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土壇場のクリントン潰し

2016年11月3日   田中 宇

 米大統領選挙まで11日に迫った、選挙戦上、重要な時期である10月28日、米国の捜査当局FBIが、ヒラリー・クリントンの「メール問題」の捜査再開を発表した(捜査再開を米議会に通報するかたちで発表した)。この問題は、クリントンが国務長官だった時代に、国家機密を含んだ電子メールを、セキュリティが甘いインターネットの一般サーバーに転送し、情報漏洩が起こりかねない状況を作っていた規定(法律)違反の疑いがあることだ。FBIは今年初め、この件でクリントンを訴追しないことを発表していた。 (FBI reopens Clinton probe after new emails found in Anthony Weiner case) (Hillary Clinton email controversy - Wikipedia

 だがその後、11年に性的スキャンダルで下院議員を辞任したアンソニー・ウェイナーに対する事件の捜査から、ウェイナーのパソコンにクリントンの機密メールが大量に保存されていることがわかった。ウェイナーの妻だったフーマー・アベディンは、クリントンの重要な側近で、メールの管理もやっており、アベディンがクリントンの機密メールを夫のウェイナーや自分の一般アドレス(ヤフーメールなど)に転送していた(2人は今夏に離婚した)。FBIは、この2人のパソコンなどを調べることで、クリントンの機密メールのずさん(違法)な取り扱いを立件できるかもしれないとして、捜査を再開した。 (Review of 650,000 Emails in Weiner’s Laptop for Potential Clinton Ties Could Take Weeks) (Huma Abedin: "I Have No Idea How The Emails Got On Weiner's Computer"

 機密メール問題は、以前からクリントンのアキレス腱といわれていた。クリントン陣営は「こんな投票日の直前にメール問題を蒸し返すなんて、FBIは政治的に腹黒い意図がある」と激怒した。FBIは民主党オバマ政権の命令下にあり、オバマはクリントン支持を以前から表明している。オバマの大統領府は「FBIは大統領府に何の連絡もせず、捜査再開を議会に通報してしまった」と逃げの姿勢をとった。その後オバマは数日間、この件に関して沈黙していたが、クリントンに対する支持が大幅に下がった(FBI捜査再開による打撃の効果が十分に出た)後の11月2日になって、不十分な証拠しかないのに捜査を再開してはならないとFBIを批判してみせた。 (Obama criticizes FBI's Comey on Clinton email probe) (FBI probe into Clinton emails will favor Trump: Senator Reid

 オバマは表向き同じ民主党のクリントンを支持しているが、オバマは軍産複合体が嫌いで戦っているのと対照的に、クリントンはゴリゴリの軍産の傀儡だ。大統領選の2人の候補の中では、トランプの方が、ロシアと協調して(軍産が作った)ISISなど中東のテロリストを退治することを提唱するなど、オバマの戦略に近い存在だ。オバマの本心は、クリントンでなくトランプの勝利を希望しており、FBIの中でクリントンの捜査に積極的な捜査官らをこっそり支援し、選挙直前の捜査再開につなげたと勘ぐれる。 (軍産複合体と闘うオバマ

 FBIは、クリントンの側近が絡んだ5つのスキャンダルを同時並行して内偵捜査しており、今回の捜査再開につながったアベディンとウェイナーの件はその一つだったと報じられている。クリントン陣営を狙って5つの案件を内偵するFBIのやり方は、クリントンを落選させようとしていると批判されて当然だ。 (How FIVE separate FBI cases are probing virtually every one of Clinton's inner circle and their families) (5 Separate FBI Cases Are Probing Virtually Every One Of Hillary's Inner-Circle

 クリントン陣営に関しては、機密メール問題だけでなく、クリントンが国務長官だった時代に、クリントン基金が、米金融界や、サウジアラビアや中国など海外の勢力から献金をもらい、その見返りに相手側の要望を聞いてあげたり、国務長官として得た情報を流していた疑惑も持たれている。この疑惑は書籍「クリントン・キャッシュ」などで有名になったが、WSJ紙によると、FBIの内部では、この書籍をもとに内偵を進めた現場の捜査官たちが「クリントン基金を立件できる十分な証拠が集まった」としてFBI上層部に正式な捜査開始を要望したところ、上層部は「無根拠な話にすぎない」として捜査開始を否定したという。投票日まであと数日に迫るなか、クリントンを不利にする話が相次いで出てきている。 (Secret Recordings Fueled FBI Feud in Clinton Probe) (Trump reinvigorated by FBI Clinton probe

