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ロシアと和解する英国

2016年9月7日   田中 宇

 英国の戦略は第二次大戦後、ずっと「ロシア(ソ連)敵視」だった。2度の大戦で英国と「特別な同盟関係」になった米国は第二次大戦中、ソ連と「連合国」を組んで日独を倒す戦略を選び、軍事的に米国に依存していた英国もそれに協力した。米国は、戦時中の対ソ協調の上に、ソ連(ソ中)と米欧(米英仏)が国連安保理で並び立つ多極型の戦後世界体制(P5、ヤルタ体制)を作った。だが英国は戦後、ソ連の脅威を喧伝して米国を巻き込み、米ソ協調を破壊し、米英とソ連が対立し、ソ連との対立を通じて米英の「特別な同盟関係」が維持強化される冷戦構造を作り、40年間維持した。「冷戦」は、英国のソ連(ロシア)敵視策を米欧全体に拡大したものだった。 (世界のデザインをめぐる200年の暗闘) (覇権の起源:ロシアと英米

 英米(欧米)がロシアを敵視する構図は冷戦後も変わらず、レーガンはゴルバチョフに「ソ連が東欧支配をやめてもNATOを東方拡大しない」と約束したのに、その後の米国(英米、軍産)はそれを見事に破り、東欧から旧ソ連のバルト3国までNATOに入れ、グルジアやウクライナまでNATOに入れようとした。英国は、米国の軍産複合体と組んで、ロシア敵視のNATO拡大策を続け、ロシア敵視によって米英の特別な同盟関係が維持されるよう謀りつつ、対露協調や安保的自立(EU軍事統合)を進めたいEU(独仏)を、ロシア敵視と対米従属のNATOに幽閉し続けた。冷戦後のロシア経済を私物化して無茶苦茶にした新興財閥(オリガルヒ)の多くは、英国との関係が深かった。00年にプーチンが大統領になって退治されたオリガルヒたちはロンドンに亡命した。歴代英政府とプーチンは仇敵どうしだった。 (英離脱で走り出すEU軍事統合) (多極化の申し子プーチン) (NATO延命策としてのウクライナ危機

 2014年に米軍産がウクライナの親露政権を倒して反露政権を樹立する反乱に加担してウクライナ危機が起こり、ロシアが伝統的にロシア領だったクリミアをウクライナから独立させて併合した後、英露関係が特に悪化した。今年、英国が6月23日の国民投票でEUからの離脱を決めた後、7月13日に英首相に就任した保守党のテリーザ・メイも、ロシア敵視が強い政治家と考えられていた。だが、8月9日にメイが初めてロシアのプーチン大統領と電話で会談したとき、メイとプーチンは、従来の対立的な英露関係を改善する必要があることで一致した。両者は今後、安全保障、テロ対策、シリア内戦、空路安全問題などについて話し合っていくことで合意した。両者は9月4日に中国の杭州市で開かれるG20の年次サミットに出席した際に初めての会談を行うことで合意し、その後、予定通りに杭州で会談を行った。 (Putin, May Discuss Security, Counterterrorism, Syria, Aviation Safety) (UK interested in security cooperation with Russia despite disagreements) (May and Putin's first telephone conversation hints at thawing tensions) (Theresa May and Vladimir Putin have held their first phone conversation since she became prime minister

 メイとプーチンの初の電話首脳会談の2日後には、英国のジョンソン外相とロシアのラブロフ外相が電話会談し、建設的な対話を進めていくことで合意した。ジョンソンは、ロシアとの関係正常化が必要だと露側に語った。前任のハモンド英外相はロシア敵視が強かったが、新任のジョンソンは親露的なので、露側が英外相の交代を喜んだ。 (Britain and Russia must 'normalise' their relations, Boris Johnson tells his counterpart in the Kremlin) (UK and Russia discuss normalization of relations

