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イラク侵攻とドル暴落の潜在危機

2003年3月11日   田中 宇

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「専門家のうち99%以上が、もう米軍のイラク侵攻は不可避だと言ってますよ」ごく最近、電話で出演したラジオの番組で、スタジオにいる専門家の人にそんな風に言われた。この言葉に込められた意味は「侵攻がないかもしれないなんて言っているのは、もう貴方しかいませんよ」ということだろう。

 だが、この期に及んで、まだ私は、開戦しない可能性があると分析している。確かに、世界に流れる報道の99%は「不可避」だと読み解ける内容かもしれない。ところがその一方で、たとえば3月10日には「アメリカとイギリスは、安保理での反対圧力を低めるため、イラクのフセイン政権がどこまで武装解除を進めたら戦争を回避できるか、国連安保理にかける決議案の中に条件を明示するという修正案を出すことにした」と報じられた。(関連記事

 アメリカはこれまで「イラクは完全に武装解除しない限り、武力行使する」と言ってきたが、イラクが持っている武器のうち、どれとどれを廃棄したら「完全な武装解除」になるのか明示しておらず、アメリカの主張は「イラクがどんなに武装解除しても武力行使する」というのと同じだった。修正案が、イラクが廃棄すべき武器のリストを示すものに変更された場合、イラクがそのリストに沿って武装解除を達成すれば戦争を回避できる、という可能性が出てくることになる。(関連記事

 また同じ10日には、ブッシュ大統領の父親(元大統領、パパブッシュ)がアメリカ単独でのイラク侵攻に反対を表明した。ブッシュの父親は、アメリカ東部ボストン郊外のタフツ大学で講演し「国際社会の協調なしにイラク侵攻したら、パレスチナ和平が完全に破壊されてしまう」「嫌悪感を乗り越え、フランスやドイツと仲良くすべきだ」などと語り「アメリカの単独侵攻に反対する人々の意見には道理がある」という趣旨のことまで述べたという。(関連記事

 アメリカが単独で侵攻に突っ走ると、米政権中枢の親イスラエル派(ウォルフォウィッツ国防副長官ら「ネオコン」)の独裁状態を生み出し、あとで大統領がパレスチナ和平交渉をやろうと思っても、政権内の親イスラエル派によって止められてしまうことになる。ブッシュの父親が、米軍の単独イラク侵攻とパレスチナ和平の破壊が結びつけて語ったのは、そうした懸念を表明したのだと考えられる。

(パパブッシュはイスラエルに批判的だったため、米国内のイスラエル系ロビー団体の逆鱗に触れ、1992年にクリントンに負けて再選を逃した)

 ブッシュ大統領は、父親のアドバイスに従うことで知られる。ブッシュ政権が就任して間もなくの2001年3月、ネオコンが牛耳る国防総省が主導して北朝鮮に対して挑発的な敵対策をとり始めたとき、父親は息子に「北朝鮮に対してもっと柔軟な政策をとった方がいい」「国防総省のいうことばかり聞いていたら、良い外交はできない」と呼びかけたメモを送った。この後、2002年初めに北朝鮮を「悪の枢軸」の一つに指定するまでの間、ブッシュ政権の北朝鮮政策はやや穏健になった。(関連記事

 そのことから考えると、そもそもこのタイミングでパパブッシュの発言が飛び出してきたこと自体、米政権中枢でイラク侵攻を止めようとしている勢力がまだ存在していることが感じられる。パパの発言で事態が変わる可能性があるからこそ、発言が出てきたのだと思われる。

▼もう国債発行できないアメリカ

 パパブッシュの発言について「いくら親孝行の息子でも、今さら大統領として決めた政策を大転換できない」という見方もありえる。国連での英米の譲歩も「譲歩してみせて、中間派を親米側につけ、一気に巻き返す策略ではないか」と見ることもできる。

 しかし、それでも私が「まだ開戦と決まったわけではない」と考え続けるのは、もしアメリカが国連と連携せずにイラクに侵攻した場合、そのあとでアメリカが持たなくなる可能性があると思われるからだ。

 今、アメリカ政府にはカネがない。財政難の状態だ。前任者のクリントン政権(2期目)が4年間でためた財政黒字を、ブッシュ政権は就任以来の2年間でぜんぶ食いつぶしてしまった。今や、アメリカ連邦政府の国債発行残高は6兆4000億ドルで、すでに米議会が決めた国債発行上限に達してしまっており、今のアメリカはこれ以上国債を発行できない状態だ。この状態が続くと、米国債に対する信頼が失われてしまう。(関連記事

 アメリカの国債発行上限は昨年6月、5兆9000億ドルから現在の6兆4000億ドルに引き上げられ、それからまだ半年あまりしか経っていないのに、また上限に達してしまった。国債発行の増加は財政赤字を増やし、長期的に経済の足を引っ張り続けるので、ブッシュ大統領と同じ共和党が多数派を占めている現在の米議会でさえ、発行上限の引き上げには反対意見が多い。

