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西岸を併合するイスラエル

2016年3月8日   田中 宇

 1967年の第三次中東戦争以来、イスラエルは、ヨルダン川西岸地域(西岸)を「軍事占領」してきた。国際法であるジュネーブ条約では、戦争の結果としてある国が交戦相手国の領土の一部を一時的に軍事占領することを認めており、イスラエルは同条約に基づいて西岸を占領していることになっていた。右派のユダヤ人組織が西岸に無数の入植地を作ってきたが、これは占領地への自国民の入植を禁じるジュネーブ条約に違反する行為だとされ、イスラエル政府も入植地が違法だと認めてきた。 (The right to own property - for Jews alone

 だがイスラエル政府は、2012年7月に「レヴィ報告書」というものを発表して以来、こうした従来の姿勢をしだいに撤回し、イスラエル軍が西岸に駐留しているのはジュネーブ条約に基づく軍事占領と別物の、独自の法的な状態のものであり、よって西岸の入植地は国際法違反でないと主張する傾向を少しずつ強めている。 (Report recommends legalizing West Bank outposts, easing settlement restrictions

 レヴィ報告書は(1)宗主国の英国が「バルフォア宣言」でイスラエルがパレスチナ全域を国土とすることを認めていた、(2)1947年の国連総会のパレスチナ分割決議はアラブ諸国の拒否によって有効でなくなり、代わりにその後の数次の中東戦争によってイスラエルとアラブ側の領土が確定しているのだから、国際社会のパレスチナ分割策は無効である、(3)イスラエルは67年の第三次中東戦争で西岸をヨルダンから奪ったが、50年のヨルダンの西岸併合は国際法に基づかない一方的な行為なので「ヨルダンの正当な領土をイスラエルが奪って占領した」というジュネーブ条約を使った解釈は無効だ、(4)西岸への入植は、イスラエル政府が計画したものでなく(右派の)市民が勝手にやったことなので、ジュネーブ条約の入植政策禁止の違反にあてはまらない、などと判断している。報告書は、それらを理由に、イスラエルが西岸を支配していることはジュネーブ条約に基づく軍事占領でなく、イスラエルは西岸を自国の一部として併合する権利があるので入植地は違法でなく、イスラエル政府は入植地を合法なものと認めていくべきだと主張している。 (English translation of the legal arguments in the Levy Report) (Levy Report From Wikipedia) (Levy Report

 西岸とガザの存在は、イスラエルにとって大きな重荷だ。イスラエルは軍事的に西岸を占領、ガザを包囲して、制圧・監視してきたが、イスラエル軍が制圧監視をやめて撤退し、パレスチナ国家の建設と自由な運営を許すと、パレスチナはいずれイスラエルに軍事的な脅威を与える存在になりかねない。1993年のオスロ合意で決まったパレスチナ国家創設策は、米国など国際社会がパレスチナ側の武装を監視し、イスラエルに不利益を与えないようにする枠組みが設けられていたが、米国の中東覇権が低下する中、もはや国際社会にパレスチナの武装を十分監視する力を期待できない。イスラエルが今後パレスチナ国家創設を容認する可能性は、従来よりさらに低い。

 だがその一方で、イスラエルが西岸やガザを併合して「国内」として統治すると、軍事的な脅威は低下するものの、パレスチナ人にイスラエル国籍を与えないわけにいかなくなり、選挙でユダヤ人が負け、イスラエルがアラブ政権の国に変質しかねない。イスラエルはユダヤ人が600万人、アラブ人が150万人で、西岸のパレスチナ人(アラブ人)は300万人だ。イスラエルは、ガザを併合でなく排除的な封じ込めで対応しており、ガザのパレスチナ人を計算から外しても、西岸併合後のイスラエルは、ユダヤ人600万人、アラブ人450万人で、ユダヤ人の支持が右派と中道に分裂すると、アラブ人の政党が与党になってしまう。

