいけどIMFがやめろと言うので仕方がない」と言えるようにする、米国とIMFで作った茶番劇だろう。 (IMF warns Fed to hold fire on rate rise) (◆アベノミクスの経済粉飾

 米国債市場を運営する英国企業ICAPは最近、米国債市場の混乱がひどくなった場合、取引を一時的に停止するサーキットブレーカー機能の新設を検討していると発表した。この機能は、株式市場に以前からあったが、株式よりずっとリスクが低いと見られてきた米国債市場には、必要ないものと考えられてきた。サーキットブレーカーを必要とするほど、米国債はリスクの高い資産になった、ということだ。 (U.S. Government Bond-Market Volatility Sparks Talk of Circuit Breakers

 JPモルガンによると、債券市場は、リーマン危機によって破壊されたまま、部分的にしか蘇生せず、凍結されたままの部分がかなりあり、全体として見ると壊れたままだ。似たような指摘は、折に触れてFTなども書いている。米国債を頂点とする債券市場は1980年代以来、米国の経済力の源泉であり、その崩壊は米国覇権の崩壊を意味する。米連銀など米欧日の当局は、米国の覇権を守るため、リーマン危機後に壊れたままの債券市場を延命させるべく、危険を承知でQEなどの緩和策を拡大してきた。 (The Bond Market Is Still Broken, JPMorgan Says

 しかし、債券市場はQEによって延命しているだけで、自立できる状態にまで蘇生していない。QEをやめた時点で、債券市場は再崩壊に瀕する。QEをやめなくても、流動性の危機などの副作用がひどくなっている。延命作戦は、そろそろ限界にきている。早ければ今年中に、リーマン危機の再来につながりうる崩壊感の顕在化が起きうる。今春以来の流動性危機の発生が、その始まりだと言っている気の早い分析者もいる。FTですら「夏に金融混乱があるかもしれない」と書いている。 ('No Liquidity!' Global QE Bubble Is Finished) (Investors Start To Panic As A Global Bond Market Crash Begins) (Investors fear summer market storms loom

「次のリーマン」はドイツ銀行だ、という人もいる。ドイツ銀行は、世界最大のデリバティブ残高を抱えており、その額はドイツのGDPの15倍もある。ギリシャは6月5日にIMFに債務を返済できなかったが、その翌日、ドイツ銀行の2人のCEOが突然辞任した。LIBOR国際金利の不正操作疑惑などの責任をとったとされているが、ギリシャ危機によってひどくなる欧州の金融市場の混乱のあおりで経営難がひどくなっているのでないかと懸念されている。CEO辞任の3日後、S&Pが同行を格下げし、倒産前のリーマンより低い格付けになった。ドイツ銀行が破綻するとしても、その予兆が見えるのは直前になってからだろう。 (Deutsche Bank CEOs "Shown Door" - World's Largest Holder of Derivatives In Trouble?) (Is Deutsche Bank The Next Lehman?

 EUは、ユーロ圏諸国に対し、8月までに「ベイルイン」の法制を整備するよう求めている。銀行が経営破綻したとき、公的資金で救済するのが「ベイルアウト」で、銀行の株主、債権者、預金者に犠牲を強いるのが「ベイルイン」だ。米欧日は、リーマン後の金融界へのベイルアウトで公的資金を使い果たしているので、次に大きな金融危機が再来したら、ベイルインで対応するしかない。日本を含む先進諸国で、預金はしだいに危険な資産運用になりつつある。日本ではまだベイルインが検討されていない。次の危機はドイツ銀行など、欧州から始まるのかもしれない。 (Bail-Ins Coming - EU Gives Countries Two Months To Adopt Rules

 大きな金融危機が、必ずもうすぐ起きると決まっているわけではない。先進諸国の全体でドルや米国債を延命させていけば、米国より先に欧州や日本が破綻し、それはその地域だけの身代わり的な破綻になって、世界的な金融システムの崩壊をむしろ先送りする。しかし、米金融界の中枢にいる人々のすべてが「ドルや米国債を絶対に守る」と思っているわけではない。

 リーマンは、潰れざるを得なかったのでなく、危機を利用してリーマンやAIGを潰そうとする勢力が米金融界にいたから潰れ、それによって危機が一気に悪化した。米金融界や連銀の上層部に、こっそり金融システムや米国金融覇権を破壊しようとする勢力が混じっている。米連銀のQEも、不可避な策だったのでなく、意図的に過剰にやった感じがある(この説を馬鹿げていると軽く退ける人は国際情勢をきちんと見ていない)。 (米金融界が米国をつぶす

 そのような自国を自滅させて覇権転換を引き起こそうとする勢力の動きがなければ、ドルや米国債や米覇権は、今後もかなり持つかもしれない(英国が第一次大戦から百年も国際影響力を維持できたように)。しかし、米国上層部に巣くっている隠然自滅派(隠れ多極主義者)はかなり強い。金融システムは、それを管理している米連銀によって破壊されている。時期は確定できない(数週間後から数年後)が、いずれ金融再崩壊が起きるという感じは、ずっと続いている。 ("The Fed Has Been Horribly Wrong" Deutsche Bank Admits, Dares To Ask If Yellen Is Planning A Housing Market Crash) (◆QEの限界で再出するドル崩壊予測) (◆QEやめたらバブル大崩壊) (◆QEするほどデフレと不況になる) (◆経済の歪曲延命策がまだ続く?



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