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世界を動かすスペインの政変

2004年3月23日   田中 宇

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 3月20日は「テロ」が関係する2つの大事件の記念日となった。一つは9年前の地下鉄サリン事件、もう一つは昨年の米軍によるイラク侵攻である。そしてもう一つ、最近起きたテロと政治が絡んだ事件として、3月11日のマドリードでの列車爆破テロから3日後の総選挙での与党敗北にいたるスペインでの一連の動きがある。これらを並べて考えると、2001年の911事件を境に、世界中で「テロ」が政治の道具として使われるようになったことが感じられる。

(ほかに今年3月20日には台湾の大統領選挙があり、その前日には与党現職の陳水扁候補らが遊説中に狙撃される事件が起きた。これもテロと政治が絡んだ事件だが、まだ事態が流動的なので今回の分析からは外しておく)

 1995年の地下鉄サリン事件のとき、日本の当局はこのテロ事件を刑事事件として扱い、従来型の捜査によってオウム真理教の幹部たちによる組織的な犯行と断定し、裁判によって有罪を導くという対処方法を行った。

 これに対して同じ「テロ」でも911事件では、19人の「実行犯」のリストが早々に発表されたものの、このうちの15人についてはどのような人物であるか、いまだに何も明らかにされていない。ハイジャック機に乗らずに生き残った、後方支援担当の「実行犯」として、アメリカで1人、ドイツで2人が起訴されたが、いずれも検察側(米当局)が十分な証拠を提出できず、2人については裁判が休廷状態で、残りの1人は一審で有罪になったものの、その後高等裁判所で判断がくつがえされ、一審の裁判所に裁判のやり直しが命じられた。米当局は911の「犯人」を有罪にできないことが明らかになっている。(関連記事

 こんな状態なので「アルカイダがやった」とする米当局の説明そのものに対するうさん臭さが増している。しかも、アルカイダがどんな実態を持った組織なのかについても「匿名の諜報当局者」などによる、具体的な裏付けを欠いた解説ばかりで、納得できる説明がなされていない。「アルカイダがやった」とされる爆破テロ事件はあちこちで起きるが、アルカイダの実態が全く見えてこない。

「テロ戦争」(アルカイダとの戦い)には、米政府が画策する何らかの「別の意図」があると感じられるが、イラク侵攻をめぐっては、そうした疑惑よりもさらにひどいウソ臭さがある。社会主義系だったためイスラム原理主義を厳しく取り締まっていたイラクのフセイン政権は、原理主義のアルカイダと結託していたことはなかったし、フセイン政権と911事件との関係も、米政府内のネオコン系の諜報機関が何カ月も探しても決定的なものが出てこなかった。米政府がイラク侵攻の開戦事由として挙げた「大量破壊兵器」も、戦後になって実はフセインはアメリカが指摘したような大量破壊兵器を持っていなかったことが分かった。

 米の当局者たちは、侵攻前からこれらのことを知っていたにもかかわらず、911事件によって米国民の反イスラム意識が高まったことを利用し、かねてからイラク侵攻をやりたかったネオコンやタカ派がブッシュ大統領をその気にさせてイラク侵攻を実現した。戦争に勝った指導者は一般に支持率が高まるので、ブッシュはイラク侵攻によって「これで再選できる」と思ったのだろう。

 イラクが泥沼化して「イラクでの成功」を再選への売りにできなくなった後、代わりにブッシュ陣営は「911を乗り切った指導者」という点を強調したテレビコマーシャルなどを展開しているが、ここでもテロが政治の道具と化していることがうかがえる。

 地下鉄サリン事件に対して日本の当局がやったように、米当局が911事件を刑事事件として捜査・解決していたら、アメリカは今のようなおかしな国にならなくてすんだかもしれない。だが、そもそもブッシュ政権は事件の「解決」など望んでいなかったとも感じられる。テロの実行犯が逮捕・有罪になって問題が解決してしまうと「テロとの戦い」を政治の道具として使えなくなる。米当局はわざと911事件の真相究明を進めていないのだと思える。

▼マスコミを使って世論を操作

 911事件が起きた直後から、アメリカのマスコミでは「政府を批判する人、政府の言動に疑問を持つ人はテロリストに味方している」という主張が飛び交い、政府批判が影をひそめ、ホワイトハウスのやり放題となった。これを見て多くの国々の指導者が同様のやり放題を目指して「テロ戦争」に賛同した。

