他の記事を読む

強さを取り戻すロシア

2001年4月25日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 4月22日、チェチェン人ゲリラがトルコ・イスタンブールの高級ホテルで宿泊客らを人質にとり、12時間ほど立てこもった事件は、ロシアの辺境地域で分離独立を求めるチェチェン人に対するロシア軍の攻撃と弾圧がひどい人権侵害であることを世界に忘れてもらいたくない、という意図を持ったものだった。

 120人の人質のうち40人はアメリカ人だったが、アメリカの新聞は「犯人たちは意外と親切で、人質に軽食を出し、人質にとったことを謝りながら、チェチェンの現状を説明した」「トルコ人は民族的、宗教的にチェチェン人と近いので、トルコでは親チェチェン・反ロシアの市民感情が強く、事件を肯定的にとらえる人が多い」などと報じた。犯人たちは声明の中で「アメリカの主導で、ロシアに対する経済制裁を実施すべきだ」と主張しているが、アメリカの新聞が良心的な犯人像を描いているという点では、犯行の成果はあったということになる。

 チェチェン人組織は、1ヶ月前にはイスタンブールからモスクワに向かう飛行機をハイジャックしているが、彼らがたて続けに示威的な犯行を起こすのは、ロシアを封じ込められる唯一の超大国として彼らが期待しているアメリカでブッシュ政権が誕生したことと関係していると思われる。

 ブッシュ政権の担当者は、すでにチェチェン人が結成している政府の外交責任者と面談しているし、ロシアを敵視する政策を強化している。アメリカは前任のクリントン政権時代には、ロシアとの関係が悪化することを恐れる傾向が強かった。たとえば1994年にオルドリッチというCIA高官がロシアのスパイとして働いていたことが発覚しても、ワシントンのロシア大使館の担当官1人を追放してロシアに帰しただけだった。

 だが、今年3月にハンセンというFBIの捜査官がロシアのスパイだったとされる事件が起きると、ブッシュ政権は55人もの在米ロシア人外交官を追放してしまった。その中には、今回のスパイ事件には直接関係なさそうな人が多く混じっていると報じられている。

 ブッシュ政権は就任早々「米本土ミサイル防衛構想」の早期実現をぶち上げ、ロシアや西欧諸国、中国や韓国にいたるまで、多くの国々から「好戦的すぎる」として反発を受けた。アメリカ政府が反ロシア的な傾向を強めているとみたロシアのプーチン大統領は、ロシアと同様にアメリカへの懸念を強めているヨーロッパ諸国に接近する外交を始めたが、プーチンがスウェーデンでのEU首脳との会談に向かう直前に、アメリカはロシア外交官の大量追放を発表し、ロシアと西欧との接近を威嚇するメッセージを発した。

▼ロシア共産党の復権を恐れたアメリカ

 1990年、ゴルバチョフを追い落とそうとするソ連最上層部のクーデターを、ソ連の一部だったロシアの大統領エリツィンが逆に利用して権力を乗っ取り、ソ連を崩壊させたが、その後ロシアではエリツィンの急進的な経済改革が失敗し、混乱が続いて人々はエリツィンに失望し、共産党が勢力を盛り返した。

 アメリカはロシアが再び共産化することを恐れ、エリツィン体制を支持するために資金援助を行い、欧米からロシアへの民間投資の増加を誘った。ロシア経済の自由化は、ソ連時代の幹部の一部が国有企業を民営化する過程で大金を懐に入れ、その金をテコに新興資本家(金融財閥、政商)になるという道筋をたどり、不正が多かったが、それが欧米から強く批判され続けることはなかった。ロシア政財界の腐敗がひどいのでCIAが警鐘を鳴らず報告書をクリントン大統領に提出したこともあったが、大統領はほとんど無視した。

 99年末にエリツィンが辞任するまで、ロシアでは政治力を身につけた大物資本家どうしの激しい権力争いが続いていた。エリツィンは心臓病などの健康問題もあり、何とか権力を保っているという感じだった。ところが、エリツィンが後継者として据えたプーチンは、大統領就任から1年間で敵対勢力の多くを駆逐してしまい、共産党もプーチンの言うことを聞くようになった。

 共産党の脅威が減った結果、ロシア政府と仲良くしておく必要性を感じなくなり、逆にプーチン政権を威嚇する行動を展開するようになった、というのがアメリカの対ロシア政策の転換の裏にあるように見える。

 石油利権とのつながりが深いブッシュ政権は、旧ソ連の南に位置するアゼルバイジャンにあるカスピ海油田の石油を欧州に運ぶパイプラインを作ることを念頭に、アゼルバイジャンと隣国アルメニアの紛争を解決する和平交渉を主催するなど、歴史的にロシアの影響圏内と考えられていた場所に入り込み、自分たちの利権を拡大する行為を始めている。これはロシアから見れば、かなり腹の立つことであろう。

 ブッシュ政権は、ロシアだけでなく中国に対しても、クリントン時代よりも威嚇的で暴力的な対応の仕方をしている。その戦略の基本理念は明らかにされていないが、おそらく「相手を暴力的に脅した後に話をすれば、最初から話だけで交渉するよりも、こちらに有利な結論を引き出せる」という理屈ではないかと思われる。中国もロシアも、経済的にはアメリカに頼らねばならないので、怒らせても決定的な対立にはならないだろうと考え、唯一の超大国らしい振る舞いを始めた、ともいえる。

▼汚職撲滅の実体は権力闘争

 ロシアで使われる権力闘争の手段として「刑事追訴」と「スキャンダル報道」がある。98年にロシア金融危機が起き、エリツィン大統領を支持してきた金融資本家たちの力が弱まってエリツィン政権が弱体化したとき、ロシア議会はエリツィンに対抗させるため元KGBのプリマコフを首相としてクレムリンに送り込んだ。プリマコフは「汚職撲滅」を宣言し、検事総長に命じて政府高官や政商たちに対する捜査を始めたが、これはエリツィンとその周辺の人々を標的にしていた。