 この手の行き詰まりは90年代末からあったが、レヴィ報告書が発表される前、西岸に対するイスラエル政府の法的な姿勢を表すものとして存在していたのは、05年にまとめられた「サッソン報告書」で、そこでは西岸やガザのユダヤ人入植地は違法だと結論づけていた。同報告書は、西岸とガザを隔離壁などによってイスラエルから完全に切り離した上でイスラエル軍と入植地を撤退させる、当時のシャロン首相が考えた策に、法的な根拠を付与するためのものだった。 (イスラエルの清算) (イスラエルの綱渡り戦略

 今回のレヴィ報告書は、サッソン報告書と正反対の「入植地は合法だ」と主張するものだ。シャロンはもともと「入植運動の父」とまで呼ばれた右派だったが、最後は入植運動よりイスラエル国家の存続を重視し、入植地を撤去して西岸とガザを完全に切り離さないとイスラエルが存続できないと考えるようになり、右派と鋭く対立した(シャロンは、隔離策を実行する途中で暗殺的?に脳卒中で倒れて終わった)。レヴィ報告書を作成した3人の委員会の委員長だったエドモンド・レヴィは、サッソン報告書の合法性について審議したイスラエル最高裁の判事群の一人で、サッソン報告書は違法だと表明した唯一の判事だった。シャロンが倒れた後、イスラエル政界はどんどん右派(入植派)が強くなり、サッソン報告書を無効化する形で正反対のレヴィ報告書がまとめられた。 ('Annex Judea-Samaria now to defeat terror') (パレスチナ和平の終わり

 レヴィ報告書が出た後、入植地の合法性を問ういくつかの裁判でのイスラエル政府の主張は、それまでの「入植地は違法なのでいずれ撤去する」という立場から「入植地をいずれ合法化するかもしれない」という立場に変わった。昨年7月には、イスラエル政府が、西岸の土地の法的な状態を見直す組織を政府内に作り、パレスチナ人の土地所有者がイスラエル政府に土地を売りやすいようにした。 ('Why Isn't the Right-Wing Govt. Adopting the Levy Report?'

 その上でイスラエル政府は、パレスチナ人の土地所有者と、その土地を奪って入植地を作ったユダヤ人との紛争を法的に裁定する機関も作った。この裁判所的な機関の判事は全員がユダヤ人で、パレスチナ人に不利な裁定が出る仕掛けになっている。これらの策は、パレスチナ人の土地所有者に「どうせ不利な裁定しか出ないなら、イスラエル政府に土地を売って金をもらった方がいい」と思わせるように仕向けている。西岸の入植地の8割は、パレスチナ人の所有地を強奪して作られている。 (Netanyahu gov't is implementing annexation of West Bank as secret but official policy

 イスラエル政府は、レヴィ報告書を正式な政府の立場として受け入れていない。米オバマ政権やEU諸国などが、レヴィ報告書を国際法違反とみなしているためだ。だが、パレスチナ人から土地を奪う入植地を合法化するためのレヴィ報告書の提案は次々と具体的な政策になり、具体化の過程は間もなく一段落する。近いうちに、イスラエルが西岸でパレスチナ人の土地を奪うことが「合法的」なこととして加速する事態になる。 (A new position paper by Yesh Din) (Shhhhhh, we’re annexing

 昨年11月にはイスラエル外務省が「西岸の入植地を違法だと主張する人は、この問題にまつわる歴史的、法的な複雑さを無視している」「入植地の多くは、古代からオスマン帝国までの時代に実際にユダヤ人が住んでいた場所を回復したものであり、入植はユダヤ人の歴史的に正当な権利に基づいている」などとする声明を発表している。レヴィ報告書の本質は、すでにイスラエル政府の立場の中に組み込まれている。 (Israeli Settlements and International Law

 しかし、イスラエルがレヴィ報告書のやり方で西岸を併合し、長期的に行き詰まりがないかといえば、全くそうではない。西岸を併合したのにパレスチナ人にイスラエル国籍を与えないと、それはかつての南アフリカの「アパルトヘイト」と同じ差別状態になり、国際的にイスラエルが非難され、経済制裁の対象にされていく。イスラエルは最終的に、西岸の住民に国籍を与えざるを得なくなり「ユダヤ人国家」が崩壊してしまう。そこまでいかなくても、欧米ではイスラエルの入植地建設や占領を非難する不買運動などが活発になっており、すでに経済制裁への道筋が見えてきている。 (イスラエルとの闘いの熾烈化) (40 Columbia University professors sign BDS petition

