他の記事を読む

北朝鮮6カ国合意の深層

2005年9月22日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 国際政治の世界では「国際社会」の仲裁によって敵対する勢力間に合意が結ばれ、それが非常に大きな意味を持ったものだと世界のマスコミに解説記事が出ても、よく見ると合意の中身が具体策を欠いていたり、重要な争点を先送りしていたりして、実は大した合意ではないことがよくある。

 政府とゲリラの間の合意は、政府に都合の良い解釈で報道される。アメリカやイギリスなどが仲裁する場合は、彼ら都合の良いように、合意の意味づけが誇張される。その結果、世界の人々は実像とは違うものを見せられ、信じてしまう。イスラエル・ロビーの影響力の結果、アメリカ政府が自由に動けないパレスチナ和平問題などが、その典型である。

 その一方で、上記のようなよくある例とは正反対に、実際には非常に意味の大きい合意であるにもかかわらず、マスコミ報道では「意味のない合意」として素っ気なく処理されてしまうケースが、ときたま出てくる。関係諸国が、こっそり問題を解決してしまいたいときに、このような手法がとられる。

 最近、こうした「こっそり型」ではないかと私が感じたのは、9月19日、北朝鮮の核兵器疑惑をめぐる6カ国協議が合意に達し、発表された共同声明である。

 この共同声明には、北朝鮮が核兵器開発をやめる代わりに、アメリカなど他の5カ国が、兵器開発に使えない軽水炉型の原子炉を北朝鮮に供与することが含まれている。だが声明には、北朝鮮がいつまでに核開発を放棄するのか、他の国々がそれをどのように検証するのか、軽水炉の供与はどのタイミングで行われるのか、北朝鮮の核放棄とどちらが先なのか、といった具体的な日程に関する表現がない。(関連記事

 そのため、欧米や日本などのマスコミ報道では「合意は具体策に欠けており、事態を前進させるものではない」といった解説が目立った。(関連記事その1その2

 北朝鮮はこれまでに「核兵器を開発している」と何回か宣言したが、アメリカのCIAでさえ、北朝鮮がどこでどのような核兵器開発をやっているかということを把握できておらず、アメリカの主張は「北朝鮮は核開発しているに違いない」といった程度のものでしかない。北朝鮮が核兵器開発を廃棄したかどうか、外国勢力が明確に検証することはできず、今回の合意は中身の薄いものだとも指摘されている。(関連記事

▼ポイントはアメリカの不可侵宣言

 しかし私が見るところ、軽水炉を作る代わりに核開発を放棄するという交換条件は、今回の合意文の最重要なポイントではない。最も重要なポイントは「アメリカは核兵器その他の兵器を使って北朝鮮を攻撃する意図はない」というアメリカの不可侵宣言が盛り込まれたことである。

 アメリカが北朝鮮に対する不可侵を文書で約束したのは、1945年の北朝鮮の建国以来、今回が初めてである。昨年以来、米政府の高官が北朝鮮側に対して口頭で不可侵を約束したことは何度かあるが、それが初めて今回文書になった。もはや、アメリカは北朝鮮を武力攻撃することはない、ということである。

 今回のアメリカの北朝鮮に対する不可侵は、北朝鮮に交換条件を求めることなしに宣言されている。2003年に6カ国協議が始まった当初、米側は「北朝鮮が核開発を放棄し、それをアメリカが検証したら、北朝鮮に対する不可侵を約束する」と主張していた。それが昨年後半あたりから、アメリカの不可侵は北朝鮮の核放棄とは切り離され、米側が無条件で口頭による宣言を行うようになり、今年夏の6カ国協議では、軽水炉の供与が北朝鮮の核放棄に対する交換条件になった。

 北朝鮮にとってアメリカの不可侵は、2年前には核放棄という対価を払わねば得られないものだったのが、今では無償で得られるものになった。金正日は、もはやサダム・フセインのように米軍に捕まる心配をしなくてすむようになり、北朝鮮が国家として生き延びる可能性も大いに高まった。

