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イラク駐留米軍の泥沼

2003年8月6日   田中 宇

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 今のイラクで治安を守るために、米軍は何人の兵力を必要としているか、過去のケースを参考に考えた試算がある。

 たとえば、第二次大戦後に米軍など連合軍がドイツに進駐したときは、ドイツの人口1000人あたり2人の連合軍兵士が配備されていた。ドイツには武装ゲリラ勢力がおらず、進駐軍は銃撃戦で治安を維持する必要はほとんどなかった。兵士の任務の大半は、闇市の取り締まりなど警察的な仕事だった。

 もっと混乱した状況の場合は、もう少したくさんの兵力が必要となる。1965年に米軍がカリブ海のドミニカ共和国に進駐したときは、ドミニカの人口1000人あたり6人を派兵した。かなり組織された武装ゲリラが進駐軍に対して戦闘を仕掛けてくる場合は、もっと多くの兵力が必要だ。北アイルランドに対してイギリスは、少ないときで1000人あたり10人、多いときで20人の兵力を進駐させていた。(関連記事

 問題は、1000人あたり2人から20人までのこれらのケースのどれに一番イラクの現状が近いか、ということだ。明らかに、戦後ドイツのケースではない。イラクでは米軍を攻撃してくるゲリラ勢力があり、毎日のように米英軍の兵士が死んでいる。この治安の悪さは北アイルランドの状態に近く、1000人あたり10−20人の兵力が必要だと思われる。イラクの人口は2300万人だから、23万−46万人の兵力が必要だということになる。だが、実際にイラクにいる米英軍の総数は約16万人で、1000人あたり約7人しかいない。

 アメリカ政府(特に国防総省のネオコン)は、フセイン政権のトップさえ潰せば、残りのイラク人はアメリカの統治に協力し、政府機構や国家のインフラも無傷で残るので比較的たやすく復興できるに違いないと主張してきた。

 だが実際には、イラク戦争末期から占領期の初めにかけて、イラク全土の役所など国家のインフラの多くが焼き討ちや略奪に遭い、その結果、戦争終結から4カ月近く経った今も、電力供給は戦前の半分で停電が頻発し「アメリカは本気でイラクを復興しようと思っているのか」「イラクをわざと混乱させておきたいのではないか」と多くのイラク人が考え、その反米意識に乗って米兵に対するゲリラ攻撃が頻発している。

 イラクの送電網の復旧工事は、アメリカのエンジニアリング会社ベクテルが受注したが、治安が悪いことを理由に、いまだに復旧に着手していない。ベクテル社は米共和党の中道派と結びつきが強く(パウエル国務長官も同社の顧問だった)、アメリカの戦争や「戦後復興」にまつわる公共工事を請け負う、政治利権の臭いが強い会社である。(関連記事

 こういう会社が受注して仕事をなかなか進めないことがイラク人の反米感情を煽り、さらに治安が悪くなって電力復旧工事がもっと遅れる、という悪循環になっている。「このままだと米軍がイラクのゲリラ勢力と延々と戦う『第三次湾岸戦争』が始まる」と予測する記事もある。

▼厭戦気分高まる兆候

 今後さらに治安が悪くなりそうだと考えると、今のイラクの治安維持に必要な兵力は、冒頭のケーススタディに基づく場合、1000人あたり20人、総勢46万人ぐらいだといって過言ではない。国防総省の中でも「企画担当」のネオコンではなく、現場に近い軍人(制服組)は、戦前からこうした状況になることを心配しており、陸軍トップのシンセキ参謀総長は2月末に「戦後のイラクを安定させるためには数10万人の兵力が必要だ」と議会で証言した。

 ところが、この証言の2日後、ネオコンの筆頭であるウォルフォウィッツ国防副長官は「(シンセキ発言は)まったく見当はずれだ」と公式にこき下ろし、5−6万人の兵力で十分だ、と主張し続けた。結局、ウォルフォウィッツは最近になってようやく「少なくとも20万人の兵力が必要だ」と認めるに至っている。(関連記事

