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北朝鮮に甘くなったトランプ

2018年6月15日   田中 宇

 6月12日にシンガポールで行われた米朝首脳会談は、事前にばらまかれた憶測と、現実の会談の中身が大きく違っていた。確定した合意文書の中身が薄かった半面、会談で示唆されたこと、象徴的なこと、感じ取れることが豊富だ。あれは一体、何だったのか。深読みが不可欠だ。当日以来の3日間、自問自答を続け、一定の答えが出た。結論を先に書く。主導役となった米トランプ大統領が、金正恩との首脳会談を皮切りに開始したことをキーワードで列挙すると(1)ダブル凍結、(2)トランプ式の太陽政策、(3)金正恩を北朝鮮のトウ小平にする、の3点である。 (The Trump-Kim summit agreement is exactly what China has been pushing for

(1)の「ダブル凍結」は、北朝鮮が核ミサイルの開発を凍結したら、見返りに米国が米韓軍事演習の実施を凍結し、これによって米朝間の信頼を醸成し、本格的な核廃絶や北への制裁解除、朝鮮戦争の終結宣言、米朝と南北の和解、在韓米軍の撤退へとつなげていくシナリオだ。ダブル凍結は、その前の6か国協議による北の核廃絶への道が頓挫したことを受け、16年に、当時の米オバマ政権の政策立案者が、実現可能な「ペリー案」として提唱した。 (北朝鮮に核保有を許す米中

 オバマは、このシナリオを活用した北との交渉再開に着手せず、ダブル凍結案は棚上げされた。その後、トランプが昨年、中国に北核問題解決の主導役をやらせようとした時、中国は、棚上げされていたダブル凍結を引っ張り出し、自分たちのシナリオとして米朝にやらせようとした。だが今春まで、トランプはダブル凍結案を無視し、北を先制攻撃する軍事解決策しかないんだと言い続けていた。北朝鮮は、米国が好戦的な姿勢をやめない限り和平案に乗れないと言って、中国のダブル凍結案を無視して核ミサイルの開発を続けた。

 ダブル凍結は、北がすでに作った核兵器を隠し持ったまま、新たな開発を凍結するだけで、米国から米韓軍事演習の中止という譲歩を得られる、北に甘いシナリオだった。これに対し、今回の米朝会談の前にボルトンらが言及した「リビア方式」は、北が核兵器を完全廃棄するまで米国側が何も譲歩しないという、北に厳しいシナリオだった。米国の軍産複合体や、その傀儡である日本政府がこだわる「CVID」も、北が核兵器をすべて出しても「まだ持っているはずだ」と言いがかりをつけて永久に許さない「政権転覆目的」の策だ。ポンペオらは首脳会談直前まで「北にCVIDをやらせる」と言っていた。 (What, for What?

 だが、ボルトンやポンペオも同席した現実の米朝会談の後で合意された文書には、リビア方式やCVIDに相当する文言が全くなかった。しかもトランプは、会談後の記者会見で米韓軍事演習の中止を発表した。トランプは、北が核廃絶に動いている限り、米韓軍事演習をずっと凍結する。またトランプは記者会見で、北朝鮮が昨秋から核ミサイルの実験を凍結し、核やミサイルの実験場を破壊し始めていることを何度も称賛した。トランプは米朝会談を機に、ダブル凍結シナリオに沿った動きを開始している。トランプは記者から問われ、依然としてCVIDが目標だと言いつつも、その実現に15年ぐらいの長い時間がかかる点を強調した。CVIDはいずれ達成すべき目標として事実上棚上げされ、現実の米朝関係は、北朝鮮に甘いダブル凍結のシナリオに沿って動いていくことになった。 (A Deal With North Korea: Don’t Blow It This Time

 米国の軍産複合体や、そこに従属する日本は、日韓への米軍駐留を恒久化したいので、北朝鮮が永久に米国の敵であることを強く望み、トランプにCVIDやリビア方式をやらせたかった。トランプは今春、ボルトンやポンペオを側近に据えて、軍産っぽいやり方をするかのように見せつつ、それは目くらましで、実際にやったことは、北に甘いダブル凍結だった。トランプは米朝会談後の記者会見で「選挙戦のころから言っていることだが、私は韓国に駐留する米軍兵士たちを帰国させてあげたい。在韓米軍や米韓軍事演習はお金がかかりすぎる。いずれ在韓米軍を撤退したい」という趣旨の発言まで放った。 (Press Conference by President Trump

 トランプがCVIDを棚上げしてダブル凍結のシナリオに乗ったことで、北朝鮮、中国、ロシア、韓国は喜んでいる。中露韓は昨夏以来、できるだけ北を刺激せず経済開発の起動に乗せ、経済発展したら米韓との敵対より協調・安定を好むようになるとのシナリオ(昨年9月の東方経済フォーラムでのプーチン提案)を進めたがっている。トランプは、独自の好戦的な路線を行くように見せかけて、実際の首脳会談では、中露韓のシナリオに乗った。後述するようにトランプは、北を経済発展させようとする点でも、中露韓のシナリオに乗っている。 (China is having a 'big day' after Trump-Kim summit: Ex-diplomats