▼英露が和解するとNATOは瓦解

 英国のメイ政権とロシア側との和解に関する話でわかっていることは、この程度だ。英国の首相と外相がロシアに対し、関係改善したいと提案し、ロシアもそれに賛成した、ということしかわかっていない。だが、これだけの話で、十分に巨大な衝撃だ。英国はこれまで、ロシア敵視策によって、英米同盟の結束を維持してきた。軍産複合体やNATOは、ロシアとの敵対構造を作ることで勢力を維持拡大してきたが、その構造の黒幕的なおおもとは、英国のロシア敵視策だった。英国のロシア敵視策は、軍産やNATO、欧米間の同盟関係全体の「扇子の要」だった。 (外れゆく覇権の「扇子の要」

 英国がロシア敵視をやめたら、NATOは存在基盤を失っていく。米国はもともと「西半球の国」だ。英国からロシア敵視を煽られ続けたため、米国は、ユーラシアを支配する戦略に拘泥してきたのであり、英国がロシア敵視をやめたら、米国も煽られなくなって西半球の国であることをいまさらながらに気づき、欧州ユーラシアから手を引く(いわゆる孤立主義の)傾向が強くなる。ドイツやフランスは、英国よりロシア敵視がはるかに弱い。英国が露敵視をやめて、米国も目が覚めて欧亜から出て行ったら、独仏も喜んで露敵視をやめて対露協調に転じる。 (米覇権下から出てBRICSと組みそうなEU

 英国が露敵視をやめて離脱しても、米国の軍産複合体は、英国と関係なくロシア敵視を続けようとするかもしれない。11月の大統領選で軍産系のクリントンが勝つと、その傾向が強くなる。だが、英国が常にスムーズでスマートで知的で常識的な感じで、世界の多くの人々の同意を集めながら世界戦略を展開するのと対照的に、米国はヒステリックで高圧的で強硬で過激で非常識的に世界戦略を展開し、他国の批判に耳を貸さず、皆がついてこないなら一国でやろうとする。英国の協力なしに米国が単独でロシア敵視を続けると、今よりもうまくいかなくなり、米国に協力する国が減るだろう。その挙句に、米国はロシア敵視を放棄して西半球主義に戻る可能性が高くなる。 (米欧がロシア敵視をやめない理由

 つまり、英国が敵視をやめると、世界中のロシア敵視が雲散霧消し、露敵視に立脚していたNATOや欧米、英米の同盟関係、米国の欧州ユーラシア支配も、脆弱化・有名無実化してしまう。メイ政権の英政府は、そのあたりの意味を十分に知っている。だからこそ、できるだけ目立たないように対露和解を進めようとしている。英露が和解しつつあることは、英マスコミで報じられているが、メイがプーチンと電話したとか会ったとかいう事実が報じられているだけだ。突っ込んだ解説記事は出ていない。米国でも、何も語られていない。メイ政権についてのウィキペディアの解説も「ロシア」が一度も出てこないままの状態だ。こんなだいそれた話なのに、人知れず、静かに展開している。私自身、安倍首相の訪露について調べていて、そういえば英国はどうなったかなと思ってグーグルで「Russia UK」とかやってニュース記事を検索したら、英露和解の記事群を見つけて仰天したしだいだ。 (Premiership of Theresa May - Wikipedia) (Russia UK

 メイ政権の着実だが目立ちたがらない対露和解の姿勢から考えて、これは、英国の新たな世界戦略であると感じられる。英国が対露和解していくと、NATOも、英米同盟もすたれていく。米国覇権の解体傾向に拍車がかかる。欧州は対米従属から解放されて自立(EUの政治軍事統合)する。ロシアは今より台頭する。世界は多極化する。英国の上層部は、それらの新事態がおきても構わないと考えていることになる。それらの新事態の中に、英国のこれからの国家戦略がある、と考えられる。 (英離脱で走り出すEU軍事統合

 推測するに、これまで米国覇権を裏で操作する黒幕だった英国は、経済軍事外交の全面で崩壊しつつある米覇権を見捨て、世界の多極化を加速させつつ、多極型世界(BRICS)の黒幕になろうとしているのでないか。今のところ、きたるべき多極型世界の新たな中心はロシアと中国だ(いずれ米国や欧州がそこに加わり、先進国と新興国が融合する)。英国の上層部は、まず国民投票で英国自身をEUから引き抜き、対米従属型のEUを解体再編に持ち込み(いずれEUは縮小再編して自らを強化して再登場する)、ロシアと和解してNATOや英米同盟を壊して多極化を後押ししつつ、かつて(70年前)米国に覇権運営のイロハを教えたように、中国やロシアに覇権運営のアドバイスを行い、その見返りを受けて多極型世界の金融センターとしてロンドンを再生することなどで英経済を維持するつもりでないか。 (資本の論理と帝国の論理

