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国家存亡の危機に立つマケドニア

2001年7月30日   田中 宇

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 6月上旬、旧ユーゴスラビアの一国であるマケドニアが、台湾(中華民国)との国交を断絶し、中国(中華人民共和国)との国交を樹立した。

 マケドニアが台湾から中国に鞍替えしたのは、中国が国連安全保障理事会の常任理事国であることと、たぶん関係している。マケドニアは、多数派であるスラブ系の人々と、2割を成すアルバニア系からなる複合民族国家だが、北隣にあるコソボでの独立紛争の影響で、今年初め以来、アルバニア系の人々が内戦を引き起こしている。

 この内戦を鎮めるため、マケドニア政府は国連の治安維持部隊を呼んでくる必要が高まっているが、マケドニアが中国と外交関係を持たずに台湾支持を続けていると、中国が国連安保理で拒否権を発動して治安部隊のマケドニア進駐に反対するおそれがある。そのため、マケドニア政府は台湾から中国に鞍替えしたのだと思われる。

 マケドニアが台湾との外交関係を樹立したのは1999年初めのことだった。マケドニアではその少し前に議会選挙があり、「民主的選択」という政党が「10億ドルの投資を海外から呼び込む」という公約を掲げて勝ち、連立政権に入った。彼らは公約を実行するために台湾との外交を結び、台湾から巨額の経済支援を得た。その一部は同党の政治家のポケットにも入った、と地元では報じられている。

 ところが、その1年後に行われた大統領選挙で「民主的選択」の候補者が破れ、台湾より中国との関係を重視する人物が新大統領になった。それ以来、マケドニア政界で台湾を支持する勢力は弱くなり、今回の鞍替えに結びついた。

▼マケドニアが国家になる資格がないなら台湾も・・・

 マケドニアは古代、アジアと欧州をつなぐ大帝国を築いたアレクサンドロス大王を輩出した王国だったが、現在のマケドニア人は古代の人々とはほとんど関係がない。今のマケドニア人は、大王の時代より1000年ぐらい後、ローマ時代の民族大移動でやってきた「南スラブ人」で、それはセルビア人やブルガリア人と同じ人々である。

 そのため、19世紀にマケドニアの独立運動が起きた後も、周辺のセルビアやブルガリア、ギリシャなどの人々の中には「マケドニア人という民族は存在せず、彼らはわが民族の一部である」と主張する人が多い。マケドニア語はブルガリア語に近いため、ブルガリアでは特にそうした主張が強い。

 だから、マケドニアが台湾と断交したとき、台湾の新聞には「マケドニアは、もともと単独の国家になるべき存在ではなく、旧ユーゴスラビアが分解したのに伴って偶発的に生まれた国でしかない。そんな国との国交はもともと必要なかった」という主張が載った。

 強がりとも思えるこの主張は、中国からの独立を支持する傾向がある「タイペイタイムス」に載っていたのだが、これは台湾では自己矛盾であるとも感じられた。隣の国と言葉や民族性が同じだと国家になれないとしたら、台湾が中国(中共)の一部ではないと主張することも難しくなってしまうからだ。

▼大セルビアが下火となり大アルバニアが燃え出す

 マケドニア国民は、南スラブ人(スラブ系)が7割を占め、残りの多くはアルバニア人(アルバニア系)である。スラブ系が多数派、アルバニア系が少数派という組み合わせは、北隣のセルビア共和国と同じ構図である。

 セルビアでは、共和国全体としてはスラブ系(セルビア人)が多数派だが、アルバニア系が集まって住んでいるコソボ自治州ではアルバニア系が人口の9割近くを占める。同様にマケドニアも、全体ではスラブ系(マケドニア人)が多いが、北西部ではアルバニア系が多数派となる。

 アルバニア北西部とコソボ、そしてアルバニア本国という3つのアルバニア系地域は隣接している。この3つを合わせて「大アルバニア」と呼び、アルバニア人の中には、コソボがセルビアから独立し、マケドニア北西部がマケドニアから独立して大アルバニアに合流すべきだという考えの人が多い。

 バルカン半島でもう一つ「大」になることを目指していたのがセルビアで、周辺のボスニアやコソボなどに住むセルビア人を支援することを名目にして周辺地域に介入し、「大セルビア」を実現しようとしたのがミロシェビッチ前大統領だった。コソボへの介入はアメリカの横やりで失敗し、ミロシェビッチは昨年の選挙に破れた後、今は犯罪者扱いされ「国際法廷」で裁きを待っている。(裁判というより政治ショーとなる可能性が大きい)

 こうして「大セルビア主義」は下火となったが、次に燃え始めたのが「大アルバニア主義」である。外交得点を挙げるため、ユーゴ紛争に介入したアメリカのクリントン前政権は、ミロシェビッチを「悪玉」に仕立てる半面、コソボのアルバニア人を「味方」として支援した。

 だがこの策は「大アルバニア主義」に火をつける結果となった。コソボでは国連の治安部隊と、表向きは解散させられたコソボ解放軍(KLA)の残党である武装勢力とが対峙する事態となっている。

 アフガニスタンやレバノン、北アイルランドなど、紛争が長期化した地域によくある現象として、いったん「武装ゲリラ業界」に入ってしまった人々は、和平交渉が成功して戦闘が終わった後も、カタギの商売に戻ることができず、武器を持った彼らの存在があるがゆえに、いったん成就した平和が崩れ、再び内戦に戻ってしまうということがある。

 また紛争地域では、混乱状態を前提としたヤミのビジネスがはびこるため、その利権にありついた人々(多くは武装勢力)は、内戦状態が長く続くことを望むようになる。

 コソボでも、KLAは以前から麻薬や武器の運搬や違法移民の移動手引きなど、ヤミのビジネスを手がけて悪名が高かったが、もともとの敵だったセルビアのミロシェビッチも逮捕され、北隣との戦いが解決したため、「失業」しかかっている。

 そこで今度は「大アルバニア主義」の名のもとに、南隣のマケドニアで新たな紛争を仕掛けた可能性もある。マケドニアで内戦を起こしたアルバニア系武装組織「NLA」(民族解放軍)は、KLAから運営ノウハウを受け継いで作られている。

▼アルバニア語を公用語にできないマケドニア政府

 とはいえ、戦争より平和を望む人々の方が多いのも確かだ。アルバニア系とスラブ系が混住しているマケドニア北西部の地方では、両民族のコミュニティが連絡を密にすることで、対立を回避しようとする努力が続けられている。内戦が勃発すると、それまで政治を支配していた政治家などが力を失い、武装ゲリラ組織に権力が移ってしまう。それを防ぐため、政治家の多くも平和的な解決を望んでいる。

 またNLAなど、マケドニアのアルバニア系住民がマケドニア政府に対して求めていることは、分離独立そのものではない。マケドニア語だけでなくアルバニア語も公用語に加えるとか、これまでアルバニア系住民が公務員などになりにくかったのを改めるといった、比較的穏健な要求だ。本音では「分離独立」が目的なのかもしれないが、その要求は表には出てきていない。

 しかしマケドニア政府は、アルバニア語を公用語にするという要求を容れることもできず、交渉は暗礁に乗り上げた。マケドニアの国家としてのアイデンティティが強くないため、アルバニア語を公用語として認めると国家が分解しかねない、と政府が考えたためだった。交渉が進展しにくい状況の中、マケドニアという国が存続するのかどうか、危ない状況が続いている。



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