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諜報戦争の闇

2003年4月8日   田中 宇

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 昨年9月24日、イギリス政府は、イラクが大量破壊兵器を持っている「証拠」を集めた報告書を発表した。その中に「イラクは核兵器を開発するために、アフリカのある国から大量のウラニウムを買った疑いがある」という項目があった。(関連記事

 この指摘の内容は「1999年から2001年にかけて、イラクがアフリカのある国から500トンの酸化ウランを買う交渉を進めていたことを示す関係文書が見つかった」というもので、原子力発電所を持たないイラクがこれだけ大量のウランを買ったことは、核兵器を開発すること以外の目的が考えられないとして、イラクが核武装しようとしている疑いが濃いと指摘している。

 ブッシュ大統領がイラク問題を国連に持ち込むことを決定してから約2週間後に発表されたこのイギリスの報告書は、イラクに国連査察団を派遣する必要があると英米が主張するための裏づけとなるものだった。イラク政府は「そんな事実はない。米英の指摘は根拠がない」と否定したが「国際社会」の大多数は米英の指摘を事実として受け入れた。

 2日後の9月26日、アメリカ上院の外交委員会が開かれ、そこに出席したパウエル国務長官も、イラクのウラン購入疑惑について同様の発言を行った。この指摘により、議会内でイラク侵攻に反対していた民主党は沈黙させられ、間もなく米議会の上下院は、必要なときにブッシュ大統領にイラク侵攻することを認める決議を通過させた。

 3カ月後の昨年12月19日、米国務省は「イラクがウランを買ったのはアフリカのニジェールからだった」と発表した。米政府は、イラクがウランを買ったのは間違いないと判断し、この問題は今年1月28日、大統領が今年の政府方針を発表する「年頭教書」の中にもイギリス発の情報として盛り込まれ、ブッシュの演説の中でイラクを非難する材料として使われた。

▼偽造文書の稚拙さ

 ところが今年3月7日になって、このウラン問題は意外な展開を始めた。原子力問題を扱う国際機関IAEAが、ニジェールからイラクがウランを買った証拠だとされるイラク・ニジェール間の外交文書を「ニセモノだ」と指摘し始めたのである。(関連記事

 IAEAによると、証拠とされた外交文書はニジェール政府のレターヘッドが入ったものだったが、文書上の日付の時期には使われていない、古い時代のレターヘッドだった。文書の一つには2000年10月の日付があり、ニジェールの外務大臣としてアレレ・ハビボウの署名がついていたが、ハビボウは1989年まで外務大臣をしていた人で、この文書がニセモノであるのは一目瞭然だった。

 ほかにも、あまりに稚拙な作りの偽造文書が何点も含まれており、IAEAはニジェール問題の文書を束をアメリカ政府から受け取った後、数時間の検討だけで、明らかに偽造だという結論に達したほどだった。

 ニジェールにはウランを産出する2つの鉱山があり、いずれの鉱山もフランス企業が運営しているが、産出されたウランは全量が前もって購入先として決まっているフランス、スペイン、日本の電力会社に送られており、そもそも500トンものウランをスポットで特約出荷することができる態勢ではなかった。

 このニセモノの文書を誰が作ったのかということが謎だったが、それ以上に謎だったのは、諜報のプロではないIAEAが数時間で見破れた偽造に、米英政府の諜報機関がまったく気づかなかったのはなぜか、ということだった。米英高官の中に、根拠となる文書が偽造だと知りながらブッシュやブレアにウラン問題を語らせた者がいるのではないか、という疑惑が湧き出した。

▼ウソ情報発生機関MI6

 文書が偽造だと分かったことで、米英は世界に対してウソを言いながらイラクに侵攻したことが暴露されてしまった。米英の高官が、文書が偽造だと知りながら放置していたとしたら、自国に対する信頼が崩れてもかまわないと思っていたことになりかねない。

