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イスラエルの逆上

2006年7月19日   田中 宇

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 7月12日、イスラエルとレバノンの戦争が始まった。戦争開始のきっかけは、レバノン南部に陣取るシーア派の武装組織ヒズボラが、レバノン・イスラエル国境からイスラエル側に攻撃を仕掛け、戦闘の中でイスラエル軍の兵士2人がヒズボラに捕まって捕虜になったことである。イスラエルは、捕虜奪還の作戦の一環として、レバノン国内の空港や発電所、幹線道路などに大規模な空爆を行い、ベイルート港も海上封鎖され、レバノンは国家として機能麻痺に陥った。

 この流れの中で理解に苦しむのは、イスラエルが捕虜奪還のためと称して、空港や発電所を大破壊したことである。イスラエルは、空港や道路を破壊した理由について「ヒズボラが、イランやシリアから支援を受けられないように、交通路を遮断した」と言っているが、ヒズボラへの支援は、シリアとレバノンの長い国境線にある無数の山道を通って行われており、空港や幹線道路は関係ない。イスラエルによる攻撃は、レバノンの無数の一般市民の生活を破壊し、レバノン人が一致団結してイスラエルを敵視し、ヒズボラへの支持を増やす効果を生んでおり、全く逆効果である。

 イスラエルは、最初はレバノンに対する大攻撃の理由を「捕虜奪還のため」としていたが、ヒズボラが反撃してイスラエル北部の大都市ハイファにミサイルを飛ばすと、それを口実にイスラエルはさらに攻撃を拡大し「ヒズボラが完全に武装解除するまで、攻撃を止めない」「これは戦争である」「この戦いは長期化する」といった表明を行い、ヒズボラが捕虜を解放しただけでは戦争は終わらない状態へと転換させた。こうしたイスラエルの言動からは、7月12日の最初のレバノン攻撃の時から、イスラエルは戦争を拡大する意図を持っていたことがうかがえる。(関連記事

▼戦争は右派のクーデター

 イスラエルは、なぜ戦争を拡大しようとするのか。私の見るところでは、今のイスラエルの内部は一枚岩ではない。占領地撤退を進めたい「現実派」と、あくまでもパレスチナ・アラブ側との戦いを好む「右派」とが対立し、暗闘している。今回の戦争は、イスラエル内部の暗闘の中で、右派がクーデター的に起こしたものである。

 オルメルト首相は現実派の頭目で、今回の戦争が始まる前日まで、パレスチナ占領地からの入植地の撤退を予定通り行うべきだと表明し続けていた(オルメルトは、今年中にヨルダン川西岸地域からの入植地撤退を行うことを予定していた)。(関連記事

 占領地からの撤退は、イスラエル周辺の国々との関係の安定化と抱き合わせになった戦略で、イスラエルは占領地から撤退し、パレスチナ人が自前の政府を持つことを容認する代わりに、周辺の国々はイスラエルに対する敵視をやめることで、中東を安定化させる構想である。

(撤退派は、例外として、聖都エルサレムの周辺は撤退の対象にせず、むしろイスラエル人の人口を増やし、エルサレム分割の国際世論に対抗しようとしている。またヨルダンとの国境線も、イスラエルが管理し続ける構想になっている。それ以外の重要でない地域を、パレスチナ人に委譲する計画である)(関連記事

 占領地からの撤退を貫徹しようするオルメルトに対し、イスラエル軍の内部など、政府組織内には、何とかして撤退戦略を崩壊させようとしてきた「右派勢力」がいる。彼らは、かつて「リクード右派」と呼ばれた人々である。彼らの中には、1970年代にアメリカからイスラエルに移住し、占領地に入植地を作る運動を展開し、軍や各省庁の中に中間管理職として多数入り込んでいる人が多い。アメリカのネオコンは、彼らの仲間であるとされていた。(関連記事

 イスラエルの右派は、パレスチナ人・アラブ人と徹底的に戦い、占領地からパレスチナ人を追い出し、アメリカの力を借りて周辺のアラブ、イスラム諸国を政権転覆して弱体化し、中東をイスラエルに対して従順な地域にすることを、1990年代から目標にしてきた。アメリカの政権中枢に入ったネオコンの活躍により、911事件以来、イスラエル右派の戦略は、ブッシュ政権の戦略そのものになり、イラクの侵攻が行われた。