 エリツィン側は検事総長が売春婦と一緒にいる映像を国営テレビに流させるなどして抗戦し、やがて勢力を盛り返して8カ月後の99年5月、経済を好転できないことを理由にプリマコフ首相を解任した。その半年後に行われた議会選挙では、政府系テレビ局がプリマコフへの中傷攻撃の報道を続け、彼が党首をしていた政党「祖国・全ロシア」は支持を失った。

 このようにロシアの政治は、まさに食うか食われるかの世界である。だからエリツィンが大統領の座をプーチンに譲る際、最初にプーチンにさせたことは、エリツィンに不逮捕特権を与える法令を作ることだった。

 ロシアで大統領に対抗できる権力を持っている人といえば、何人かの政商たちと地方の州知事などだったが、プーチンは大統領に就任した後、脱税や業務上横領などの罪状をちらつかせ、これらの対抗勢力を押さえ込んだ。

 エリツィンを動かしている黒幕と言われていた人物にベレゾフスキーという政商がいる。彼はエリツィン同様にプーチンも自分の言うことを聞くだろうと考えたらしく、プーチンが彼の言うことを聞かないのでプーチン批判を展開した。するとプーチンは昨年末、横領の疑いでベレゾフスキーを逮捕してしまった。

 ベレゾフスキーの逮捕は、かつてエリツィンを倒そうとしたプリマコフも狙っていたものだが、エリツィンに阻止されて棚上げされていた。ところがエリツィン自身が選んだ後継者のプーチンが、同じ逮捕容疑を使ってベレゾフスキーを検挙してしまった。これを見て、他の政商や州知事たちもこぞってプーチンに服従するようになった。

▼報道の自由を弾圧しても消えないプーチン支持

 プーチンはまた、自分を批判する放送を続けていた「NTV」というテレビ局を黙らせる作戦も展開した。ロシアには主要テレビ局が3つあるが、NTV以外は政府系で、プーチンを批判するトーンの放送は流さない。NTVの社主はグシンスキーという政商だったが、人工衛星ビジネスなどに失敗して経営難に陥り、政府系ガス会社ガスプロムから借りた金が返せなくなった。

 グシンスキーは昨年6月、拳銃不法所持の名目で逮捕されて脅され、出所を許されるのと引き替えにNTV株をガスプロムに渡すことを約束させられた。その後アメリカが「言論の自由の封殺だ」と批判したが、今年4月上旬に経営陣が政府系の人々に代わり、政府批判を展開してきた記者やディレクターの多くが退社した。

 ソ連時代と違い、新聞や雑誌の発行は自由になったが、政府批判を載せ続けていると、社主のところに税務署や警察がやってきて、何か微罪を見つけて引っ張られ、圧力をかけられるのが現状だ。

 プーチンの荒っぽいやり方は、欧米のマスコミから非難されたが、当のロシア人のほとんどはプーチンを支持し続けている。プーチンが大統領に就任してから5つの地方で選挙があったが、そのうち4つはプーチンが推した勢力が勝っている。プーチンを明確に批判している勢力は、西欧型の民主社会をめざすリベラルな知識人たちぐらいで、彼らは国民全体からみると圧倒的少数派だ。

 プーチンが支持される理由は、政治不安が続き国が弱体化していたエリツィン時代に比べると、プーチンは強権政治を行うことによってロシアを安定させたからである。欧米は「言論の自由が弾圧されている」と批判しているが、ロシアの人々は「ソ連時代に比べれば、ずっと自由が増えた」と思っている。

 すでに説明したように、ロシアにおける報道機関は、社主が政敵を攻撃するための道具として使われている側面がある。アメリカの主要マスコミはモスクワに特派員を置いており、そのことを十分承知しているに違いないが、NTVについての報道の多くは「今まさに言論の自由が圧殺されようとしています・・・」といったトーンだけである。

 ここ2−3年、アメリカの主要マスコミの海外報道は、アメリカ政府(国務省)の見方に沿ったかたちで歪められ、現場の視点が故意に削除された記事が増えているように感じられる。国務省などによって隠然とした言論統制が行われているという批判はアメリカのマスコミ内部にもある。「言論の自由」を謳歌しているはずのアメリカも、実はロシアのことを批判できる状態ではないというわけだ。

▼チェチェン人とアメリカ

 プーチンは、チェチェン人に対する弾圧を自分の強さを誇示する方法として使っている。ロシア人からみれば頼もしいプーチンの強さも、チェチェン人からみれば嫌悪と恐怖を感じさせものであり、逆にアメリカのブッシュの荒っぽさこそが頼もしく見えるだろう。

 しかし、それならブッシュ政権がチェチェン人のために働いてくれるかといえば、それはあまり期待できない。アメリカはセルビアの内戦でコソボのアルバニア系住民を支援したが、それはアルバニアとコソボが合体させたいアルバニア人の領土拡張欲に荷担するだけの結果になってしまった。「大セルビア」の民族主義を潰すつもりが「大アルバニア」の民族主義を煽ることになった。これを教訓とするなら、アメリカはチェチェンとロシアの対立に首を突っ込むことはしないだろう。

 アメリカは、チェチェン問題を使ってロシアを攻撃する意図はあるかもしれないが、それはチェチェンの民族自決を助けるためではない。ロシアを攻撃することがアメリカの国益につながるからである。歴史的に、いくつもの強大な帝国に囲まれてきたカフカス地方に住むチェチェン人たちは、そんなことは分かった上で戦っているに違いないのだが。




田中宇の国際ニュース解説・メインページへ