 アメリカの政権中枢には「何が何でも戦争したい」と考えている人もおり、彼らが「偽造の証拠を使って世界を納得させ、開戦に持ち込む」という作戦を考えたのかもしれない。だが、だとしたらIAEAが数時間でニセモノと見破るような偽造ですませるはずがない。もっと入念な偽造品を使ったはずだ。ニジェールの外務大臣の名前を間違えたりするのは、あまりに稚拙だ。コンビニのコピー機でお札をコピーしてニセ札を作るようなものである。

 諜報問題に強いアメリカのジャーナリスト、セイモア・ハーシュがこの問題を雑誌「ニューヨーカー」の記事として発表している。私の今回の文章は、その記事を参考にして書いているが、ハーシュは、偽造文書を作ったのはイギリスの諜報機関「MI6」だった可能性があると指摘している。ハーシュによると、MI6は1997年ごろからイラクの大量破壊兵器に関してニセの文書を作り、ウソの証拠をでっち上げて英米などのマスコミに流していたという。

 当時は、イラクに対する経済制裁がイラクの一般市民を無用に苦しめているとして制裁解除を求める声がアラブ諸国やヨーロッパで高まっており、その流れを使ってイラク政府が国連の査察団を「スパイ活動をしている」と非難して追い出してしまった。こうした動きに対応するためMI6はウソの情報や、ウソか本当か確認しにくい情報を流し、イラクがまだ大量破壊兵器を持っていると世界に思わせようとした。

 ウソ情報の作成はイギリスのMI6が以前からやっていたことなら、イギリスから出てきたイラクのウラン問題をめぐる文書を見たとき、CIAなどアメリカの諜報専門家が「ニセモノではないか」と疑わないはずがない。事実、国務省内の諜報担当者からは、偽造ではないかと疑う声が出たが、政府内で無視されてしまった。

▼再びわき出す「パウエルはわざと?」

 あまりに稚拙な偽造ということで私が思いだしたのは、今年2月初め「イラクが大量破壊兵器を持っている証拠」としてイギリスが発表した報告書の中身が、アメリカの大学のイラク研究者がイスラエルの学術雑誌に書いた論文や、イギリスの諜報系雑誌「ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー」からそっくりコピーしてきた「盗用」だったと判明したことである。

 この後、パウエルが国連で演説し、このイギリスの報告書を絶賛しつつ、アメリカが「証拠」と考えていることを列挙したが、それも稚拙な内容だった。たとえばこのときパウエルは「イラクは化学兵器製造装置を18台のトラックに積み込んで移動させているので、査察では発見できない」と説明したが、国連査察団のブリクス委員長は、あとでこの「トラック疑惑」をあり得ない話だと断言した。

 こうした米英のあまりに稚拙な「証拠作り」を見て、私が思ったのは「パウエルは、わざとアメリカに対する信頼を損ない、世界の反戦運動を煽って、ネオコン主導で進められてきた開戦準備の動きを止め、戦争回避の方向に持っていこうとしているのではないか」ということだった。(関連記事

▼シリア非難とイスラエル

 アメリカがウソ情報を使って強硬姿勢をとるというやり方は、イラク戦争が開戦した後も続いている。

 3月28日、アメリカのラムズフェルド国防長官は、CIAからの情報に基づき「シリアがイラクに暗視ゴーグルなど軍事転用が可能な物資を輸出したことが判明した。これはアメリカに対する敵対行為である」とシリアを厳しく非難した。ラムズフェルドは、シリアと並んでイランもアメリカに敵対していると非難した。(関連記事

 これに続いてパウエル国務長官も、その後行われたイスラエル系の在米政治圧力団体「AIPAC」の総会での講演でシリアとイランを非難した。

 パウエルはAIPACの面々を前に「シリアは、イスラエルを狙うテロリストや、滅びつつあるフセイン政権を今後も支持する道を選ぶのか、それとも別なもっと希望がある道を選ぶのか、選択を迫られている。選択いかんによって、シリアは重大な結末を甘受せざるを得なくなる」と語り、大きな拍手を受けた。イスラエルはシリアの仇敵なので、アメリカがシリアを攻撃するのは歓迎だった。(関連記事

