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イラク戦争とブッシュ大統領の信仰

2003年4月5日   田中 宇

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 今回のイラク戦争が始まる前、私は「戦争は回避される可能性がある」と言い続けていた。2月10日に配信した「イラク侵攻をめぐる迷い」では、開戦に慎重なパウエル国務長官がわざとヨーロッパの反戦運動を煽ったのではないかと推測し、翌週の2月17日の「立ち上がるヨーロッパ」では、その結果ヨーロッパがアメリカからの自立を強めるのではないか、と予測した。

 3月5日配信の「反戦に動き出したマスコミ」では、アメリカのマスコミが反戦に傾き出したので、戦争が回避される可能性があるが、その動きはまだ弱く、アメリカの世論を転換するには至っていないと書いた。翌週3月11日の「イラク侵攻とドル暴落の潜在危機」では、アメリカが国際世論を無視してイラク侵攻に踏み切るとドル暴落の恐れがあるので、侵攻しない可能性があると書いた。

 いずれも、アメリカ国内に開戦に慎重な「中道派」と、早く開戦したい「タカ派」(ネオコン)がおり、911事件以来ブッシュ大統領が相次いで打ち出した「悪の枢軸」「先制攻撃」といった新概念はタカ派の「一強主義」の考え方に沿ったもので、この路線を突っ走るとアメリカは国際社会の反対を押し切ってイラク侵攻することになるが、昨年秋以降はブッシュ政権内の主導権を中道派であるパウエルが握っているように見えるので、開戦に至る前に戦争が回避できる策がこうじられる可能性もある、という読みだった。

▼均衡戦略の合理性

 もう一つ私がこだわっていたのは「アメリカは従来型の世界支配のやり方である程度成功しているのだから、そのやり方を変える必要はないはずだ」という合理論だった。911事件が起きるまで、ブッシュ政権はイラクに対する経済制裁を事実上緩和しようとする政策(スマート制裁政策)を持っていた。

 フセイン政権を倒すとイラクの混乱と弱体化は避けられず、周辺のイランやシリアの力を相対的に強めてしまい、アメリカの中道派(主流派)がこれまで目指してきた「均衡戦略」を自ら壊すことになる。アメリカの中道派は、石油の利権支配のためにも均衡戦略が良いという考え方だった。均衡戦略は非効率だという考え方はどこからも出てきておらず、従来の均衡戦略の上に「文明の衝突」の考え方を乗せ、世界支配の理由づけを強化する程度だと思われた。

 タカ派(ネオコン)は、イラク侵攻を突破口として中道派の均衡戦略を壊そうとしているように見えたが、なぜそんなことをしたいのかタカ派自身は合理的な説明をしておらず、私は洞察の結果「文明の衝突型の第2冷戦の世界対立を巻き起こすために、わざと中東を混乱させ、反米を煽る戦略なのではないか」とか「ネオコンは強度の親イスラエルなので、中東でイスラエルに対抗できる勢力をなくしたいのではないか」といった仮説を考えた。

 しかし、ブッシュ大統領が合理的な人なら「文明の衝突」を自ら巻き起こすとしても、もっと時間をかけてやるだろうし、イスラエルのためにアメリカが国益を損なうかもしれない均衡戦略の放棄に踏み切るはずがない。

 ブッシュ政権がイラク侵攻を急いだ結果「イスラム対欧米」という「文明の衝突」が激化する前に「アメリカ対ヨーロッパ」という予定外の衝突が起きてしまい、フランスとアルジェリアの仲直り、ロシアと独仏の接近など、ハンチントン教授らが企図した「文明の衝突」の構想を破綻させるような出来事が相次いだ。

▼合理的な判断をしなかったブッシュ

 結局、私の予測の中で間違っていた点は「ブッシュ大統領が合理的な判断をするはずだ」と考えていたことだと思われる。

 ホワイトハウスの中枢でどんな会話がなされ、ブッシュ大統領の頭の中でどのような思考が行われてアメリカの国家としての開戦の意志決定が行われたか、それは本人と中枢の側近以外には分からない極秘事項であろう。合理的な判断がなされているなら、意志決定の過程を情報公開しても良いかもしれないが、合理的な判断がなされているとは思えない以上、その過程は国民には永久に絶対知られたくないことだらけのはずだ。

