トルコはヨーロッパの永遠の敵か

97年11月8日  


 地中海東部の島国、キプロスをめぐる情勢が、再びキナ臭くなっている。キプロスは、住民の約8割がギリシャ系、残りがトルコ系という構成だが、ギリシャ系住民はギリシャの支援を受けてキプロス共和国を作り、トルコ系は島の北側にトルコの支援を受けて北キプロス共和国というのを作り、対立している。

 昨年、ギリシャ側が「防衛用」と称してロシアから地対空ミサイルを導入する計画を発表し、トルコが猛反対して以来、対立が深刻化した。今年10月には、ギリシャ側が軍事演習を行った際は、トルコの戦闘機が出撃して空中戦になった。11月5日にはこれに対抗する形でトルコも軍事演習を行った。

●ヨーロッパにそそのかされてトルコと戦い始めたギリシャ

 キプロスはかつて、ギリシャ人だけが住む島だった。海洋民族だったギリシャ人は、ギリシャ本土から対岸のトルコ沿岸、そしてその向かい側にあるキプロス島にまで広がって住んでいた。13世紀にトルコにオスマン帝国ができ、やがてキプロスもその領土に入った。15世紀にはギリシャ全体がオスマントルコの領土となった。キプロスにはトルコ人の入植者がやってきたが、現在のようにギリシャ人と鋭く対立するということはなかった。

 両者の関係が急に悪くなったのは、19世紀になって、「民族国家」の概念が人々にとりついてからのことである。ギリシャ人はそれまで、オスマントルコに属する一民族というアイデンティティしかなく、トルコ人がイスラム教徒なのに対してギリシャ人はキリスト教徒である、というぐらいの違いしか、両者は感じていなかった。

 ところが、民族国家の概念を生み出したヨーロッパ人は、ギリシャ人に対して、「あなた方はヨーロッパ文明の礎を築いた偉大な古代ギリシャの末裔であり、われわれヨーロッパ人にとって誇るべき存在だ。キリスト教徒にとっては敵であるトルコ人の支配に甘んじるべきではない。古代ギリシャの伝統を受け継いだギリシャ国家を復活させるべきです」などと吹き込んだ。

 この、そそのかしの背後には、15-16世紀に東ヨーロッパを侵略して回り、ヨーロッパ人を震撼させたオスマントルコを弱体化させようとする、ヨーロッパ側の戦略があった。ギリシャ人をトルコから独立させ、ヨーロッパの一部として取り込めば、ギリシャはトルコに対する防波堤として機能するだろう、との読みである。

 ギリシャ人は1821年にオスマントルコに対して独立戦争を始め、イギリス、フランス、ロシアがこれを支援して、8年後に独立を宣言した。そのとき独立したのは現在のギリシャの一部だけで、トルコとの戦いは、その後100年近く続いた。最後はオスマントルコの崩壊で終わった。

 ギリシャの首都アテネには、アクロポリスの丘があり、古代ギリシャ時代をほうふつとさせるパルテノン神殿がある。古代ギリシャが終わった後に徹底的に破壊され、単なるがれきの山になっていたあの神殿を、ギリシャ人が再建し、それを「輝かしいヨーロッパ文明発祥の地」として観光地化する必要があったのは、こうしたギリシャ建国の経緯からである。

●エーゲ海をめぐる争奪戦

 ギリシャは独立後、一時は対岸のトルコ領土内を含むすべてのギリシャ人居留地を、ギリシャの領土にしようとした。これはトルコと戦争状態に入ることを意味していた。

 ギリシャ人が「古代ギリシャの復活」を夢見たように、トルコ人もまた、一時はアラビアから東ヨーロッパまでを支配した「オスマントルコ帝国の復活」を夢見ており、両者は20世紀に入っても、エーゲ海をめぐる争奪戦を続けた。その一つが、トルコの沖合いに位置するキプロス島であった。

 キプロスは19世紀、イギリスがトルコから奪って植民地にしたが、1960年に独立し、ギリシャ系住民とトルコ系住民がそれぞれの代表を出して政府を構成した。だが双方はすぐに対立し、3年後にはトルコ系が政府から離脱した。

 1974年にはギリシャに軍事クーデターが発生し、キプロスにも飛び火したことをきっかけに、トルコ軍がキプロスに進軍し、トルコ系住民を立てて「北キプロス共和国」を建国した。ただし、この国を国家として承認しているのは、世界中でトルコだけである。

●EU加盟をめぐっても鋭く対立

 その後、1981年にEUに加盟したギリシャは、キプロスもEUに加盟させ、ヨーロッパを巻き込みながら、キプロス紛争を自国にとって有利な形で終結させることを目指した。だが、これに対してはトルコが猛反発している。

 トルコは1960年代からEUに加盟したいと表明し続けている。1999年に経済統合される予定になっているEUに加盟すれば、トルコの安い労働力で作った製品をどんどん西ヨーロッパに輸出できるし、トルコ人が西ヨーロッパに出稼ぎに行くことも簡単になる。

 だが、トルコ東部に住むクルド人の独立運動に対する弾圧や人権侵害、経済の不安定さ、アフガニスタンからイランを通って運ばれてきた麻薬をトルコ人がヨーロッパに転送する役割を果たしている、といった問題点を指摘され、それがなくならない限り、EUへの加盟は許可しない、とEUから言われている。

 そしてEU各国の多くは、トルコよりも先に、キプロス共和国を加盟させたいという意志を持っている。トルコとしては当然、自国のEU加盟が前向きに検討されない限り、キプロスの加盟には反対だ、ということになる。

 ソ連のすぐ南にあるトルコは、冷戦時代、ロシアに対する防波堤としてアメリカに大切にされ、EUには入れてもらえなくても、軍事同盟であるNATOには加盟している。そのため、トルコは欧米に対して一応の発言力を持っており、トルコの強い反対を無視することはできない。

 しかも、あまりヨーロッパが冷たくすると、トルコ国内のイスラム原理主義勢力が力をつけ、ヨーロッパに対して敵対するようになってしまう。イランと組んだりしたら大変だ。そのため、ヨーロッパとしては、トルコに気を持たせながらも断り続けるという戦術が必要になっている。

 一方、ギリシャはトルコのEU加盟には絶対反対で、もし西ヨーロッパの国々が、トルコの加盟を検討するなら、ギリシャは東ヨーロッパなど他の国々の加盟に全てに反対し続ける、という強行姿勢を取っている。

●アメリカが仲裁しても多分ダメ

 トルコとの間に歴史的な対立を抱えているヨーロッパ人には任せておけない、とばかりに、最近はアメリカもキプロス問題の解決に向けて腰を上げた。11月10日にはアメリカ政府の特使がキプロスを訪れ、和平工作をすることになっている。だがアメリカも、双方を一時的になだめることはできても、紛争を根本的に解決することは、ほとんど不可能だろう。

 トルコとギリシャの対立だけでなく、旧ユーゴスラビアの紛争や、インドとパキスタンの対立にもみられるように、世界で起きている地域紛争の多くは、19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ諸国が植民地支配を終えるときにまいた対立の火種が、ずっと残っていることがわかる。

 ヨーロッパ人が今日まで紛争が続くことを見越して火種をまいたのかどうかは分からないが、自分で紛争の原因を作っておきながら、後で「仲裁」に入る欧米人が、どうも偽善的な人々に見えてしまうのは、筆者だけであろうか。

 
田中 宇

 


関連サイト

ようこそトルコの旅へ
トルコ共和国大使館/トルコ政府観光局のページ

キプロスのホームページ(英語)
ギリシャ系、トルコ系の両方の情報が得られるようだ。





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