 多くの人にとって、以上のことは、歴史的な経緯を改めて説明しないと理解しにくいだろう。以下、私が分析するところの、歴史的な経緯を書いていく。

 いまイスラエル国家があるパレスチナ地方(広義のパレスチナ)には、古代のローマ時代にはユダヤ人(=ユダヤ教徒)の王国があったものの、その後ユダヤ人はほとんど住まず、パレスチナには主にイスラム教徒(と少数のキリスト教徒)のアラブ人(パレスチナ人)が住んでいた。だが第一次世界大戦前、パレスチナなどアラブを統治していたオスマントルコ帝国を、英国が倒して中東の植民地化する策が進む中、ユダヤ人運動家がパレスチナにユダヤ人国家(イスラエル)を建国しようとする政治運動「シオニズム」が欧州で強まり、英国の上層部を握っていたロスチャイルド家などのユダヤ人に圧力をかけた。

 ロスチャイルドらはシオニズムに賛同し、英国政府はユダヤ人がパレスチナに入植して国家(home)を作ることを認めるバルフォア宣言を1917年に出した。ロスチャイルドはイスラエル建国に大きな貢献をしたとされている。だが、ユダヤ人性を隠しつつ英国など欧州全域で強い力を隠然と維持してきたロスチャイルドらユダヤ人財閥は「ユダヤ人であることを誇りに思え。カムアウトしろ」と騒ぐシオニストをひそかに脅威と見なしていたようで、彼らが外交を牛耳っていた英国政府は、ユダヤ人にパレスチナ国家の建設を許す一方で、アラブ人にパレスチナを含むアラブ全域で国家を作ることを許す「フサイン・マクマホン書簡」も作っていた。

 この「二枚舌外交」は、当時の英国の政策の混乱、もしくは悪質さを示すものとして有名だが、私は、混乱や悪質さが原因でなく、英国の外交政策を握っていたロスチャイルドらユダヤ人が、シオニストに逆襲するため意図的に作った体制だと考えている。第二次大戦後、英国は、中東の直接支配を終えるに際し、新設された国連で、パレスチナに、ユダヤ人国家(イスラエル)とアラブ人国家(パレスチナ)を建国する「バレスチナ分割決議」を1947年に可決させている。もしロスチャイルド(=英国政府)が真に親イスラエルだったなら、こんな決議の可決を許すはずがない。

 英国は、オスマントルコの崩壊時にクルド人に国家建設を認めたが、その後撤回している。この「クルド人国家」の例を見れば、英国が中東で恣意的な強い「国境策定権」「国家創設権」を持っていたことがわかる。英国はパレスチナに関し、その気になれば全域をユダヤ人に与えることができたのに、わざわざ2分割して紛争の種を作った。 (イスラエルとロスチャイルドの百年戦争

 イスラエルの存在を認めないアラブ諸国は、パレスチナ分割決議を拒否した。分割決議に基づいてイスラエルが48年に建国すると、すぐアラブ諸国がイスラエルに宣戦布告し、第一次中東戦争が起きた。イスラエルはアラブ軍を打ち負かしたが、パレスチナ国家の創設予定地である西岸とガザを占領しなかった。国連の分割決議を承認しないアラブ諸国は、パレスチナ国家を創建する気がなく、ヨルダンが50年に西岸を併合し、エジプトはガザを実効支配した。イスラエルとアラブ諸国は67年にも対立が深まって第三次中東戦争が起こり、イスラエルが圧勝し、こんどは西岸とガザをアラブ側から奪い、軍事占領を開始した。

 イスラエル政府は公式な姿勢として、建国以来現在まで、47年の分割決議に沿ったパレスチナ国家の創設を認めている。それは、アラブ側が分割決議を拒否した挙句、度重なる中東戦争にほとんど負ける(第四次中東戦争は、イスラエルがエジプトと外交関係を持つためわざと負けてやった疑いがある)という弱い立場であるため、イスラエルが国連決議を支持して「いい子」になった方が国際的に強い立場に立てるからだ。 (イスラエルの戦争と和平