 6月23日の国民投票で予期せぬ結果が出てしまったので、それ以来、英国の上層部は失策に失策を重ね、対露和解などという馬鹿なことをやっている、という「解説」も成り立ちうる。だが、私が信頼する欧州のシンクタンクLEAPは、英上層部がEU離脱の方が良いと考えたからこそ、国民投票の結果が離脱になったと分析している。 (Brexit: Returning to our previous anticipations

 しかも、思い返すと、英投票でEU離脱が決まったとたん、トルコのエルドアンがロシアとの和解に急いで動き出している。エルドアンは英離脱決定を見て、米覇権体制やNATOの終わり、世界の多極化の加速を予測し、多極型世界の中でトルコ自身が「極」の一つになることを目ざす戦略に急転換し、急いでプーチンに擦り寄った。これらの全体を見ると、やはり英上層部は意図的に自国をEU離脱に突き落とし、それを起爆剤として、世界の多極化と自国の戦略の転換を可能にしたろう。 (欧米からロシアに寝返るトルコ

▼英国に学んだ安倍晋三

 英国の劇的な転換を見て新たな事態を悟り、急いでプーチンに擦り寄ったのはトルコのエルドアンやイスラエルのネタニヤフだけでない。わが日本の安倍首相も、英国に学んでプーチンに擦り寄った。8月9日にメイがプーチンと電話会談して英露和解の方向性が突然に見えてきた後、2週間近くたった8月22日、日本政府の代表が急遽モスクワを訪問し、日露和解や和平条約の締結、安倍プーチン会談についてロシア側と8月26日に話し合うと報じられた。安倍とプーチンは9月2日にウラジオストクの経済フォーラムのかたわらで会談し、安倍はプーチンに、できるだけ早く北方領土問題を解決したいと力説した。安倍は13年ごろから日露関係改善を目標にしているが、ここにきて安倍が急いで動き出したのは、英国がロシアに急接近し始めたのを見て、エルドアンより2ヶ月遅れで世界の大転換に気づいたからでないかと考えられる(政治主導の独自外交を嫌う対米従属一本やりの外務省が対露和解の邪魔をするので官邸が世界の動きを知るのが遅れる。日本外務省は早く解体されるべきだ)。 (Tokyo Confirms Russia-Japan Peace Treaty Talks in Moscow - Foreign Ministry

 英国が対露和解を望んでいることについて、プーチンは「英国が米国との特別な同盟関係をやめるなら、英国との関係を強化したい」と述べている。すでに書いたように、英米同盟はロシア敵視をテコとして強化されてきた。英米同盟イコールロシア敵視であるのだから、それをやめないと和解できないとプーチンが言うのは当然だ。 (Putin: Russia-UK Relations Depend on London's Special Relationship With US

 プーチンに言われるまでもなく、すでに英米同盟はほとんど有名無実化している。米国は911以来の16年間、ブッシュもオバマも英国を邪険に扱ってきた。まるで、英国を米覇権の側から追い出して中露の側に付かせたいかのようだ。事実、英国は、中国が米日のADB(アジア開発銀行)に対抗してAIIB(アジアインフラ投資銀行)を作ると真っ先に加盟申請して中国に擦り寄り、今回はロシアに擦り寄りつつ、英米同盟から離れている。英国は、対米同盟の終わりを宣言しないだろうが、今後さらに「終わり」に向かうことがほぼ確実だ。 (UK, Russia bid to improve relations