 国債の増発を議会に反対されたホワイトハウスは、仕方がないので連邦政府の公務員の年金基金から借り入れを行うことにした。今後さらに財政赤字が拡大した場合、アメリカ政府の公務員が退職後の年金をもらえなくなる恐れがある。公務員が年金をもらえなくなって抗議すると、政府から「テロ対策の方が大事だ。年金をもらえなくても、テロに遭って死ぬよりましだろう」と言われるのだろうか。(関連記事

 国債発行残高は、GDPの額の60%程度なら健全財政であるとされる一方、GDPの90%とかになると、不健全だとみなされる。日本ではGDPの120%で、かつてアメリカは日本の財政赤字を批判していたが、今やアメリカは日本を批判できなくなっている。

 アメリカ連邦政府は国家予算も大赤字だ。今年の財政赤字は過去最大の4020億ドルになる予定で、これまで最高額だったパパブッシュ時代の1992年の2900億ドルを、いきなり1000億以上も上回っている。来年の予算も、すでに3040億ドルの赤字になる見込みで、しかもこれにはイラク戦争のコストが含まれていない。(関連記事

▼テロ対策は予算だけで中身がない

 アメリカの財政が黒字から赤字に転じたのは、911事件後のテロ対策費が巨額であることが主因だ。これで十分なテロ対策が行われているなら納得できるが、実は米当局は、きちんとしたテロ対策をやっていない。911事件に対する真相究明は途中で打ち切られ、アルカイダが911事件の犯人であるというのも、米当局者が主張しているだけで、証拠がほとんどない。

 実行犯の主犯格といわれるモハマド・アッタが、アラブ首長国連邦のある銀行口座から送金を受けていて、その口座の名義は偽名であることが分かった。ところがその偽名口座の真の所有者がアルカイダの首脳であるという部分は、単に米当局がそう主張しているにすぎず、証拠が示されていない。ここで911とアルカイダのつながりは不明確になってしまう。

 何兆ドルも国家予算を使ってテロの再発を防止するというなら、そのぐらい明らかにしてほしいところだ。それがなされないのは、国家予算を流用・着服している連中が政権中枢にいる、と勘ぐらざるを得ない。国防総省に巣くう「ネオコン」の人々が、テロ対策費を使って逆にテロをあおり、世界を「文明の衝突」状態に持っていこうとしているのではないか、という仮説にもつながる。(関連記事

 しかもアメリカ経済は、日本の「バブル崩壊後」にも似た悪い状態で、地方の州や市町村の中にも、破産寸前のところがいくつも出ている。ひんぱんに発せられる「テロ警報」におびえる米国民は将来を懸念して消費を控え、それが景気をさらに悪化させ、企業業績が悪くなり、失業が増え、さらなる消費縮小を生んでいる。米当局が発するテロ警報の多くは、警報を発した根拠が事後にも明らかにされていない。911事件に対する捜査が不十分なのに、当局が確度の高いテロ警報を出せるとは考えにくい。

 しかもブッシュ政権は、大不況で政府の収入が減っているときに、さらに6900億ドルという超大型の減税をしようとしている。金融取引の利益に対する課税を緩めるもので、大金持ちへの優遇策だと批判されている。(関連記事

 減税は、適切にやれば人々の税引後実収入を増やして消費拡大につながるが、それは景気がいいときの話で、不況時の減税は効果が少ない。しかも中産階級に対する減税なら、まだ消費拡大になるかもしれないが、今回の減税は巨額の株取引を行える資産家を厚遇するもので、経済を上向かせる効果が少ない。ブッシュ政権を支援してきたのが高所得者層だったので、それに対する恩返しの意味が強い。

 アメリカの中央銀行(FRB)のグリーンスパン議長は2月末、ブッシュ政権の減税案をやんわりと批判したが、アメリカ経済の運営責任を任されたグリーンスパンとしては、それは当然の批判で、トーンがやんわり過ぎるぐらいだった。ところがホワイトハウスの報道官のコメントは「グリーンスパンは老いぼれた」という趣旨のものだった。ブッシュ政権は「一国主義」ではなく、米国内の正当な批判にさえ耳を貸さない「横暴主義」に陥っている。(関連記事

▼アメリカはイラクを復興できない

 すでに上限に達する財政赤字を抱え、今後アメリカ経済がさらに悪くなりそうな中で、不必要な減税までやってしまうと、もうブッシュ政権にはカネがない。「だからこそ景気づけにイラクに侵攻するのだ」という理屈もあるかもしれないが、それは間違いである。

 その理由の一つは「アメリカはイラクを復興できない」ということである。イラクの戦争と復興にいくらかかるかという概算には多くの種類があり、少なく見積もって1000億ドル、多く見積もると1兆9000億ドルかかる。これまで世界の戦争というものは常に、開戦前のコスト予測を大幅に上回るコストが実際にはかかっている。政治家は開戦前には低い数字を言わないと、国民を戦争に誘えないためだ。ベトナム戦争が予測の10倍、アメリカの南北戦争が12倍の金がかかったという。(関連記事