 クリントン陣営や民主党上層部は「全部ロシアが悪い」という姿勢をとって反論している。クリントンの「メール問題」は2種類あり、その一つが今回の、国務長官時代の機密メールのずさん管理問題だ。もう一つは、民主党本部(DNC)のサーバーからメールの束が盗み取られ、それをウィキリークスがもらって公開した問題で、クリントン陣営と民主党事務局が、対立候補のバーニー・サンダースを不利にする策をとるなどの不正な選挙活動をやっていることが露呈した。後者(DNCメール問題)に関して、クリントン陣営や米政府、マスコミは「DNCのサーバーからメールを盗んだ犯人はロシア政府のハッカーだ」と主張しているが、誰もその根拠を示していない(多くの場合、ハッカーの正体を見破るのは非常に困難だ)。 (DEMOCRATIC PARTY IS GASLIGHTING AMERICANS ABOUT RIGGED ELECTION

 クリントン陣営や民主党上層部は、2つの問題を(わざと)混同し、全部ロシアが悪いと言っている。「トランプ陣営のサーバーからロシア当局のサーバーに、不正なネットの情報流動がある」という話も出たが、それは実のところ、トランプが経営するホテルに泊まったことがあるロシアの銀行員に向けて、宿泊の割引情報を書いたメールマガジンを配信したからだったという落ちがついている。 (Was a Trump Server Communicating With Russia?) (How Hillary Clinton Poisoned American Politics) (Debunking Trump's "secret server") (That explosive story about Trump's secret server for talking to Russia doesn't add up

▼クリントンに有利な調査方法なのにトランプが優勢に

 クリントンのメール問題は、以前から広く知られた話だ。捜査しても有罪になるとは限らない。捜査再開が、クリントンにとってどのぐらいの打撃になるか疑問だった。大手の世論調査の多くは、クリントンが実勢より優勢になるようサンプリングを歪曲しており、今回の件でクリントンが不利になっても、それが世論調査に反映されないとも考えられた。だが、FBIの発表から数日たつと、世論調査におけるクリントンの支持率が顕著に下落した。 (Trump wipes out Clinton's 12 point lead as she loses steam in polls carried out BEFORE the FBI announced it was reopening emails investigation) (米大統領選挙の異様さ

 ABCワシントンポストの世論調査では、FBIの決定前、クリントンがトランプより12ポイント優勢(50%対38%)だったが、決定から4日後の11月1日に発表された最新の調査では、逆にトランプがクリントンより1ポイント優勢(46%対45%)に転じた。この調査でトランプが優勢になったのは5月以来のことだ。 (Clinton, Trump All but Tied as Enthusiasm Dips for Democratic Candidate) (Trump Takes Lead In ABC/WaPo Poll That Gave Hillary 13 Point Advantage Just One Week Earlier

 しかも、最新の調査では、ランダムに選ばれたはずの調査対象(サンプル)に占める民主党支持者の割合(38%)が、共和党支持者(28%)より10ポイントも多い。この差は、以前の同調査では9ポイントだった。米国では、共和党支持者より民主党支持者の方が多く、サンプル数の差が5ポイント程度なら公平(実勢)と考えられるが、それを超えて民主党支持者が多いと、それは恣意的に多くした不正(オーバーサンプリング)だと共和党側から批判されている。民主党側は、公正なランダムサンプリングで支持者数の差が出る可能性は十分あると反論している。恣意的な不正でなく偶然だとしても、民主党支持者が以前より多くサンプリングされた調査でトランプがクリントンを抜いたことは、クリントン支持が急に減り、トランプ支持が増えていることを示している。 (Rudy Giuliani: Polls are oversampling Democrats) (Oversampling Is Not A Nefarious Democratic Plot

 ロサンゼルスタイムスやラスムッセンなど、他の世論調査でも、11月に入ってトランプが優勢か、両者の拮抗状態になっている。 (Hillary Clinton's campaign seeks answers from FBI on email probe) (POLLING SHOWS TRUMP, CLINTON IN DEAD HEAT

 クリントンの人気が落ちている一因は、以前の2回の大統領選でオバマを支持して民主党に入れていた黒人層が、今回の選挙でクリントンを支持しない傾向を強めているからだとされている。すでに行われている期日前投票では、黒人の投票率が4年前より16%低い(白人や他の有色系の投票率は上がっている)。黒人の圧倒的多数が入れないと民主党候補は勝てない。 (Black Early Voting Down in Key Battleground States

 黒人の多くは従来、白人優位主義を秘めている感じの共和党を嫌い、差別撤廃をうたう民主党に入れてきたが、今回は、エリート然としたクリントンを嫌う人が増えると同時に、貧富格差を拡大したエリート層(白人+オバマら)を批判するトランプ支持に回る人もいて、クリントンの優勢がしぼんでいる。オバマは先日、クリントンに入れる黒人が予想より少ないことを認め、黒人層に棄権せず投票に行くよう呼びかけた。 (Obama Worries Black Vote Is Not Solid Enough for Clinton

▼世論調査の誇張をやめて軟着陸??