(今年9月の東方経済フォーラムには、金正恩も招待された。そこで安倍と正恩の初の首脳会談が行われる可能性も報じられている。安倍は、プーチン提案が出された昨年9月の同フォーラムにも参加したが、プーチン提案は当時、日米でほとんど報じられなかった) (プーチンが北朝鮮問題を解決する

▼トランプの子分になった金正恩

(2)トランプ式の太陽政策。太陽政策は、名前を「北風と太陽」の寓話から引用したもので、北朝鮮に経済制裁や軍事威嚇などの「北風」の圧力をいくら加えても成功せず、むしろ北に融和策(太陽)をとって経済支援する方が北の脅威を減じることができる、という考え方だ。韓国の金大中(1998-03年)と廬武鉉(03-08年)の政権が推進したが、米国が北を「悪の枢軸」に入れて敵視したため成功しなかった。昨年から韓国大統領をしている文在寅は、ノムヒョンの側近として太陽政策を推進しており、大統領就任後、太陽政策の踏襲・再推進を表明している。

 トランプは今回の米朝首脳会談で、太陽政策と同じ姿勢をとった。トランプは金正恩に見せるためのプロモーションビデオを作り、首脳会談の全体会合で北側に見せたが、それは戦争姿勢をやめて北の経済発展を実現していこうと、トランプが金正恩に呼びかける内容を示唆的に表現していた。ビデオは、トランプと金正恩が、戦争をやめて北を経済発展させる流れにおける運命共同体なのだという示唆(two men, two learders, one destiny)でしめくくられている。先日まで政権転覆だ先制攻撃だと戦争姿勢を強調していたトランプは、米朝会談で、平和主義者へと豹変した。 (Watch the “movie trailer” Trump showed Kim Jong Un about North Korea’s possible future

 トランプは会談後の記者会見で、自分が不動産業者であることに引っかけて「北の海岸線は現在、米韓に対峙するための重武装地域になっているが、朝鮮半島を平和にすれば、この美しい海岸線にリゾートホテルを建て、韓国や中国から大勢の観光客を呼べる。私は根が不動産業者なので、それをやりたいと思う」と、金正恩に提案したことを明らかにした。トランプが正恩に見せたビデオも、大規模開発を受注するために不動産会社が作るプロモーションビデオの作りになっている。トランプが作る、自分自身まで茶化してしまう、世界を振り回すドラマ演出が面白い。それらは、太陽政策の姿勢へと収斂している。 (Trump Had a Movie Made Just for Kim Jong Un) (Video of beach resorts and speedboats played to Kim Jong-Un as part of Trump's five-hour landmark talks

 とはいえ、トランプ式の太陽政策は、朝鮮半島和平後の北への投資を、米国の企業が手がけようとするものでない。米国は、今後の北朝鮮の再建(核廃棄とその後のインフラ整備など)にカネを出さない姿勢だ。トランプは、北の核廃絶の費用を負担するのは日本や韓国だと言っている。日本では「カネだけむしりとられる」と狭隘・後ろ向きの見方ばかりだが、実のところ、核廃絶の費用を負担する外国勢は、その後、北の経済発展に投資して儲ける権利を得る。世界で最後の、発展する潜在性が豊富な未開発地域である北朝鮮への投資は、最終的に大きな儲けを生む。日本は、北の核廃絶の費用を出すと積極的に表明した方が、子孫の代に得をする。日本は間抜けなことに、この話に乗りそうもないが、その場合、韓国と中国が手がけて儲けるまでのことだ。日本は、今よりさらに落ち目の国になっていく。

 会談後、韓国を訪問したポンペオ国務長官は「今後北朝鮮と緊密な関係を作る担当者は、米国勢でなく、韓国の文在寅にお願いする」と言って帰った。トランプは、韓国と北朝鮮の和解の起爆剤として首脳会談をやった感じだ。前項のダブル凍結案のところで、ダブル凍結案が、昨夏のプーチン提案(北を刺激せぬよう核問題と引き換えでない経済開発支援策)と表裏一体のものであることを述べたが、トランプは米朝会談で、太陽政策・ダブル凍結案・プーチン提案に乗る姿勢を見せた。これまでの強硬姿勢から突如として大きく転換した。ただし、米国自身はプーチン提案の対象枠に入っていない。トランプの北政策は、米国の覇権を中露に譲る隠れ多極主義的なものだ。 (A Joint Vision Statement for Trump and Kim