 それを考えると、イラクの開戦から復興にめどがつくまでに1兆ドルかかってもおかしくないということになる。今の経済状態では、アメリカにはそのカネが出せない。アメリカが国連を無視して開戦した場合、アメリカが金づるとして頼れるのは日本ぐらいしかないが、日本政府も財政難を理由に抵抗するだろう。

 12年前の湾岸戦争では、アメリカは戦費の1割強しか負担しなかった。サウジアラビア、クウェート、日本、ドイツなどが、すすんで戦費を負担した。しかし今回の戦争は「正義」が欠けており、どこのも金を出したがらないだろう。逆にトルコやエジプト、イスラエルなどから「戦争するならカネをくれ」という要求が出ており、余計に金がかかる。(関連記事

 すでに「戦争」が終わっているアフガニスタンの場合は、昨年1月に東京で行われた復興支援会議で、日米など先進国が合計で5年間に45億ドルの復興支援を行うと決定し、アメリカがこのうち33億ドルを出すことにして、その額は今年のアメリカの予算に計上された。(関連記事

 しかし、アフガニスタンのカルザイ議長は、この予算が予定通り実現するかどうか心配している。カルザイは2月末にワシントンを訪問し「イラク侵攻を行ったあとも、アフガニスタン支援を忘れないでほしい」とブッシュ大統領に訴えたが、米マスコミの扱いは小さかった。

 アメリカが国連決議を無視してイラクに侵攻し、その後の復興を形だけしかやらなかった場合、アメリカに対する国際的な信用が落ちてしまう。アメリカがほぼ単独で開戦し、ほぼ単独でイラクを素晴らしい国に変え、イラク国民の貧困層がアメリカ万歳と心から感じるようになるなら、独仏など「国際社会」の面々も、頭でも掻きながら「君はすごいね」という感じで、またアメリカに近づいてくるかもしれない。しかし、資金面だけで考えても、今のアメリカにはそんなことができないことは明白だ。

 つまりこのままアメリカがイラクに侵攻したら、今後アメリカは他国に爆弾を落とすことにしか関心のない国だと考える人が世界に多くなる。アメリカ国内でも、中央銀行のグリーンスパンのような正当な批判さえ、ホワイトハウスに聞いてもらえない傾向がますます強まる。

▼ドル神話の崩壊とイラク侵攻

 そうなると、アメリカにいったん背を向けたドイツ、フランス、ロシア、中国、韓国などの面々は、アメリカを外した「新国際社会」を作ることへと移行するかもしれない。アメリカに無視された国連は、アメリカ抜きの新国際社会の要となるかもしれない。そして、その基軸通貨は「ドル」ではなく「ユーロ」である。

 このような事態は、自分自身、書いていて「まるで空想小説の筋書きだ」と思えてしまうのだが、それでも「ドル本位制」が崩壊するかもしれないと思うのは、石油を決済するときの通貨が、ドルからユーロに移る兆候を見せているためだ。すでにイラクは2000年から石油決済の通貨をユーロに切り替えているし、アメリカから「悪の枢軸」呼ばわりされて迷惑しているイランが、これに追随する構えを見せている。

 アメリカが国連を無視してイラクに侵攻したら、すでにアメリカの好戦派から中傷されまくっているサウジアラビアも、軸足をそろそろとユーロの方に移すそぶりを見せるかもしれない。

 石油決済のユーロの割合が上昇する中で、アメリカが急速に赤字体質に転落し、今後もアメリカの経済政策がお粗末な状態が続き、その上ヨーロッパを中心に「新国際社会」もしくは「非米同盟」(反米ではなく、アメリカと距離を置く「非米」、もしくは「脱原発」のような「脱米」)ができていくとしたら、ドルからユーロへの巨大な資産移動が起こっても不思議ではない。そのときに想定されるのは「ドル暴落」である。すでに「イラク開戦」が近づいたと喧伝されるほど、ドルはユーロに対してじりじりと値を下げる現象が起きている。

 アメリカが世界から見放され始めたら、ドル暴落は空想小説の世界から出て現実の問題となり、時間の問題になる。アメリカの中枢部は、この危険に気づいているはずだ。私が「アメリカは開戦できない」と思うのは、そのような理由による。

 ドルの強さを支えているのは、アメリカに対する世界からの信任である。アメリカへの信任とは、つまるところ「アメリカは理想的な国だ」という信頼である。強くて、有能で、寛容で、誠実なアメリカである。だが、今のブッシュ政権は、強いふりをするばかりで、有能でも寛容でも誠実でもない。

 とはいうものの、私は、アメリカがすべての可能性を失ってしまったわけではないと思っている。少なくとも、今日の時点で、まだ開戦してしまったわけではない。ブッシュパパが登場して息子に苦言を呈したのは、アメリカが理想の国に戻るため、まず国連無視のイラク侵攻政策を改めるべきだという主張をしたのだと思われる。



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