 その後、アメリカが「テロ戦争」の範疇を超えて滅茶苦茶な理屈に基づくイラク侵攻をやろうとしたため、独仏中ロなどがアメリカと距離を置いたが、その後もいくつかの国はアメリカにつき従った。日本の小泉政権もそれに含まれるが、ヨーロッパではイギリスのブレア政権、スペインのアスナール政権のほか、イタリア、ポーランドなどの政府がアメリカの側に立ち続けた。

 これらの国々では、独仏などと同様、国民の世論としては侵攻に反対する人の方が多く、特にスペインでは国民の90%前後が侵攻に反対していた。スペインなど開戦を支持した欧州各国の政府は民意に反して親米的な態度をとったわけだが、開戦後、イラク情勢が泥沼化し、イラクの国家としての統一が失われる可能性も増すなど、イラク侵攻が「失敗」だったことが確定的になっても、政権が転覆させられるような事態にならなかった。

 スペインでは、昨年5月に行われた地方議会選挙では、野党だった社会労働党が議席を伸ばしたものの、その後10月のマドリード首都圏での地方議会選挙では、再び与党の国民党が伸びた。(関連記事

 スペインでは国営テレビ局や国営通信社EFEなど、主要マスコミに対する政府の支配力が強く、マスコミを通じた世論操作がやりやすい。また、イラクの戦後統治が泥沼化するにつれ、外相が「フセインは大量破壊兵器を持っていなかった」と、アメリカと微妙に距離を置くような発言をするなど、国民党のアスナール政権はイメージダウンを回避する戦略をとったり、野党の社会労働党をうまく批判したりして、支持率の低下を防いだ。(関連記事その1その2

 この流れは、さる3月14日の国会(下院)議員選挙でも変わらず、与党国民党が勝ち、アスナール首相から政権を禅譲されたラホイ党首の政権ができると予測されていた。3月11日のテロが起きる直前まで、国民党が勝つとみられていた。(関連記事その1その2

▼失敗した「ETA犯行説」

 だが、与党国民党の優勢は3月11日の列車テロ事件で終わった。このテロ事件は、投票日を3日後に控えた3月11日の朝のラッシュの午前8時前、マドリード中心街にあるターミナル駅であるアトーチャ駅に到着する直前の通勤電車など、3カ所でほぼ同時に爆弾が爆破したもので、約200人が死亡した。

 スペイン政府は、事件発生直後から「ETAの犯行だ」と断定する発表をおこなった。ETA(バスク祖国と自由)は、スペイン北部のバスク地方の分離独立を希求する過激派組織で、これまでに何回もテロ事件を起こしている。ETAが犯人だとする断定は早かったものの、その証拠は何も示されなかった。スペイン政府はすぐに国連にも働きかけ、この日の午後には国連でETAをテロの犯人として非難する決議がなされた。

 だが実は、政府の発表とは裏腹に、ETAの犯行ではない可能性が事件直後から見えていた。事件発生から3時間後に、マドリード郊外で見つかった盗難車の車内から、爆弾の起爆装置7つとコーランのテープが発見された。ETAではなくアルカイダの犯行である可能性が出てきたが、政府は「ETA犯人説」を押し通そうとした。捜査当局のテロ対策担当者は、政府が間違った情報を流し続けるなら辞任すると内部で抗議したが、聞き入れられなかった。(関連記事

 テロ事件発生の直後、すでにETAではなくアルカイダの犯行の可能性があったにもかかわらず、アスナール首相が「エルパイス」など主要な新聞の編集責任者らに電話をかけ「犯人はETAだ。アルカイダだと考えるのは間違いだ」と、報道をねじ曲げようとする意図と思われる要請を行った。「盗難車の中から起爆装置とコーランのテープが見つかった」と報じようとすることに対して圧力がかかった(「コーランのテープ」の存在は、別の怪しさを示すものだが、そのことは後で分析する)。(関連記事

 政府の支配力が強い国営テレビでも、事件直後から「ETAによるテロ事件」という事件名をつけて報じられるなど、政府が捜査の結果としてではなく政治的な意図に基づいて、犯人はアルカイダではなくETAだと国民に思わせようとする動きがみられた。(関連記事