 ところが米軍のイラク占領は泥沼化し、ブッシュ政権の強硬策は、中東の反米・反イスラエル感情を高める効果を生んだ。ネオコンは、イスラエルに協力すると言いながら、実はイスラエルを窮地に陥れていた。これに気づいたイスラエルのシャロン前首相は、このままではイスラエルは潰されると考えたようで、2004年後半、それまでの右派への支持をやめて、パレスチナ占領地から撤退し、周辺国と仲直りする縮小均衡の撤退戦略に大きく転換した。

 シャロンに裏切られた右派は猛反発した。シャロンは右派の多いリクードを脱党し、2005年11月に新政党「カディマ」を設立し、それを選挙で与党にすることで、右派をリクードごと切り捨てることに成功した。シャロンは今年1月に脳卒中で倒れたため、その後は側近だったオルメルトが首相になり、撤退戦略を続行してきた。

▼追い詰められていた右派

 リクードは野党になり、右派は権力の中枢から遠ざけられた。しかし、シャロンと一緒にリクードからカディマに転じた政治家の中には、権力内に残るための現実策として撤退戦略を支持しつつも、本心は右派の戦略を好む人がかなりいた。右派は、軍人や官僚の中にも多かった。彼らは反撃の機会をうかがっていた。だが、事態は右派に不利になる方向に進んでいた。

 不利な状況の一つは、オルメルトが5月に、今夏中に西岸からの入植地撤退を開始しようと動き出したことだった。オルメルトは5月末「数週間以内に、西岸の入植地撤退の皮切りとして24カ所の入植前哨拠点(outpost)を撤退させる」と発表している。撤退が予定されている西岸の入植地の中には、右派の発祥の地であるキリヤットアルバ(ヘブロン近郊)も含まれており、撤退戦略が進むと、右派は拠点を失って雲散霧消させられかねなかった。(関連記事

 もう一つ、右派にとって不吉な動きは、ブッシュ政権がイランに対して宥和的な政策をとり始めたことだった。ブッシュ政権は5月末、イスラム革命でイランのアメリカ大使館人質事件が起きて以来27年間続けてきたイランとの交渉拒否を解除し、EU(英独仏)とロシア、中国が行っているイランとの外交交渉に参加する方針に転換した。アメリカは「イランが先にウラン濃縮を中止しない限り、交渉妥結には応じない」という消極姿勢をとっていたが、少なくともアメリカはイランを軍事攻撃する懸念は減り、EUや中露が主導し、消極的なアメリカを引っ張っていく形で、イランとの和解が進む可能性があった。

 強いイスラエル敵視の姿勢をとるアハマディネジャド政権のイランが国際社会から容認されることは、イスラエルにとって悪夢だった。イスラエルの中でも、撤退戦略のオルメルトは現実的で、今年3月以来、イランを非難しない方針をとり、イランが国際的に容認された場合に備えていた。しかし右派にとっては、イランの台頭は、何としても防がねばならないことだった。(関連記事

▼第1クーデター:海水浴客への誤射

 6月12日、オルメルトは、西岸からの撤退計画をEU諸国に承認してもらうため、イギリスを皮切りに欧州を訪問する外遊に出たが、この時を狙うかのように、右派の「クーデター」が始まった。その2日前、ガザ北部でイスラエル軍が発射した砲弾が、家族連れのパレスチナ人の海水浴客がおおぜいいる海岸に着弾し、子供や女性ら8人が死亡した。(関連記事

 イスラエル政府は当初、軍が間違った方向に砲弾を発射し、無関係な海水浴客を殺してしまったことを認めていた。だがその後、ペレツ国防大臣は「内部調査の結果、イスラエル軍の砲弾はパレスチナ人に当たっていないことが分かった。海水浴客の死は砲弾を受けたからではなく、砂浜に埋まっていた昔の爆弾が爆発したためであり、イスラエル軍は関係ない」と発表した。(関連記事その1その2

