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米覇権の転覆策を加速するトランプ

2018年3月29日   田中 宇

 第2次大戦以来、米国の覇権戦略を立案する「奥の院」ともいうべきロックフェラー系のシンクタンク「外交問題評議会」(CFR)のリチャード・ハース会長が、3月21日付けで「リベラル世界秩序の死」と題する論文(宣言文)を発表した。ここでいうリベラル世界秩序とは、米国が戦後、国連やIMF世銀、WTOなどの国際機関(やCFR自身)を作って70年あまり維持してきた覇権体制のことだ。 (Liberal World Order, R.I.P.

 論文は以下のような内容だ。TPPやNAFTAの離脱や保護貿易、イラン核協定の破棄、温暖化パリ条約の離脱などに象徴されるトランプ大統領の米国第一主義が、リベラル世界秩序を弱体化させている。欧州などでのナショナリズムの勃興や、ロシア中国トルコなどでの権威主義の権力体制の強化もあり、世界で普遍的だった秩序が崩れ、各地域ごとに異なる特色を持つ秩序が並立する(多極型の)世界体制になっている。覇権を放棄する米国の代わりをどこの国もやりたがらないため、リベラル世界秩序が崩れ、世界の自由や繁栄や平和が終わりつつある。 (Council On Foreign Relations President: "Goodbye, LIberal World Order"

 論文に書かれたことは、私の読者にとって目新しくない。トランプが米国の覇権を放棄し、世界の多極化に拍車をかけることは、彼が大統領に当選したころから予測されていた。リベラル世界秩序が失われると世界の平和や繁栄が失われるとハースは書いているが、ベトナムやイラクの戦争に象徴されるように、米国は、リベラル世界秩序を維持するとためと言って、破滅的な戦争を繰り返し、世界の平和を壊してきた。繁栄を維持するためと称してリベラル諸国(米日欧)の中央銀行がQEを続け、経済のバブルを膨張させ、いずれ世界の繁栄を長期的に喪失させる巨大なバブル崩壊を不可避にしている。ハース自身が、論文の冒頭で皮肉的に「神聖ローマ帝国が神聖でもローマ人の国でも帝国でもなかったのと同様、リベラル世界秩序はリベラルでも世界的でも秩序的でもない」と認めているとおりだ。 (米国を覇権国からふつうの国に戻すトランプ

 ハースの論文は、内容が目新しくないものの「なぜいま、リベラル世界秩序の運営役だった天下のCFRが、自分たちの墓碑銘のような、リベラル世界秩序の死についての論文を発表したのか」という点で分析に値する。タイミング的に見て、トランプがこれから米国の覇権を放棄し、リベラル世界秩序を転覆させる動きを強めることをCFRが予測していると考えられる。 (好戦策のふりした覇権放棄戦略

 3月21日に発表されたハースの論文は、トランプが3月1日に鉄鋼とアルミニウムの世界から米国への輸入に対して関税をかけると発表、23日に中国との貿易戦争を開始して戦後の米国の自由貿易主義を壊し、3月13日と23日に、リベラル世界秩序の維持に腐心していたティラーソン国務長官とマクマスター安保担当補佐官を解任すると発表し、代わりにイラン核協定を潰したいポンペオやボルトンを指名任命するという、トランプの新たな動きの中で発表されている。 (中東大戦争を演じるボルトン) (March 2018 - A Truly Historic Month For The Future Of The Planet

 3月4日には英国で、ロシアのスパイだったセルゲイ・スクリパルの父娘が、何者かによって毒を盛られる事件が起こり、英米独仏は、まだ犯人を特定する証拠が何も示されていないのに、ロシアが犯人だ、プーチンの命令だと決めつけ、ロシアに対する濡れ衣の敵視を強め、米欧とロシア中国イランなどが対立する新たな冷戦体制が構築されている。この新冷戦体制は、欧米日などが、中露イランなどを除外・敵視するかたちでリベラル世界秩序を再生する動きにも見えるが、もし中露イランの側の方が強く、欧米側の足並みが乱れて中露にすり寄る諸国が増えると、それはむしろリベラル世界秩序の崩壊に拍車をかける。 (Tests of Substance in Britain Poisoning Will Take Three Weeks) (Russia says 'powerful forces' in U.S. and Britain behind Salisbury attack - RIA