 和解派へと豹変したトランプの提案を、金正恩は喜んで受け入れた。正恩はシンガポールで、トランプとの一対一の首脳会談の後の全体会合の冒頭、トランプに向かってに「大統領と一緒に巨大な事業を進めていくことを決心しました」と表明している。ここでいう「巨大な事業」は、核廃絶のことでない。核廃絶なら、あんなに高潮して言わない。巨大な事業とは「米国や韓国と和解した後に始まる北朝鮮の経済開発・経済発展」のことに違いない。トランプは一対一の首脳会談で、正恩に対し「君が核廃絶する気なら、俺は世界に貴国への経済制裁をやめさせ、貴国が経済大国になるという巨大な事業に協力するよ。どうだ、一緒に巨大な事業をやっていこうじゃないか」と提案したに違いない。

 金正恩の「大統領についていくことにしました」という宣言は「アニキ、オレはアニキについていくことを決心したよ」という主旨だ。正恩は、経済開発について先輩・兄貴分であるトランプの子分になることを宣言した。これが、トランプにとっての米朝首脳会談での最大の収穫だった。トランプは事前に「会談の成否は最初の数分でわかる」と言っていた。実際に、最初の45分の一対一の首脳会談の後、正恩はトランプの子分になっていた。2人は、北の経済発展をめぐる義兄弟になった。会談は成功した。トランプはもう北に対する姿勢を強硬に戻さない。正恩も、もう核ミサイルを開発しない。そうした関係ができたので、トランプは会談後「北に関する脅威は大幅に減少した。もう大丈夫だ」と宣言するツイートを発した。このツイートを見て「トランプは馬鹿だ」と評した人々の方が「馬鹿」だ。あの首脳会談において、北が核廃絶をどう進めるかという具体策は二の次でかまわなかった。 (There is no longer a Nuclear Threat from North Korea

 正恩は、米朝首脳会談が決まった後の今年4月、それまでの、核ミサイル開発と経済発展の両方をやる「並進路線」の終了を宣言し、経済発展一本に絞る政策に転換した。同時に、核実験場の破壊も決めている。この転換を今更ながらに解読すると、当時すでに米トランプ政権の側から北に対し、その後首脳会談で表面化したトランプ流の太陽政策が提案されていたことを意味する。

▼金正恩の目標はトウ小平より習近平?

(3)金正恩を朝鮮のトウ小平にする話。この項目は、前項のトランプ流の太陽政策を、戦後の米国の世界戦略の歴史の中に置いてみると、見えてくる構造だ。トウ小平が78年に中国を経済発展させる改革開放路線をとり始めたきっかけは、79年に実現した米中国交正常化だ。72年のニクソン訪中以来、米国は、中国を経済発展する状態へと引っ張り出すために、中国を冷戦構造から切り離して米中和解し、米国内の軍産の抵抗を乗り越えて中国と国交正常化した。中国を発展させようとした米国の原動力は「帝国(軍産、単独覇権)の論理」と対峙する「資本の論理」だ。中国は、米国の隠れ多極主義的な姿勢のおかげで、今につながる経済発展・地域覇権国への道に入った。 (資本の論理と帝国の論理) (多極化の本質を考える

 この構図を、トランプと金正恩の関係に当てはめることができる。トランプは、金正恩と会って経済発展を希望する意志を確認し、それ以来、米国の従来の北敵視の姿勢を緩和する動きを始めている。トランプは金正恩に「朝鮮のトウ小平になれ」とけしかけたことになる。正恩は今春すでに「手元にトウ小平の伝記を置いて読んでいる」と指摘されている。この指摘自体が、正恩とトウ小平を重ねあわせたい米国の隠れ多極主義者の作り話という感じもするが、作り話であるならなおのこと、米国が正恩をトウ小平化したいという意図のあらわれになる。 (What if Kim Jong-un is Looking to Liberalize?

 金正恩にとって、中国での手本はトウ小平だけでない。習近平も、正恩のお手本になる。習近平は、経済成長路線を維持したまま、共産党内の集団指導体制を壊し、一人独裁体制に転換している。これまで、中国は集団指導体制、北朝鮮は一人独裁体制で、中国は北に「貴国も集団指導体制を組まれてはいかがですか。その方が安定しますよ」とやんわり提案し、北に嫌がられていた。それが今や、中国自身がトウ小平以来の集団指導体制を壊し、毛沢東型の一人独裁体制に戻っている。独裁体制は経済発展に向かないというリベラル好みの理論と裏腹に、中国は経済成長を続けている。金正恩は、朝鮮のトウ小平というよりも、朝鮮の習近平になるのが早道だ。 (Why Is Kim Jong-un Negotiating with Trump?

 恒久対立を望む軍産の反対を押し切り、北朝鮮を経済発展の状態に引っ張り出そうとするトランプは、かつて中国を経済発展の状態に引っ張り出したニクソン大統領のあとを継いでいる。ニクソンは、ウォーターゲート事件で軍産にやられて辞任したが、トランプはロシアゲートを乗り越え、軍産に打ち勝っている。冷戦を終わらせたレーガンと合わせ、米国では、ニクソン・レーガン・トランプという隠れ多極主義の系譜が脈々と続いている。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ



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