 ところが数日後、シリアがイラクに軍事物資を送っていたというのは、事実上中身のない話であることが判明した。暗視ゴーグルなど軍事転用が可能な物資は、シリアからだけでなく、ヨルダンやトルコなど「アメリカの同盟国」とされている国々からもイラクに密輸されており、こうした物資の流れは数年前からのことで、特に今目くじらを立てる意味のある話ではないことが明らかになった。また、シリア政府がイラクへの密輸を関知していなかった可能性もあることが分かった。(関連記事

 表向き、国外からイラクに軍事転用可能な物資を輸入することは国連によって禁止されているが、1996年ごろから、その禁止を無視するかたちでの密輸が横行し、アメリカも国連も、その密輸に気づきながら、これまでまったく問題にしてこなかった。今年1月にイラクを訪れた私がバグダッドで見たパソコン店街の賑わいは、その象徴である。(関連記事

 アメリカも国連も周辺国からイラクへの密輸をまったく禁止しなかったのだから、今になって「シリアからイラクに軍事転用可能な物資が送られていた」と非難するのは、言いがかりにすぎなかった。

 アメリカのイラク侵攻は、開戦理由が明確になっていない。フセイン政権が倒れてイラクが混乱し弱体化すると、最も得をする国の一つはイスラエルである。AIPACに代表されるイスラエル(シオニスト)系在米ロビー団体は、以前からアメリカの国政選挙を左右する強い影響力を持っており、アメリカ政府はイスラエルの国益を重視した外交政策を行うケースが多い。ブッシュ政権内ではイスラエルと結びつきの強いシオニスト集団「新保守主義派」(ネオコン)が主導権を握っている。

 そのため、パウエルら米高官はイスラエルにごまをするために、AIPACの総会で、イスラエルの仇敵であるシリアに言いがかりをつけて攻撃し、イラクの次はシリアの政権を転覆する姿勢を見せた、と考えることもできる。

▼早すぎたシリア非難

 ところが、イスラエルに対するホワイトハウスのごますりをいつも批判しているアラブ諸国の新聞には、今回は、それとは違う見方がいくつか載っている。シリアを非難してイスラエルにすり寄るのなら、もっと後にした方が良かったはずなのに、アメリカはなぜこんな悪いタイミングでシリア非難を始めたのか、という疑問を発している分析記事が目を引く。(関連記事

 カタールの新聞(Al-Sharq)は「フセイン政権が完全に倒れてイラクでの戦争が終わるまで、あとどのくらいかかるかまだ分からないうちにシリアに対する戦線を開いてしまったのは、早すぎたのではないか」という疑問を呈している。

 シリアは、イラクでフセインが大統領になるまではイラクと比較的仲が良かったが、その後は拡張主義者のフセインと衝突して仇敵となった。そのためシリアは1991年の湾岸戦争でもアメリカを支持し、今回のイラク侵攻に際しても、中立的な立場を維持していた。

 今後バグダッドでのゲリラ戦などが続き、アメリカのイラク戦争が長引いた場合、シリアが中立を保ってくれることがアメリカにとって助けになったはずだ。ところがシリアはアメリカから不当な非難を受け、反米・親イラクの色彩を鮮明にせざるを得なくなった。

 ブッシュ政権が、イラクの次にシリアを倒すつもりだったとしても、シリアに対する非難はイラクの問題が片づいた後で良かったのではないか、という疑問をカタールの新聞は発しているのである。

▼「非道な侵略に直面するイラクの人々を支持する」

 一方、アラブ首長国連邦(UAE)の新聞(Al-Khaleej)は「パウエルは、アメリカがイスラエルのために戦争をしているということを世界に知らしめてしまった」と分析している。

「イラクの次はシリアやイランを倒す」という言い方は、これまではブッシュ政権内のネオコン系の次官級の人々が、マスコミにほのめかすような密かな感じで表明していたことだ。それがラムズフェルドとパウエルのシリア非難によって、一気に大声による表明に大化けしてしまった。

