実現性が増す欧州通貨統合 96/07/15


 昨年暮れ、通貨統合の前提となる財政赤字の削減を目指したフランス政府の社会保障費抑制策に反対して、フランス全土でゼネラルストライキが実施され、国じゅうが麻痺してしまったころは、1999年に予定されている欧州の通貨統合は、とてもではないが実現不可能と思われていた。
 だが、それから半年、最近では通貨統合の実現性はかなり高くなっているように見える。通貨統合に参加できるための財政赤字の削減は、多くの国で実現できそうもないが、立派な通貨統合地域を作ることよりも、あまり立派でなくてもいいから、とにかく通貨統合を実現させたい、という考えに、各国の政治家や官僚たちの考え方が変わってきている。それは、このままでは欧州は、急速に経済力を増しつつあるアジア諸国にも抜かれてしまい、世界の2流地域になってしまうのではないか、という不安が増しているからだ。

 欧州通貨統合に参加できる国の条件は、欧州連合(EU)各国が1991年に合意したマーストリヒト条約で定められている。「悪貨は良貨を駆逐する」ので、加盟できる国に厳しい条件を課し、ある程度の「良貨」持つ国でないと加盟できないようにした。その条件は
(1)参加国全体のインフレ率のばらつきが1.5%以内であること。
 つまり、最もインフレ率の低い参加国より1.5%以上インフレ率が高いと、その国は通貨統合に参加できない。インフレ率(通貨の価値が一定期間にどれだけ下がるかという割合)が高い国を入れると、頑張ってインフレ率を低く保っている国が損することになる。たとえばドイツ(インフレ率年2%)は連邦銀行(中央銀行)がインフレにならないよう金利をなかなか下げない一方、ギリシャ(7%)などはインフレよりも経済成長を実現するための低金利政策に力を入れた結果、低金利にしすぎてインフレ率が高くなってしまっている。(金利が下がると、より多くの人がお金を借りるから、より多くの通貨が市場に流通し、通貨の価値が下がりインフレになる)だから、ギリシャは金利を上げるなどしてインフレ率を下げない限り、通貨統合には参加できない。

(2)年間の財政赤字幅が国内総生産(GDP)の3%以内。
(3)政府の債務残高(国債、地方債合計の発行残高)がGDPの60%以内。
 財政赤字、つまり政府の債務(借金)が増えると、借金漬けのその国の国債はだんだん信用がなくなり、金利を高くしないと借り手がなくなる。国債金利はその国を代表する利率だから、その国の金利全体(預金、貸し出し両方)が高くなる。すでに銀行でお金を借りまくった人は、金利の高いサラ金からしか借りられないのと同じ仕組み。
 高金利の国債は発行費用(利払い額)が大きくなる。金利の安い国と高い国の通貨が統合されると、低金利の国が損をすることになる。よって、財政赤字が一定以下の国しか加盟させないことにした。
 不景気の時は、公共事業で景気てこ入れをするが、そのカネは通常、国債でまかなわれるので、不景気になると財政赤字が増える傾向になる。マーストリヒト条約が結ばれた91年ごろはまだ、欧州の景気が良いころで、財政赤字がGDPの3%以内というのは、多くの国にとって十分に達成できるものだった。だがその後、景気が悪くなり(2)(3)の両方を達成しているのは、ドイツとルクセンブルクだけになっている。

(4)通貨が安定していること。2年間以上、ERM(為替相場メカニズム)の標準変動率2.25%を守っていること。
 欧州では1970年代から通貨統合に向けた動きを続けており、各国の通貨間の為替相場の変動を2.25%という小幅に留めるようにしている。ある通貨の価値が下がり、他の通貨に対して2.25%以上下落しそうな場合、各国の通貨当局がその通貨を市場からどんどん買って価値の下落を防ぐことを義務づけている。これがERM。

 説明が長くなったが、つまり、お金の価値と密接に関係している財政赤字やインフレ率に関して条件を設けたのが、マーストリヒト条約だった。このうち、最も達成が難しいのは、政府の累積債務を劇的に減らすことを義務づけた(3)の政府債務残高の条件。一度サラ金に手を染めた人が借金を返すのが非常に困難なのと同じである。そのため、最近ではこの条件を緩くしようという動きが欧州の政治家の間で出ている。
 ところで、政府の借金残高を減らすにはどうするか。サラ金を借りた人が頑張って返すときはどうするか。収入が急に増えないとしたら、倹約するしかない。国家の場合、倹約は何を意味するか。高福祉国家群である欧州の場合、まずは社会保障の切り詰めである。それで、昨年のフランスのゼネストが起きたのだった。ドイツでは最近、社会保障費を切り詰めた緊縮型の来年度予算が国会を通過した。しかしそのドイツでさえ、労働組合や地方政府の猛反発を受けている。フランスでは、社会保障の切り詰めに対して、政府は半分さじを投げているようだ。

 だが、それでもフランスは通貨統合に参加することができるだろうとみられている。欧州の統合はそもそも、フランスとドイツが二度と戦争をしないようにすることを目的の一つとして推進されてきたからだ。
 欧州統合が最初に提案されたのは1923年。独仏が激突して欧州全体が巻き込まれた第一次世界大戦の教訓から、国境のない欧州を作ろうとの動きが始まった。だが、それが実現する前に、ドイツは恐慌に陥ってナチスが台頭、再び独仏の戦争となった。
 第二次大戦後、1952年に、EUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した。欧州の石炭と鉄鋼の全生産の管理を、単一の機関に任せることにしたものだ。第二次大戦は、ドイツが欧州で有数の石炭、鉄鋼業地帯だったルール工業地帯(現フランス領)を領有することを目指して始まった教訓から、この問題に最初に手をつけたのである。今のEUもその延長上にある。だから、フランスが加盟しない通貨統合は意味がないのである。

 通貨統合の発足までにマーストリヒト条約の条件が満たされない場合、統合後にそれを満たしていくことになる。ここがポイントである。いったん通貨統合が決まってしまえば、条件が満たされないからといって解散するわけにはいかない。大混乱になる。今の欧州の動きは逆戻りできないものなのである。
 社会保障の切り詰めは、国民から猛反発を受けているが、いったん通貨統合したら、必ず実行しなければならなくなり、反対を続ければ経済が混乱して国民生活自体が脅かされることになるので、あまり反対はできなくなる。欧州の政治家や官僚、経済専門家、企業経営者たちはこうして、社会保障中毒になっている欧州の人々を無理矢理治療し、アジアに対抗できる労働力に戻そうとしているのである。
 人生を楽しむことが最も意味のあることと思っているフランス人やイタリア人にとって、日本人サラリーマンのように毎日深夜まで無賃残業したり、中国人商人のように日曜日も休まない生活をすることなど、地獄ではないだろうか。私たちアジア人が働きすぎたせいで、自分たちも働かされることになる哀れなヨーロッパの人々に対して、申しわけない思う今日このごろである。