 問題は、40万人といわず20万人であっても、今のアメリカには、それだけの兵力をイラクに駐留させる兵力と資金力がないことである。現在イラクにいる16万人の兵力のうち、米軍は陸軍を中心とした14万8000人(残りのほとんどはイギリス軍)だが、これはすでに米陸軍にとってかなりの負担となっている。

 米陸軍の総兵力は48万人(予備役をのぞく)、そのうち海外駐留が可能な兵力は32万人で、このうち25万人がすでにイラクを含む海外にいる。残りは7万人だが、もしイラクに駐留する兵力を約5万人増やして20万人にすると、米陸軍は交代要員もなく、イラク以外の国に増派することもできない状態になってしまう。(関連記事

 米軍はすでに、これ以上兵士を酷使するとまずい状態になっている。英米政府がイラク開戦の理由としていた「フセインは大量破壊兵器を開発している」という主張の証拠がウソだったということが暴露され、イギリスで大問題になっている。アメリカではまだ国民的な政府批判にはなっていないが、イラクで米兵が死ぬごとに「この戦死は意味があるのか」という問いかけが少しずつ広がる。

 イラクに駐留する主力部隊の一つである陸軍第3歩兵師団は、これまでに2回も帰国を延期させられている。当初この部隊は6月初旬に帰国するはずだったが、イラク中部の町ファルージャで激化したゲリラ戦を鎮圧する任務が入り、延期された。7月に入り「8月から順次帰国させる」と決定されたものの、インドがイラク派兵を断ったため、帰国は無期限に延期されてしまった。

 事態がどんどん悪化する中で2度も帰国が延期され、同僚が毎日ゲリラ戦で殺されていく状況で「無期限駐留」を命じられたら、兵士たちの不満がつのって当然だ。アメリカABCテレビは7月中旬、この部隊の兵士の何人かが「もしここにラムズフェルドが来たら、国防長官を引責辞任しろと言いたい」などと愚痴を言ったことを報じた。

 こうした報道を放置すると、米国内の反戦運動につながるし、軍全体の士気に悪影響を及ぼす。そう考えた国防総省は、これを報じたABCテレビの記者(Jeffrey Kofman)に対する個人攻撃を行った。彼がゲイだということを自ら発表した人で、しかもアメリカ人ではなくカナダ人だということを利用して「ゲイの外国人が米軍の評判をわざと傷つけようとしている。天下のABCがこんなことをやっていいのか」といった感じのプロパガンダ作戦を展開した。国防総省を支持する勢力には、ゲイを毛嫌いする思想の持ち主が多く、彼らにとってはゲイ差別と国粋主義運動の両方を煽れる格好の反撃だった。(関連記事

 だが、そうこうする中でも「民族衣装を買って地元人のふりをして、すでに2500人の米兵がイラクから周辺諸国に逃げ出した」という未確認の報道や「自殺したり、戦闘ではなく事故で死亡する兵士が多く、それをあわせるとイラクでの米軍の死者は発表された戦死者の2倍になる」という報道もあり、厭戦気分が高まる方向に事態が動いている。

▼思ったように出せない石油

 米軍を増派できないなら、イギリス以外の国にもイラクへの派兵を頼む手もある。だが、2万人を派兵してもらうべくアメリカが交渉を進めていたインドは、米英が開戦事由でウソをついていたことが問題化した後「国連がイラク復興に参加する状況にならない限り派兵しない」と言い出した。アメリカは、パキスタンやトルコ、ロシアなどにも派兵を要請したが、いずれも「国連決議がない限り無理です」と断られた。日本もイラク特措法は通したものの「11月の選挙が終わるまでは派兵できません」と、政権の安定を理由に先延ばしにしている。(関連記事

 9月にはポーランドが率いる9000人の兵力がイラクに着任することになっている。だがこの派兵にこぎつけるまで、アメリカは何カ月もかけて根回しをしなければならなかった。ポーランドが自力で派兵するのは1500人で、残りの分はアメリカから派兵資金を出してもらい、自国の兵力だけでは足りないので、モンゴル、エストニア、ホンジュラスなど、アメリカが軍資金を出してくれるなら数百人ぐらいは派兵してもいいという国を集め、ようやく混成団を作った。この先、同じ方法で何万人もの兵力を世界から集めることは難しい。(関連記事