 特にパウエルは、それをAIPACの会合で述べたことで、これまでワシントンで常識だが誰も大きな声では言わないタブーだった「米政府はイスラエルのために動く」という事実を、世界に向かって明らかにした。パウエルは「イスラエルのために、次はシリアやイランを叩きつぶす」と宣言したに等しい。このことは重大だ、とUAEの新聞は分析している。

 このように、アメリカが正義や自国の国益のために戦争しているのではない、と世界の人々が思うような状態が作られる一方、アラブ諸国政府の中で初めてはっきりと「アメリカのイラク戦争は不正義だ」と表明したシリア政府は、アラブの他の国々のマスコミで絶賛されている。

 シリア外務省は「パウエルは、われわれシリアが国際法を尊重し、世界の安定と平和を守ろうとする国連を支持してきたことを、よく知っているはずだ。今や、世界の人々や各国政府は、イラクに対する攻撃が不当なものだということを知っている。シリアは、そうした世界的なコンセンサスを支持する。シリアは、非道で不正な侵略行為に直面しているイラクの人々を支持する」というコメントを発表し、アラブ世界で英雄視されている。「フセイン政権」ではなく「イラクの人々」を支持した点が重要だ。

▼崩壊する「アメリカの正義」

 イラクには米軍とともに侵攻したイギリスはすでに、イランやシリアに対する侵攻には荷担しない、と明言している。(関連記事

 アメリカやイギリスがイラクに侵攻する「正当な理由」として世界に提示したはずのニジェールからのウラン輸入疑惑が、偽造文書に基づくウソの主張だったことが明らかになり、シリアに対するアメリカの的外れな非難の結果、アメリカはイスラエルのために戦争しているのだということが明らかにされた今、シリア外務省のコメントを読むと、新たな概念が生まれていることに気づかされる。それは、イラクやシリア、イランといった、これまでアメリカから「悪」とされてきた国々よりも、アメリカの方がずっと大きな「悪」なのだ、という概念である。

 この概念は、自然に生まれてきたものだろうか。私にはそうは思えない。パウエルとブレア、CIAとMI6などという「中道派」によるいくつかの奇妙な動きがなければ、このような状態にはなっていないはずだ。私がいまだに「パウエルはタカ派のふりをしているのではないか」と疑っているのはこのためだ。

 ブッシュ大統領の頭の中を満たしているのは、いまだにネオコンの考え方であろう。アメリカの世論も911事件以来の「テロ中毒」によって、戦争賛成の色が強い。これらの状態が変わらない限り、中道派がネオコン主導の世界破壊を食い止めるのはまず無理だ。

 だがその一方で、米英がフセイン政権崩壊後のイラクを統括できない可能性がしだいに見えてきているのも事実だ。今日(4月8日)時点で、バグダッドを含むイラク諸都市の実権は、まだ大部分がフセイン大統領の政権基盤であるバース党が握っている。南部の港湾都市ウムカスルのようにバース党の支配が崩壊した町では略奪が横行し、混乱している。米英軍が各都市のバース党の支配機能を壊してしまうと、代わりの行政機能を用意するあてが米英にないため、イラクの一般市民の生活が無用に荒らされることになる。

 バース党やフセイン政権下の警察などは、暴力的で人権侵害をしていたかもしれないが、それでも治安維持や食糧配給などの行政機能を果たしていた。それがいきなり失われてしまうと、イラクの市民生活は、フセイン政権時代にはなかったひどい状態になる。

 すでにネオコン主導のイラク新政権作りがワシントンやクウェートで活発化しているが、これらの新政権がバース党やイラクの既存の官僚機構の協力なしにイラクの安定を回復することは、ほとんど不可能だ。ネオコンは「バース党組織の完全破壊」を主張しているが、それは一般市民の生活状態を悪化させるだけだ。ネオコン系の新政権がイラクで「就任」すると、世界からのアメリカに対する批判がさらに高まることになる。

 ネオコンが事態をどんどん悪化させていったとき、ブッシュ自身や米国内の世論がどこで「方向転換が必要だ」と思うか、ということが重要になってくるだろう。



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