 イスラエルは、分割案を建前的に受け入れているものの、実際のパレスチナ国家の創建を阻止し続けている。その理由は、もしアラブ側にパレスチナ国家の創設を許し、イスラエル軍が撤退すると、アラブ側がガザや西岸に武器をどんどん搬入し、新たな国境からイスラエルを砲撃しかねないからだ。

 すでに述べたように、パレスチナ国家の建設は、アラブ側の発案でなく「親イスラエルのふりをして実は反イスラエル」のロスチャイルド(=今の米英資本家)の発案だ。米英は「イスラエルのためを考えて、パレスチナ国家との共存を勧める」と言っているが、これが本心なのかどうか。米英は実のところ、アラブが寄ってたかってイスラエルを潰しにかかることを、戦後の70年余りずっと希求してきたのでないかという疑念を、イスラエルは抱いている。だからイスラエルは、容赦なく米国の政治家たちを脅し、何百回もイスラエルに忠誠を誓わせ、米議会を極度に傀儡化している。

(今回紹介したレヴィ報告書が発表されたのは、国務長官だったヒラリー・クリントンがイスラエルを訪問する直前だった。国務長官時代からイスラエルに圧力をかけられ続けてきたクリントンは、大統領に出馬するにあたり、イスラエルに忠誠を誓わされているはずだ) (Israel and American Politics: The Big Breakthrough

 イスラエルは、軍産複合体を牛耳ることを通じて、米政界を支配してきた。1990年前後に(米資本家の意を受けて)レーガン政権が米ソ和解によって冷戦を終わらせ、軍産複合体が冷や飯を食わされていた時代に、イスラエルは一時、米国が推進したパレスチナ国家の創設を受け入れ、93年にオスロ合意を締結した。だがその後、イスラエル政界で右派が反乱を起こし、オスロ合意を推進していたイスラエルのラビン首相が95年に暗殺され、イスラエルはオスロ合意の履行を拒否するようになった。

 その後、米国でアフガニスタンやスーダンといった、イスラム教の「テロ支援国家」との戦いという形で、98年ごろから軍産複合体が盛り返し始め、01年の911(大規模テロ事件を装ったクーデター)で、軍産が劇的に米権力中枢に返り咲いた。軍産とともに、米国におけるイスラエルの影響力も再び強くなった。だが同時にテロ戦争の構図が強化された影響で、中東全域でイスラム主義の考え方が強まり、イスラエルがパレスチナ問題を平和的に解決できる可能性が失われた。

 03年のイラク侵攻や「アラブの春」の扇動の末、中東における米国の覇権の低下が顕在化している。昨年10月からロシア軍がシリアに進出し、シリア内戦を終結に向かわせているが、これはイスラエルの近傍に米国に代わってロシアの勢力がやってきたことを意味する。イスラエルが傀儡化に成功してきた米国と異なり、ロシアはもっと中立的で、イスラエルの人権侵害を非難する人々を妨害したりしない。 (イスラム過激派を強化したブッシュの戦略

 しかし同時にいえるのは、911以来の米国が、妄想的な「民主化」を過激に希求し、中東でイスラエルを不安定にする策ばかりやってきたのに対し、最近中東での覇権が拡大しているロシアは、もっと現実的で、安定を重視する。イスラエル政界は、好戦的で妄想的な右派にすっかり牛耳られており、長い目で見ると自滅的な傾向だが、中東全域で見ると、好戦的な米国が抜けて現実的なロシアが入ってきており、これらの相克で事態がどう動いていくかが注目される。 (イスラエルがロシアに頼る?

 今回書ききれなかったが、ガザにトルコが入り込みたがり、それにエジプトが猛反対していることと、レバノンからサウジアラビアが手を引いてイランの傘下に入る傾向がさらに強まりそうなことも、イスラエルに大きな影響をもたらす。これらは改めて書くつもりだ。 (Three's company: Israel, Turkey, and Egypt



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