 英米独仏など24カ国がロシアの外交官を合計百人以上追放した。追放数は史上最大の規模だ。だが、オーストリアなどいくつかの諸国は「ロシアが犯人と言える根拠が示されていない」と言って追放を見送っている。おそらく、ロシアが犯人だと言える捏造でない根拠は今後も示されない(犯人はロシアでなく米英諜報界の内部だろうから)。 (Vienna: London has not Proven Russia's Guilt for Scripal's Poisoning) (Did Putin Order the Salisbury Hit? : Patrick J. Buchanan

 ボルトンを通じて米国をイランを戦争に引っ張り込み、米欧と中露イランの対立に拍車をかけると喧伝されているイスラエルは、スクリパル事件でロシアを批判することを避けて「ノーコメント」に徹している。イスラエル国境のすぐ隣の、イラン系軍勢が駐留するシリアの上空の制空権をロシアが握っているからだ。欧米と中露イランの対立は、すでに、リベラル世界秩序の崩壊に拍車をかけそうな感じになっている。 (Israel opts out of US-EU anti-Russian expulsions, its intelligence finds novichik stocks in 20 countries) (Why the UK, the EU and the US Gang-Up on Russia

 英国でのスクリパル事件と並び、以前から米英諜報界の傀儡として機能してきたコソボの勢力を扇動してセルビア人勢力を政治攻撃させ、セルビアとその後見役であるロシアを激怒させるロシア敵視策も再び始まっている。敵視されるほど、ロシアは中国やイランなどと組み、米国覇権体制を瓦解させようと努力するようになる。米英諜報界は軍産複合体そのものだ。軍産と敵対してきたトランプは最近、軍産を使ってロシア敵視を強め、ロシアを怒らせて米国覇権を引き倒させる戦略を強化している。 (Kremlin lambasts Pristina’s provocation in Kosovo Mitrovica) (NATO, EU Diplomat Expulsions Push Russia ‘Towards China and Iran’ - Expert

 米国は軍事費を急増している(トランプは軍産をカネでたらし込んでいる)。だがロシアは軍事費の比率を減らすことを決めている。現在GDPの5%を占める軍事費を、2022年にGDPの3%まで減らす計画を発表した。米国とロシアが直接戦争することはない。ロシアは中東やユーラシア西部の地域紛争を政治的に仲裁して解決し、漁夫の利を得る戦略をとっている。シリア政府軍への空爆支援など、軍事力は一部で使っているが、なるべくカネがかからないようにやっている。ロシアは覇権を効率的に拡大している。トランプは当初、プーチンと仲良くすることでロシアを加勢しようとしたが、プーチンの国際運営がうまいので米国の加勢も要らなくなり、むしろ米露対立を扇動する方がロシアを強化できるようになっている。 (Russia Intends to Substantially Cut Military Spending Over Next Five Years

 イランも、米国から核協定を破棄されそうな中、米国との対抗力をつけるため、近隣諸国との関係強化を急いでいる。アゼルバイジャンとアルメニアが対立するナゴルノカラバフ紛争を、イランが仲裁しようとしている。この動きには、おそらくロシアやトルコも協力し、米国に頼らないコーカサス地域の運営が試みられる。これは多極化の一つだ。トランプはイランを強化している。 (Iran’s president calls for political solutions to regional conflicts) (How Trump is prompting Iran to improve ties with its neighbors

▼中国を経済的な対米自立・ユーラシアの経済覇権国に追い立てるトランプの貿易戦争

 今回のCFRの米国覇権終焉宣言はタイミング的に、トランプが「自由貿易」を放棄して鉄鋼やアルミに高い関税を課税したり、中国と報復関税をかけあう貿易戦争に入ったりした時期と同期している。高関税や貿易戦争といったトランプの貿易政策により、米国は、50年ほど続けてきた「米国が世界から低関税で旺盛に輸入し続ける見返りに、世界は対米輸出で儲けた資金で米国の債券を買い、米国は貿易赤字を金融の黒字で埋める」というバーター取引の関係を破棄し始めている。トランプの米国は、世界のための消費大国であり続けるという、覇権国としての任務を捨てようとしている。これは、最近の記事「自由貿易の本質とトランプ」に書いたとおりだ。 (自由貿易の本質とトランプ) (US losing its competitive advantage over China: Analyst

 覇権放棄策(多極化策)の原動力は、トランプ個人の主義主張でない。米国が消費の覇権国として機能し続けるために必要な債券発行のバブルが維持不能な規模にまで膨らんで08年のリーマン危機を引き起こし、その後は米日欧中銀のQEによって金融システムを何とか延命しているものの、それももう限界だ。米国が世界経済を牽引する消費役である米覇権体制そのものをやめて、世界の経済秩序を別な体制に移行させる必要がある。トランプは、その移行を進めるために大統領になった。 (トランプの貿易戦争は覇権放棄