 テロがアルカイダによる犯行だと「アスナール首相が不正義なアメリカのイラク侵攻を支持するからテロが起きたのだ」と考える国民が増え、与党国民党が選挙で負ける可能性が強まる。そのためアスナール政権は、少なくとも選挙が終わるまで「ETA犯人説」を国民に信じさせようと報道をねじ曲げたのではないかと思われる。

 政府の画策は、長くは続かなかった。当局内部でアルカイダの犯行の可能性を示唆する者が多くなり、野党の社会労働党などがこれを問題にし始めた。投票日の2日前から、マドリード市内で「政府はウソをつくな」「政府がイラク侵攻に荷担したから、こんな事件が起きたのだ」などと主張するデモ行進が行われた。テロ事件当日の夜には、国民の4人に1人にあたる約1100万人が全国の街頭に出て犠牲者に哀悼の意を表明したが、この群集の多くが、翌日には政府のウソを問題にして再び街頭に出た。(関連記事

 政府の策略は次々と暴露され、与党国民党にとって非常に不利な状況が形成されていった。こうした経緯の中で行われた3月14日の選挙は、投票率77%という熱戦の結果、議会下院における国民党の議席は過半数を割り、代わりに野党だった社会労働党の議席が増え、政権交代が起きた。

 テロ事件の直後には「テロによって与党国民党の得票が増えるだろう」と予測する分析もあった。911事件がブッシュ大統領の支持率を急上昇させたので、同じことがスペインでも起こるだろうと思われていた。だが実際は逆だった。(関連記事

 スペインの政権交代後「政治に対するテロの影響には、アメリカ型とスペイン型がある」などという分析も出たが、こうした見方も一時的な説得性しかないだろう。(関連記事

 投票前日のテロが選挙結果に影響を与えたと思われる台湾の大統領選挙にもあてはまるが、テロが多発する昨今の選挙は予測不能性が増している。911のときにはテロが政府を強くしたが、今ではテロへの対応を誤ると政権が吹き飛んでしまうようになっている。

 政府はテロと対決しているのか、それともテロを利用しようと企んでいるのか、世界の人々が疑いを持つようになったことが、この変化の背後にある。そして、世界各国の政府がテロの「恩恵」を受けられなくなったのは、ブッシュ政権が911を無理やりイラク侵攻につなげて世界の不信感を煽ってしまったためだろう。政権中枢で中道派とタカ派の内紛があったため、このような結果になったのだと思われる。

▼スペインの転向を追ったポーランド

 与党となった社会労働党は以前からイラク侵攻に反対しており、スペイン軍のイラク駐留にも反対していた。選挙後、新首相となることがほぼ決まったロドリゲス・サパテロ社会労働党書記長は「6月末までにイラク統治が現在のアメリカ主導から国連主導に変わらない限り、スペイン軍をイラクから撤退させる」「ウソを使って戦争を起こすことは許されない。ブッシュとブレアは自己批判すべきだ」「アメリカ寄りだった外交姿勢を修正し、アメリカに批判的な独仏などとの連携を強める」「アメリカの大統領選挙では民主党のケリーに勝ってほしい」など、従来のスペインの方針を180度転換させる方向性を矢継ぎ早に打ち出した。(関連記事その1その2

 イギリスと並んでEU内の強い親米派だったスペインの大転換は、米ブッシュ政権に対する国際的な風当たりを強くする波及効果を生んだ。この流れが今年11月の米大統領選挙に影響を与えるのはまずいため、米共和党の中枢からは「スペインの有権者はテロに屈したのだ」と批判する論調を発し、アメリカの新聞の中にはこの手の記事が何本も出た。それに対し、ブッシュ政権に批判的な人々は「テロリストをのさばらせたのは、ウソをついてイラクに侵攻したブッシュの方だ」と反論した。(関連記事その1その2

 米のイラク侵攻以来、ヨーロッパでは、EUをアメリカに負けない外交力を持つ覇権的な組織にしていこうとするドイツ・フランスと、そうした覇権主義は独仏を強化するだけで小国がないがしろにされると批判するスペイン、ポーランドなどが対立していた。その対立を象徴するのが、昨年12月にEU新憲法の策定交渉が決裂したことだった。EU内の評決制度について、独仏など大国の持ち票を倍加させる案が暗礁に乗り上げていた。だが、スペインで選挙に勝ったサパテロ新首相は、独仏の考え方に賛成する意向を明らかにした。(関連記事