(ホワイトハウスの意志決定の過程を詳細に描いたスタイルの本も出ているが、どこまで事実を描いたものかは疑わしい。事実を描いたら大変なことになるとしたら、事実のように見える仮想現実をジャーナリストに描かせた可能性もある)

 ブッシュ大統領がなぜ、どのように「不合理な決断」をしたのかということは、ブッシュ自身が弾劾訴追されて大統領の座を追われでもしない限り、明らかにならないだろうが、あえて改めて私なりに憶測してみると、カギとなるかもしれないと思われるのは、ブッシュ大統領が「宗教的な思い込み」をしそうだという点である。

 ニューヨークタイムスで中道派系のネオコン批判記事を多く書いている著名記者ニコラス・クリストフは3月5日の記事で、ブッシュがどうしてもフセインを倒さねばならないと考えている理由は、ブッシュが大人になってからキリスト教の信仰に目覚めたことと関係しているのではないか、と書いている。

 自分が大統領になれたのは、神が自分に悪の化身フセインを倒し、中東の人々を救う役割を与えたからに違いない、といった思い込みがブッシュの中にあるのではないか、という見方である。そしてアメリカ国民の中に、ブッシュと同様の大人になってからキリスト教の信仰に目覚めた人々が非常に多いことと、ブッシュのイラク侵攻を支持する米国民が多いことを結びつけている。

 クリストフの分析が正しいのなら、ブッシュ大統領は、中道派がいくら合理論でイラク侵攻を避けるように勧めても聞かず、ネオコンやキリスト教右派などからなるタカ派が説く善悪論の方を信じたとしても不思議ではない。

▼ジェイ・ガーナーが選ばれる意味

 タカ派はブッシュ大統領に「中東を民主化しましょう。それができるのは貴方しかいない」などと言ってその気にさせたのかもしれない。これが「合理論」ではないのは、中東を戦争によって民主化することはできないからだ。

 すでにフセイン政権後のイラクを統括する最高司令官として、米軍のジェイ・ガーナー退役少将(Jay Garner)が内定しており、クウェートにいるガーナーの動向が英米のマスコミで日々報じられ始めている。ガーナーは親イスラエル色の強い人として有名で、アメリカのイスラエル系ロビー団体「国家安全保障問題ユダヤ研究所」(JINSA)と関連が深い人物とされている。つまりネオコン陣営の人だと思われる。ガーナーがJINSAと深い関係でイスラエル寄りだということは、アメリカ東海岸のユダヤ系の人々によく読まれている雑誌「Forward」が指摘していることなので、たぶん間違いない。

 この人事の問題点は、イスラエル寄りのアメリカの軍人が自国を統治することを喜ぶイラク人は全くいないと思われることである。イラク人は、アメリカがイラクを民主化したいというなら、それは歓迎かもしれない。イラク人は、民主化によって自分たちがフセイン政権時代より自由になれるかもしれない、と期待するからだ。だが、イラク人はほぼ100%イスラエルを嫌っている。ガーナーの就任は、多くのイラク人にとって「イスラエルの支配下に入る」ことと同じ意味に受け取られかねない。それは、イラク人にとって容認できるものではない。アラブ系アメリカ人がサダム後のイラクのトップになるならまだ良いが、それとは全く逆の人選である。

 アメリカのタカ派は、それを自覚しつつ、このような人事をやっていると思われる以上、タカ派はイラクをわざと不安定にさせ続けたいのではないか、と考えざるを得ない。ブッシュ大統領がそういったことに気づいているかどうか、はなはだ疑問だ。大統領はタカ派、特にネオコンによって騙されている可能性がある。

 ブッシュ大統領が「何が何でもフセインを倒す」と決めてしまっている以上、中道派が大統領を説得しても無駄なことだ。そこで中道派のパウエルがとったのは「タカ派のふりをして危機を回避するように事態を持っていく」ということだったと思われる。正確には、ブッシュ大統領の本心がどうであるか、最後まで分からないのだろうから、パウエルが「タカ派のふりをした」というのも私なりの仮説である。



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