 米国への輸入に高関税をかけることで、トランプは世界に対し、米国を最大の輸出先として頼ってきたこれまでの態度を改めろと手荒くけしかけている。中国との貿易戦争を通じてトランプは中国に対し、これまでの対米輸出依存の経済体制を改め、内需や、一帯一路計画でつながった近隣諸国への輸出や投資を経済成長の主導役にする傾向を加速せよとけしかけている。 (China’s Shift Away From Exports Provides Cushion Against Tariffs

 中国は、トランプから貿易戦争を引き起こされる直前、習近平の経済顧問である劉鶴を訪米させ、経済分野の米中会談を行った。このとき劉鶴は米側に、中国がすでに経済成長の主導役を対米輸出から内需や一帯一路との貿易・投資に転換していること、米国が仕掛けてくる貿易戦争は、すでに中国が進めているこの転換を加速させるので中国にとってプラスになり、むしろ米国にとってマイナスになると伝えている。中国との貿易戦争が米国にとってマイナスだということは、米財界も言っている。 (China ‘prepares to make America pay a price’ over tariffs) (Americans Will Pay the Price for Trump's Toughened Approach with China

 こんご米中の貿易戦争が激化した場合、中国が保有する巨額の米国債を売り始める可能性が増す。中国が経済成長を対米輸出に頼らなくなるほど、中国は米国債を保有する意味がなくなる。内需や一帯一路で使われる通貨はドルでなく人民元だ。中国はドルも米国債も要らなくなる。中国は最近、人民元建ての石油先物市場を開始し、ドル建て一辺倒だった世界の石油取引に殴り込みをかけ始めている。こうした動きも、いずれドルや米国債の地位の低下を招く。米国の金融システムはボロボロで、わずかなきっかけで相場の下落が再開する。 (China Moves To Destroy US Dollar As They Launch The Gold-backed Petro-Yuan) (GLOBAL RESET WITHIN MONTHS

 米政府は、EUや豪州カナダ韓国などを鉄鋼アルミ関税の課税からとりあえず外したが、日本だけは外してもらえなかった。これは、TPP11の主導役などとして少しずつ経済面の対米自立に押しやられている日本に対し、もっと早く経済の対米自立せよとけしかける意味がありそうだ。(対米従属一辺倒の日本側は、そのような見方を拒否する頑迷さだが) (Abe seeks to breathe life into Trump bromance after tariff snub) (Record number of U.S. Marines to train in Australia in symbolic challenge to China

 中国に対してトランプは、台湾問題でも、米国と台湾の政府要員の往来を緊密にする新法を作り、中国を激怒させている。象徴的な中国包囲網として、米国は豪州に派遣する海兵隊の人数も増やしている。対抗して中国は南シナ海で大規模な海軍演習をやっている。経済と安保の両面で米国が中国敵視を続けるほど、中国は、これまでの対米協調路線から離れ、ロシアやイランなど米国抜きの世界体制を希求する諸国との連携を強め、米国覇権体制の引き倒しに協力するようになる。ロシアが英国のスクリパル事件で欧米から濡れ衣的に敵視される中、中国の人民日報は最近、ロシアを礼賛する記事を連続して掲載している。 (Chinese Newspaper: Beijing Should Prepare For War In The Taiwan Straits) (China Applauds Putin's Win, Backs Him On Skripal, Hails China's "Strategic Partnership" With Russia

 北朝鮮の金正恩が訪中して習近平と会談した。これは、米国が北朝鮮敵視をやめるなら金正恩が本気で核廃絶するつもりであることを示している。そうでなければ、習近平は金正恩を北京に招待して歓待しない。覇権放棄策の一つである在韓米軍の撤退を進められるので、トランプは5月の米朝会談で金正恩と和解する可能性が高い。米朝、南北が和解すると、朝鮮半島は米国の傘下から中国の傘下に移動していく。 (North Korea’s Kim, Long a Pariah, Takes Tentative Step Onto World Stage) (China Confirms Xi Jinping, Kim Jong Un Held Talks In Beijing

 これも、CFRが言うところのリベラル世界秩序の崩壊の一つとなるが、それはCFR論文が嘆くような戦争でなく、平和を朝鮮半島やその周辺にもたらす。沖縄の在日米軍も、大幅縮小もしくは総撤退が自然な流れになる。日本は対米自立を迫られる。もう中国を敵視できなくなる。 (Trilateral Japan-China-S Korea summit being planned for May



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