台湾のモンゴル独立承認は「台湾独立」への観測気球

田中 宇  1996年8月5日


 台湾(中華民国)の李登輝総統7月12日、国民大会(国会)で、モンゴルが独立しているという事実を認めることを表明し、議会がこの問題について十分に討議すべきだと述べた。このことに端を発し、「大陸への反攻、再統治」という台湾の国家目標の見直しが公式に議論される可能性も出てきた。モンゴル独立承認は、中国政府や台湾の統一派から「隠れ独立派」と呼ばれている李登輝総統が、中国との再統一を防ぐために打ち上げた観測気球ともいえる。

 モンゴル共和国が独立したのは1910年代のこと。台湾が今ごろになってモンゴルの独立を承認するということの背景には、台湾で作られている地図には今も、中華人民共和国の領土となっている地域に加え、モンゴルも自国(中華民国)の領土として書かれているということがある。国民党は、共産党との国共内戦に敗れ、台湾に逃げ込んでから、一貫して「大陸反攻」を国是としてきた。

 その「大陸」の定義の中に、中国とは別の国となったモンゴルが含まれているのは、反共国家だった台湾では、ソ連の属国だったモンゴルの独立を承認したくなかったことが理由だ。民主化が実現した1980年代後半まで、モンゴルの独立について公の場で語ることは、台湾ではタブーの一つだった。

 モンゴルでは先に実施された国会議員選挙で、共産党に代わって民主勢力が議席の過半数を占め、今後は自由主義経済をさらに導入していくことが確実となった。台湾としては、モンゴルとの経済関係を深め、合弁企業などを作りたいという意志もあるはずで、経済的な要因も「独立承認」の原因だろうが、それより大きいのが政治的な面である。

 モンゴル独立発言が出た翌日の議論で、国民党から分裂して結成された「新党」の議員は李総統に対し「あなたは外蒙古の独立を認めたが、次には大陸の領土権全体を放棄することを承認するのではないか。そうなる可能性がある以上、あなたは台湾独立派と違いがないと思われるが」と質問した。それに対して李総統は「これ以上、作り話を続けて世界中の笑いものになるのは良くないと判断した」と、独立承認の理由を語った。ここにこの出来事を解くカギがある。

 台湾がモンゴルだけでなく、自国の領土に関する全ての「作り話」を廃止したらどうなるか。大陸は、今は「匪賊」である共産党に支配されているが、もともとは中華民国の領土であり、いずれは共産党を打ち破り、大陸での統治を再開し、首都も大陸に戻す、という国民党の目標も、やめてしまうことになる。そうすると困るのが、敵対しているはずの中国政府である。

 中国政府もまた、「国共内戦」が今も続いていると認識し、台湾を自国の領土として主張し、いずれ統合するという目標を掲げている。台中双方が同じ領土を主張して敵対しているなら、かつてソ連の仲介などで2回実施された「国共合作」の3回目をやり、戦争ではなく話し合いで統一することもできる。国民党勢力はその後で無力化してしまえばいい、というシナリオだ。

 だが、台湾が「大陸反攻」の看板をおろしてしまうと、台湾は中国と領土に関する戦争や交渉をする必要はなくなり、中国だけが台湾を欲しがっていることになる。そうなると中国が交渉を持ち掛けても台湾は応じないので、軍事的に台湾を占領するしかない。だが中国が台湾を攻撃すると、せっかく台湾に築かれた経済基盤が壊滅し、中国がほしかった台湾の経済的な繁栄が失われてしまう。「内戦」を下手に外国が批判すれば「内政干渉」になるが、中国と台湾が別の国家だとなれば、台湾侵攻は「侵略」になってしまい、国際的な非難も受けることになる。だから、台湾独立派は中国の敵なのである。

 とはいえ、台湾の人々の多くは、大陸との再統一を希望していない。選挙で選ばれた香港の議会を中国が返還後に解散することを宣言したのをみて、統一を望む声はさらに減っているはずだ。企業にとっても、大陸に工場を作ることができれば十分である。民主的な選挙を実現し、民主主義国となった台湾では、民意を無視した国の方針を掲げ続けるのは良いことではない。

 だがもう一方では、中国は恐い。中国政府は台湾政府が「中華民国の領土は、台湾と金門・馬祖地域だけだ」と突然声高に宣言したら、本当に軍事侵攻してくる可能性すらある。だから、この問題は微妙だ。だから李総統は「独立か統一か」という命題には直接触れず、少しずつ問題を処理していこうとしている。

 中国は「香港の次は台湾だ」と考えているから、来年には台中交渉が本格化していくだろう。それまでに、今までタブー視してきた領土問題について、少なくとも国民の間での議論を深めておかねばならない。そう考えた上のモンゴル独立承認発言だったのだろう。だから李総統は「この問題について十分討議すべきだ」と言ったのだ。

 その一方で台湾政府は、国連への再加盟など、国際社会への復帰を図っている。中国が武力侵攻しようにも、国際的な非難を恐れて実行できない、という状況にしたいのである。中国政府も台湾の国際的な地位を高めないようにしており、攻防が続いている。

 実は、国民党政府は1946年に、すでにモンゴルの独立を承認している。ソ連がまだ、勢力の弱い共産党より、国民党の方を支援していた1945年6月、ソ連と国民党との外交交渉で、蒋介石主席(当時)は「もしソ連が、日本撤退後の東三省(旧満州)を中国共産党に渡さず、新疆の独立運動を鼓舞しないと約束するなら、国民党としては、抗日戦争に勝利した後、外蒙古(モンゴル)が国民投票を経て独立することを認めてもよい」と主張し、46年1月にモンゴルの独立を承認した。

 だがその後ソ連は、勢力が拡大してきた中国共産党だけを支持し、著しく腐敗していた国民党への支持をやめた。そのこともあって国民党は内戦に敗れ、台湾に逃げ込むことになった。国民党は中華人民共和国成立後の1953年、ソ連との間で結んでいた「中ソ友好条約」の正式な廃止を決定し、この時からモンゴルの独立承認も白紙に戻ったように解釈され、台湾で作られている地図には、モンゴルも自国の領土として描かれることになった。

 ところで、以下は蛇足だが、蒋介石が日中戦争が終わる直前の45年5月、ソ連に「満州を共産党に渡すな」と要求していたということは、ソ連が当時、日本が降伏した後の満州を共産党に渡し、中国の残りの部分では国民党の統治を承認するという案を持っていたことを示している。当時すでに、ソ連は対日参戦の意志を固めていた。

 日本統治下の満州では、共産党は活発に地下活動をしていたが、国民党の勢力はほとんど及んでいなかったことが、こうした計画案の背景にある。国民党があまり腐敗していない政党で、もっと国民の信頼を得られていたら、あるいは共産党の勢力も大して伸びず、その結果、旧満州は共産党が統治する「中華人民共和国」、そして山海関以南の中国は国民党が統治する「中華民国」となり、朝鮮半島のように分断統治が行われていたかもしれない。


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