 とはいえ、FBIの捜査再開を知って黒人が急にクリントンを支持しなくなったのではない(彼らは、捜査当局の政治歪曲の被害を最も受けている人々だ)。ここにきて大手の世論調査が相次いで(誇張的な)クリントン優勢をしぼませたのは、FBIの捜査再開を格好の口実として使い、これまでの誇張をやめて実勢に近いかたちに軟着陸させた結果とも考えられる(ABCのオーバーサンプリングの拡大など、軟着陸と逆方向の要素もあるが)。6月の英国のEU離脱投票でも、投票前の2週間で、世論調査が「残留優勢」から「離脱優勢」に転換している。

 先週の記事で「世論調査がクリントン優勢の歪曲をやめないということは、実際の投票でクリントンを勝たせる大規模な選挙不正が予定されているのでないか」という趣旨を書いた。だがその後、今回紹介したクリントン優勢の歪曲の縮小が起きている。ということは、投票での大規模な不正も予定されていないということか??。投票システムを握っているのはエスタブリッシュメント(軍産複合体など)であり、彼らは今回の選挙で全面的にクリントン支持・トランプ敵視だから、選挙不正はクリントンを勝たせるためにのみ行われる。トランプが勝つとしたら、大規模な不正が行われないか、もしくは不正を乗り越えてトランプへの投票が多いかのどちらかだ(トランプ自身もそう言っている)。クリントン優勢の消失は、大規模不正の予定がないことを示すように感じられる。 (不正が濃厚になる米大統領選挙

 選挙戦終盤の今週、トランプは、ミシガンやウィスコンシンの諸州を遊説している。これらの州は、大手の世論調査でクリントンの方がはるかに優勢とされてきた。トランプは、大手調査で接戦であるとされるフロリダやネバダ、ノースカロライナ、オハイオなどを回った方が効率的なのにそれをせず頓珍漢だという見方がある。だが、大手調査がこれまでクリントン優勢を誇張してきたことを差し引くと、フロリダやネバダなどでは実勢的にトランプが優勢なので、まだクリントンが優勢なミシガンやウィスコンシンを回るのだとも考えられる。 (WHY IS DONALD TRUMP IN MICHIGAN AND WISCONSIN?

 ツイッターやフェイスブックといったソーシャルメディアでは、FBIの捜査再開が、上位トピックスとしてほとんど取り上げられず、無視された。フェイスブックやグーグルといったネット企業は、こぞってクリントン支持だ。ウィキリークスは最近、グーグルの経営者であるエリック・シュミットが、どうやってクリントンを勝たせるかを考えた案を書いてクリントンの側近(Cheryl Mills)あてに送ったメールを、入手して公開している。グーグルの検索結果は、クリントンに有利になるように設定されている可能性が高い。 (Fwd: 2016 thoughts) (Clinton's Silicon Valley secrets: Google boss Eric Schmidt drew up campaign plan) (米ネット著作権法の阻止とメディアの主役交代) (覇権過激派にとりつかれたグーグル

 ウィキリークスはまた、フェイスブックの経営者の一人シェリル・サンドバーグが、クリントン側近のジョン・ポデスタに宛てて、クリントンの圧勝を望んでいると書いたメールを公開している。ソーシャルメディア各社が、クリントンを不利にするFBI捜査再開を、利用者に知らせないようにしたのは、各社のクリントン支持から考えて当然といえる。ソーシャルメディアを使う人は、情報歪曲が行われていることを肝に銘じた方が良い(利用者の多くは、洗脳されてもかまわないと思っているのだろうが)。 (Facebook COO Sheryl Sandberg: ‘I Want Hillary Clinton to Win Badly’) (Podesta Email Reveals That Facebook COO "Wants Hillary To Win Badly"

 米大統領選に関し、クリントンを勝たせる方向で、多くの情報歪曲が行われてきた。だが結局のところ、土壇場になってクリントンの誇張された優勢がはがれ落ちる劇が演じられ、実勢に近いところへと世論調査が軟着陸している。トランプが勝つと、来年初めの就任前後にかけて、株価の下落、円高ドル安、金地金高になっていくだろう。国際政治面でも、巨大な地殻変動が起こりそうだ。これについては次回に書く。



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