 この間、北朝鮮はアメリカを満足させるようなことを何もやっていない。「6カ国協議には出ない」とか「攻撃されても負けない兵器を持っている」といった強気の発言を繰り返していただけである。それなのに、アメリカは譲歩し、北朝鮮は存続を認められた。今回の共同声明では、アメリカと日本が、北朝鮮との国交正常化に努力することも宣言された。拉致問題には一言も触れていないので、この点でも北朝鮮は何も失うものがない。

 北朝鮮に対するアメリカや日本の譲歩は、北朝鮮が核兵器の開発に成功し、すでに何発か核爆弾を持っているという前提で行われているが、北朝鮮が本当に核開発に成功しているのか、口だけではないのかどうかについては、アメリカも確証がない。核爆弾を作れても、ミサイルの弾頭として据えられる大きさにすることは簡単ではない。進捗状況を知っているのは、当事者の金正日ら北朝鮮上層部の人々だけである。ひょっとして本当は北朝鮮は口だけなのだとしたら、北朝鮮は強気の発言だけでアメリカの譲歩を引き出してしまったことになる。まさに国際政治界の「わらしべ長者」である。

▼軽水炉と核廃棄どちらが先かという議論の裏

 共同声明が発せられた翌日、北朝鮮外務省は「米側が先に軽水炉を供与してくれない限り、核開発を破棄しない」と発表した。共同声明の中では曖昧になっている、軽水炉供与と核廃棄の間の順序関係について、突っ込みを入れてきたのである。(関連記事

 これに対しアメリカ国務省は「軽水炉の供与は、北朝鮮が核廃棄を行った場合にのみ行われる」と表明し、共同声明が曖昧にした点が、翌日にはもう争点として噴出した。(関連記事

 これをもって、共同声明は1日で意味が失われたと指摘する専門家もいる。だが私には、争点が軽水炉と核廃棄の交換条件になり、アメリカが北朝鮮に不可侵を宣言したことについては誰も何も言わなくなったこと自体、共同声明は大きな意味を持っていると感じる。(関連記事

 米政界には、北朝鮮を敵視するタカ派が大勢いる。軽水炉問題を騒動にするのは、米政府が北朝鮮に不可侵を約束したことの重大性をタカ派に悟らせないためのプロパガンダであろう。北朝鮮側もそのあたりのことを分かっていて、米朝がぐるになって外交劇を演じている可能性もある。

 北朝鮮が「核廃棄は軽水炉の後だ」と発言し、それに対してアメリカが「それなら(不可侵宣言を含む)共同声明そのものが無効だ」とは言わないことを確認した。これによって、北朝鮮はアメリカの不可侵の約束を、より確実なものにすることに成功した。

▼北朝鮮問題とイラン問題

 なぜブッシュ政権は、北朝鮮に対する無条件の譲歩を行うのだろうか。なぜ今の時期に急いで譲歩する必要があるのか。この疑問に対する私なりの答えは「今後、アメリカはイランやシリアに侵攻するつもりで、その際に北朝鮮が煽られて無茶なことをしそうなので、それを事前に抑制したのではないか」というものだ。

 アメリカは今、イランの核兵器開発疑惑を、国連安保理に持ち込もうとしている。だがIAEA(国際原子力機関)の報告書によると、イランが核兵器を開発していると考えられる根拠は薄い。

 イランの核疑惑は、IAEAが、イランの原子力施設で使われていた遠心分離器から、電力用にしては純度が高すぎる、核兵器に使えるほど高純度の濃縮ウランを検出したことがきっかけで、米政府は「イランは核兵器を開発している」と非難し、武力侵攻も辞さず、という態度をとってきた。だが最近IAEAが発表した報告書によると、問題の遠心分離器はパキスタンから中古で買ったもので、高純度のウランは、パキスタンが使っていた時代にこびりついたものだということが分かった(パキスタンは核兵器保有を宣言している)。(関連記事