 アメリカが抱える問題は兵力だけではない。イラクの石油が思ったように輸出できないので、資金も不足している。戦前のイラクは日産200万バレルの石油を輸出していたが、今はそれが日産26万バレルにまで落ちている。

 国防総省は戦前、イラクの石油施設はまったく破壊されずに戦後の体制に移行するだろうと予測し、石油の輸出代金をイラク復興の財政として使おうと考えていた。ところが、精油所やパイプラインに対するゲリラ攻撃などによって石油生産が大きく落ち込み、アメリカの占領軍政府(CPA)は緊縮財政を強いられ、それでも資金が足りない状態だ。占領軍政府は今年の下半期に60億ドルの予算を必要としており、そのためには日産80万バレルを輸出しなければならないが、実際にはその3分の1しか輸出していない。不足分は、アメリカ本国の財政でまかなう必要があるが、アメリカの財政はすでに火の車だ。(関連記事

▼ウォーターゲートよりすごい事件に?

 アメリカが兵力不足と資金不足を解消するためには「国際社会」に協力を仰ぐしかない。米議会上院では7月上旬、ブッシュ政権が国連にイラク復興の協力を要請すべきだという決議を全会一致で可決した。だが、ウォルフォウィッツやラムズフェルドら国防総省のタカ派は、国連など消滅した方がいいと主張してきたので、いまさら国連に協力を求めたくない。

 アメリカが国連に協力を求めたら、フランス、ロシア、中国などは、イラク復興に関する権限を国連に委譲せよという条件を出す可能性が大きい。また、開戦直前にイラクの大量破壊兵器についてアメリカが国連の場でウソを言ったことが問題になるだろう。いずれもブッシュ政権にとって屈辱的なことだ。アメリカ国内的には、ネオコンが不利になり、国連支持の中道派が強くなる。下手をするとブッシュ大統領かチェイニー副大統領に対する辞任要求が強まる。来年秋の選挙で再選を果たしたいブッシュは、国連に協力を求めたくないだろう。

 しかし、どうしても国連に話を持っていかねばならないかもしれない。ネオコン系の評論家からは最近「国連と仲直りが必要だというなら、そうしたらいいじゃないか」という主張が出てきている。「大事なのは、アメリカの都合にあわせて国連とつき合ったり捨てたりできる力を持っていることだ」という示唆である。(関連記事

 この場合、政権内では「そもそも国連決議を経てから開戦した方がいいと主張したのはパウエル国務長官だったのだから、パウエルが国連と話をつけるべきだ」という話になるだろう。イラク復興の全権を握っているのは国防総省であり、米政府内で外交を担当していたはずの国務省は、イラクに関しては権限を剥奪されている。だからパウエルが国連と話をつけてきても、アメリカが譲歩すべき点を国防総省のネオコンがOKしない限り、間に挟まれたパウエルの立場が悪くなり、政権内から中道派を追い落とせる。

(ネオコンはイラク復興がきちんと進まず、イラクが弱いままの方がいいと考えているふしがある。この点に関しては改めて書きたい)

 そう考えていくと、8月4日のワシントンポストに「パウエルは今期限りで国務長官を辞める」という記事が出たことは「私はもう力がないのだから、ネオコンさんが直接国連と交渉してくださいよ」というパウエル側からのメッセージだったのではないかと思えてくる。もともとアメリカでは国務長官は1期で辞めるのが通例だし、パウエルは就任前から「妻から1期だけなら良いと言われてます」と公言していた。(関連記事

 このままだと、アメリカが国連にイラク復興の話を持っていく可能性は薄いが、イラク復興が軌道に乗らないままワシントンの夏休みが終わって9月に入ると、議会で「開戦時のウソ」と「復興の失敗」がさらに問題になり、ブッシュ政権は窮地に陥ると予測する記事もある。

ウォーターゲート事件よりもっとすごい事件になるかもしれない」などという不気味な予測さえある。ウォーターゲート事件は、永続戦争派(冷戦派)が中ソと仲良くする中道派(ニクソン)を追い落とした政争だったが、もし今後イラク問題がすごい事件になったら、それは逆に中道派が永続戦争派(ネオコン)に反撃する政争となる。



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