 そんな中で、オバマ大統領は、中国杭州でのG20サミットのかたわらでメイ首相と会談し「米国はEUとの貿易協定TTIPを優先しているので、EUを離脱する英国との貿易協定は後回しになる。後ろに並んでもらうことになると、前に言ってあるとおりだ」と言い渡した。ずっと対米同盟を大事にしてきた英国が、米国が敵視するロシアの側に転じようとしている今のタイミングで発せられたオバマのこの発言は、まるで「もう仲間じゃない。早くロシアの方に行ってしまえ」と、多極化を後押ししているかのようだ。オバマは、この馬鹿げた行為を、意図的にやっている。彼はこれまでも、隠然とロシアを強化し続けてきた。 (Obama says UK remains at ‘the back of the queue’ for US trade deal) (Defiant Obama tells Britain it WILL be at the back of the queue for a US trade deal after Brexit as world leaders gather at G20) (Post-Brexit UK still at back of the queue on trade deals, says Obama) (軍産複合体と闘うオバマ

 英国がロシアと和解すると、ロシア敵視の構図が「時代遅れ」になっていくが、これは、11月の米大統領選挙で、対露和解を提唱するトランプを優勢にし、対露敵視に固執するクリントンを不利にする。大統領選挙まで2か月という今の絶妙なタイミングで、英露和解が急進しているのを見ると、国際政治の感動的なダイナミズムを感じる。陰謀論者と中傷されることをおそれて、これを「偶然の一致」と言ってしまう「愚」を避けねばならない。米国の世論調査によると、トランプの人気は再びクリントンに追いついている。 (Trump leads Clinton nationally by two points: Poll

 絶妙なタイミングと言えば、英国で7月に、イラク侵攻に関する「チルコット報告書」が発表されたこともそうだ。ブレア政権の英国が、03年に、大量破壊兵器がイラクに存在しないことを知りながら、大量破壊兵器を理由にした米国のイラク侵攻に付き従ったことの違法性について断罪したのがチルコット報告書だ。英国が、米国と特別な同盟関係を無理して維持することが、いかに英国の国益にマイナスであるかを、この報告書が語っている。 (外れゆく覇権の「扇子の要」) (`Boris Johnson could break UK attachment to Washington's neocon foreign policy'

 何年も発表を延期されてきたこの報告書は7月初旬、英国がEU離脱を決め、メイが首相に就任して対露和解を始めていく直前のタイミングで発表されている(大体の発表時期は昨年から決まっていたが)。これまで、なぜこのタイミングで??と思っていたが、ここにきて対露和解、対米同盟離脱の方向性が見えてくると、ははあ、対米同盟がいかに害悪かを英国全体に知らしめ、スムーズな対露和解への転換を促進するために、7月にチルコットが出てきたのか、と事後的に感じられるようになった。やはり、英上層部は意図的に動いている。馬鹿ではない。 (Could UK-Russia relations take a positive turn?) (The Iraq War and the American and British Ways of Retrospection) (U.S. Diplomat Says There's Truth To Chilcot Inquiry Report

 今回の対露和解の推進者は、メイ首相でなく、ジョンソン外相でないかと思えるふしがある。さいきんFT紙に「(メイ政権は)ジョンソンが事実上の首相だ」と指摘する、英保守党議員が書いた記事が掲載されている。ジョンソンはEU上層部を取材していた記者あがりで、英中央銀行出身のメイより外交の裏側に詳しい。メイ政権ができたばかりの7月の段階で「ジョンソンが英米同盟を終わらせるのでないか」と予測する記事も出ていた。ジョンソンは最近、シリア和平を手がけており、自分はアサドとロシアの支持者のくせに「ロシアは早くアサドをやめさせろ」と、米軍産向けとおぼしき目くらまし言ったりしている。 (Boris Johnson has earned his place as acting UK prime minister) (Will Boris Johnson end the special U.S.-U.K. relationship?

 先日、ジョンソンがオーストリアなどを歴訪したところ、親露的なオーストリア政府は、親露的なジョンソンをいたく気に入り、英国との関係強化を目指すことにした。おそらくジョンソンは、親露的なフランスのマリーヌ・ルペンなどとも気脈を通じているはずだ。英国は従来、欧州大陸各国のロシア嫌いの勢力と結託して欧州を振り回してきたが、今後は全く逆に、英国が欧州のロシア支持の「極」左や「極」右と結託する流れになる。静かにおきているこの大転換を見据えることが、これからの欧州(や世界)の流れを見極めるために必要な感じだ。 (Austria calls for deal with post-Brexit Britain as Boris charms Europe's leaders



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