 イランの疑惑は晴れたが、にもかかわらずアメリカとEU3カ国(イギリス、フランス、ドイツ)は、イランは核兵器開発をしているに違いないと主張し続け、この問題を国連安保理に付託しようと動いている。EU3カ国は、アメリカがイラクに次いでイランに武力侵攻して政権転覆をはかることを恐れ、2003年ごろから、イランに核開発をやめさせようと外交努力を続けてきた。だが、イランは自国の核開発は「兵器開発ではなく、発電用の原子力開発だ」と主張し、EU3カ国の説得を拒否し、外交交渉は決裂に瀕している。

 IAEA報告書で明らかになったように、イランは核兵器を開発しているに違いないという欧米の主張は間違いである可能性が高い。だがEU3カ国は、外交的解決によってアメリカに軍事侵攻を思いとどまらせることが目的なので、米政府が「イランは核兵器を作っている」と信じ込んでいる以上、それにつき合わざるを得ない。

 EUが「イランは核兵器なんか作ってませんよ」とアメリカに言おうものなら、アメリカは「イランだけでなくEUも信用できない」と言い返し、独自の問題解決、つまりイランへの軍事侵攻に動いてしまう。このような状況があるため、アメリカだけでなくEUも、イランは潔白である可能性が強まっても、それを無視している。

▼国連安保理で決議できなければイラン侵攻?

 問題が国連安保理に持ち込まれても、イランを制裁する決議はまとまる見込みがない。すでに常任理事国のロシアと中国は、イランの肩を持ち、欧米が出してくるイラン制裁決議案を拒否する態度を表明している。インド、ブラジル、ベネズエラなど「非米同盟」諸国の多くが、イランを支持している。(関連記事

 国連での決議が否決されても、ブッシュは引き下がるのを嫌がるだろうから、米単独でイランに軍事侵攻する可能性が強まる。湾岸戦争後10年以上も経済制裁を受け、ろくな武器を持っていなかったイラクとは異なり、イランはアメリカの侵攻に備えて防衛力を強化しており、アメリカがイランに戦争を仕掛けたら、イラク以上の泥沼の戦いに引きずれ込まれることは間違いない。

 イランでは無数の人命が失われ、町々が破壊されることになるが、その一方で、アメリカの軍事力と国際信用力、つまり覇権も壊滅することになる。アメリカの中枢にひそかに巣くっていると私が疑っている「多極主義」の勢力にとっては、アメリカの自滅につながるイラン侵攻は望ましいということになる。

 米国民は、すでにイラク侵攻で、政府のウソにだまされて戦争に引っ張り込まれた経験をしている。政府高官の多くも、ウソに基づいた戦争はこりごりだと思っているに違いない。だから、イラクの次にイランに濡れ衣を着せて戦争を仕掛けることには、アメリカの国民も高官たちも反対のはずで、アメリカが二度も同じ過ちを繰り返すはずがない。そう考える読者は多いだろう。

 しかし現実には、すでにイランは核兵器開発していると考える根拠が失われているのに、ブッシュ政権はイランを非難し続けており、存在しない兵器を存在しているかのように言うという、イラク戦争前に犯した過ちを、対イランでも繰り返している。アメリカよりイランの主張を信用する国が増えているのに、ライス国務長官は「世界でイランの主張を信じている人は誰もいない」と発言したりしている。(関連記事

 しかも米政界では、ホワイトハウス、共和党、民主党といったほとんど全ての勢力が、イランはけしからんと言い続けており、国民の間での反戦運動も弱いままだ。ブッシュがイラン侵攻を決断したら、それを止める力は米国内に存在していない。

 アメリカがイランに侵攻する可能性については、私自身、半信半疑のところがある。ハリケーン「カトリーナ」の被害以来、米政界では「外国のことに介入する前に、自国のことをきちんとやるべきだ」という主張が増しており、今後ブッシュ政権はイランに対して無関心になっていく可能性もある。しかし、このままイラン侵攻まで突っ走ってしまう可能性も、依然として大きい。(関連記事