 スペインでの政変を見て、これまでスペインと歩調を合わせて親米・反独仏的な態度をとってきたポーランドが急に態度を変えた。ポーランドの首相は、スペインの政権交代が決まった直後の3月18日、EU新憲法の策定交渉で独仏に歩み寄ることを明らかにした。これにより、EU新憲法の策定をめぐる分裂は収拾に向けて動き出し、EUの覇権力が強化されることになった。(関連記事

 それだけでなく、同日にはポーランドの大統領が、イラクに大量破壊兵器があるかどうかについてポーランドは(アメリカに)だまされた結果、イラク侵攻に賛成したのだと言い出し、これまでの親米的な態度から一転してアメリカ批判を噴出させた。(関連記事

▼韓国も態度を変え、日本にも波及する?

 イラク侵攻の直前、アメリカのラムズフェルド国防長官は、イラク侵攻に賛成してくれるスペインやポーランド、イギリスなどを「新しいヨーロッパ」と呼んで称賛し、ドイツやフランスなど侵攻に反対している国を「古いヨーロッパ」と呼んで非難した。アメリカのマスコミでは、ネオコン系の論者を中心に「古いヨーロッパは時代遅れの平和主義なので、もうつき合う必要はない」といった主張を展開した。だが、それから1年たった今、「新しいヨーロッパ」は雲散霧消しつつある。

 スペインとポーランドの転向により、EU内で親米的な態度を続けているのはイギリスのブレア首相だけとなった。EU以外でも、韓国が近く予定していたイラク派兵を、3月23日になって急に見直すことを発表した。理由は「派兵予定地のキルクークが危険になったので、他の派兵先を探す」「米軍から共同駐留を求められ、単独駐留に比べて危険が増えたので見直す」といったものだが、スペインの政権交代後の世界の風向きの変化を受け、韓国政府が態度を微妙に変えた可能性がある。(関連記事

 世界の政治家にとって、1年前のイラク侵攻時には魅力的に見えた「単独覇権主義のアメリカにとにかく従う」という態度が、急速に「危険な賭け」に変質していることが感じられる。日本の小泉政権もそれを感じているはずで、スペインのアスナールのような敗北を避けるため、目立たぬよう軸足を移すような変質を模索するかもしれない。(関連記事

 日本の政治をウォッチしている人は「そんな動きは起きていない」と言うかもしれない。だが、世界は近代が始まって以来の流動的な時代に入っている。第一次大戦前、日本史でいうと明治維新の前後に匹敵する変動の時代が始まっているように感じる。この世界の激動が日本にだけ波及しないという確証はない。

▼中道派の政変だった?

 スペインの政権交代を機に、世界各国がアメリカから距離を置く姿勢を見せているが、実はスペインの新首相が言った「イラクから撤兵する」という新方針は、報じられているほど画期的なものではない。ブッシュ政権は昨年末、「イラク民主化計画」の失敗を暗に認めて方向転換し「6月末にイラクの政権をイラク人に委譲する」と決めたとき、すでに「政権移譲後は、国連がイラク新政権の後見役となるのが望ましい」とする構想を打ち出している。(関連記事

 その後、国連やイラク人(暫定評議会)とアメリカ側との交渉がうまくいかないため、政権移譲そのものの準備が予定通り進まず、国連の立場が確定できない状態になっている。アメリカが譲歩を重ね、イラクにおける国連の権限強化を認めれば、事態が進展する可能性もあるが、ブッシュ政権内では、国連への委譲を進めたい中道派(国際協調派)と、それに抵抗しているタカ派(単独覇権派)の対立がまだあるようで、事態が膠着している。

 スペインが政権交代によって中道派的な態度に変わったことで、イラク問題をめぐるアメリカの立場が弱くなって譲歩せざるを得なるかもしれない。サパテロ新首相は、そのあたりの国際情勢を把握したうえで発言しているのだと思われる。EUが覇権を取ることも「均衡戦略」の中道派が望んでいることだ。その意味で、スペインの政権交代は「中道派による政変」だといえる。

 マドリード列車テロに関しては、まだ重要なことを書いていない。それは、あの事件はいったい誰がやったことなのか、という点に関する考察である。あの事件を見ていくと、いろいろ奇妙なことがある。そのことは、次回に書く。



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