▼中東を無茶苦茶にしても良いが、東アジアはダメ

 イランのほか、シリアもアメリカに標的にされている。カリルザド駐イラク米大使は最近「イラク駐留米軍は、ゲリラ退治のためにシリアに侵攻するだろう」と述べている。(関連記事

 このように、今後アメリカかイランやシリアに侵攻するかまえを強める可能性は十分ある。その場合、北朝鮮の金正日は、イランの次は自国かもしれないと考えて、先手を打って核実験やミサイル発射実験、アメリカに対する挑発的な発言を激化させるおそれがある。

 ブッシュ政権は、北朝鮮をイラク、イランと並んで「悪の枢軸」と呼び、政権転覆の対象として宣言したが、その後のブッシュ政権の北朝鮮への対応は、イラクやイランに対するものとは異なっていた。ブッシュ政権は、イラク、イラン、シリアといった中東イスラム諸国に対しては、ウソの言いがかりをつけても侵攻したがるのに対し、北朝鮮に対して米政府は、攻撃的な表現は口だけで、北朝鮮側が「核兵器を持っている」と宣言しても無視して、問題解決を主導する役割を中国に任せ続けてきた。その仕上げとして今回の大譲歩の共同声明がある。

 ブッシュ政権は、破壊的な戦略をとっているのは中東イスラム諸国に対してだけで、その他の国々、特に北朝鮮など東アジア地域に対しては、破壊的なのは口だけで、実際には地域を安定化させる努力を行っている。東アジア地域は、世界で最も経済成長率が高いので、この地域を不安定にすることは、アメリカを動かす資本家たちが許さない。中東でブッシュが無茶苦茶やるのは良いが、東アジアではダメだ、ということだろう。

 ブッシュ政権が北朝鮮を「悪の枢軸」に含んだのは、そうしないと悪の枢軸の対象国が中東イスラム諸国ばかりになってしまい、中東を狙い撃ちしていることがばれてしまうので、当て馬として北朝鮮を入れたのだと思われる。

 当て馬だったにもかかわらず、北朝鮮の方は、イラクが言いがかりをつけられてアメリカに侵略されるさまを見て、次は自国がアメリカに侵略されると不安を持ち、先制的に核保有宣言を行ったりした。この動きを放置すると、東アジアを不安定化しかねないので、アメリカは中国に頼み、6カ国協議が開かれることになった。

▼多極化への道

 今回の共同声明は、北朝鮮が受け入れられる線で中国が文案を作り、アメリカに対して「この文案を受け入れなければ、アメリカのせいで交渉が決裂したということになる」と最後通牒を突きつけ、受諾させた。この経緯からは、東アジアの地域への影響力として、中国の主導権が確立し、アメリカの影響力が弱まっていることがうかがえる。これは、世界が多極化している兆候の一つである。

 今後の朝鮮半島では、韓国と北朝鮮との直接交渉を中国とロシアがバックアップするという、アメリカ抜きの関係強化の傾向が強まると予測される。これは米政界内の、アメリカ中心の世界を貫きたい勢力にとっては、困ったことだが、世界を多極化したい勢力にとっては好ましいことである。

 すでに北朝鮮は、欧米からの食糧支援は今年いっぱいで打ち切ってほしい、と発表している。その後は、韓国や中国からの支援が中心になる。また北朝鮮が求めている軽水炉については、ロシアが提供するという案も出ている。(関連記事その1その2

 日本は今のところ対米従属一本槍のため「アジアのことはアジアに任せ、アメリカは手を引く」という現在の動きの中で、自らを疎外する状況にある。だが今後、アメリカの覇権縮小がもっと明確になり、世界が多極化していることを日本の首脳たちが悟れば、いずれ、アメリカに対して気兼ねせず、中国や朝鮮半島、ロシアなどと戦略的な関係を結ぼうとする方向に転換するのではないかと予測される。



●これまでに書いた関連記事



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