 この発表は、ガザに来ていたアメリカ人の元国防総省の軍事専門家によって、すぐに否定された。当初からイスラエル軍の調査を疑っていたパレスチナ側は、アメリカ人の専門家に調査を依頼しており「あらゆる証拠から、イスラエル軍の砲弾がパレスチナ人を殺したことは間違いない」という結論が発表された。(関連記事

 アメリカの人権団体も「イスラエル軍の調査は信用できない」と発表した。これらのアメリカ側からの動きを受け、イスラエル軍は、調査の一部に間違いがあることを認めた。だが、事件の責任が自分たちにあることは認めなかった。(関連記事その1その2

 この事件でパレスチナ側は激怒し、ハマスの軍事部門は、昨年のイスラエル側のガザ撤退から続けていた停戦を破棄すると宣言し、イスラエル側に向けて砲弾を発射するなどの攻撃を開始した。イスラエルのガザ撤退の前提になっていた停戦状態は失われた。

 首相のオルメルトと、国防相のペレツ(労働党・左翼)は、いずれも占領地からの撤退を推進してきたが、軍隊での勤務経験が短く、軍内の政治力学について深く把握していなかった。ペレツ国防相は6月後半、事態が急速に悪化していく中で、何度も「この仕事は私にはとても難しい」と、苦境を認める発言を繰り返していた。(関連記事

 海水浴客に対する誤射事件が起きた後、軍内の右派が、調査の結果を歪曲して報告したとき、ペレツもオルメルトも、それが右派による「引っかけ」であることに気づかず「事件はイスラエル軍と無関係だ」と宣言し、パレスチナ側を怒らせ、停戦を壊してしまった。軍人出身のシャロン前首相が倒れずに元気で首相を続けていたら、軍内右派の策謀を見抜いただろうが、歴史はそのようには展開しなかった。

▼クーデター第2弾:ガザ攻撃

 海水浴客の殺害を機に、ハマスがガザからイスラエル側へのロケット砲撃を再開するとともに、イスラエル政界内では、撤退戦略を続行しようとするオルメルト政権への、与党内や右派野党リクードからの非難が強くなった。6月24日には、右派のネタニヤフ・リクード党首が「砲撃してくるハマスを叩くため、イスラエル軍は(昨夏の撤退以来やめている)ガザへの進軍を再開すべきだ」と主張した。オルメルト政権側は「進軍したら、当初は数週間のつもりでも、すぐに長期化し、何年も駐留を続けることになりかねない。それでは、何のためにガザ撤退をやったのか分からなくなる」として拒否した。(関連記事

 しかし、この拒否は1日しかもたなかった。翌6月25日、イスラエル軍内の右派によるクーデターの第2弾が行われたからである。この日、ガザ南部のイスラエル側との境界地帯で、パレスチナ側のゲリラが、ガザ側から秘密裏に作ったトンネルを通ってイスラエル側の軍基地に攻撃を仕掛け、戦闘の末、双方に死者が出るとともに、イスラエル軍兵士1人が捕虜になり、ガザ側に連れ去られた。イスラエル兵がパレスチナ側の捕虜になるのは10数年ぶりで、事態は一気に緊迫した。(関連記事

 軍内や政界内の右派は、ガザへの再侵攻を強く主張し、それに押されるかたちで、オルメルト首相は再侵攻を決定し、戦車部隊がガザに入った。同時に、イスラエル軍はガザの発電所や幹線道路、パレスチナ自治政府の役所などを爆撃で破壊し、ガザの市民生活を麻痺状態に陥らせた。さらにイスラエル軍は6月28日、パレスチナ議会のハマス系の議員20人と、自治政府の閣僚の3分の1を逮捕して軍の監獄に入れ、自治政府を機能停止状態にしてしまった。(関連記事その1その2

 オルメルトは、電撃的な厳しい措置をとってハマスに強い圧力をかけ、捕虜を解放させようとしたのかもしれないが、その意に反して、ハマスは態度を硬化させるだけだった。オルメルトが軍に許した行動は、パレスチナ人の怒りを扇動しつつ、政治家を拉致して政治交渉を不可能にすることで、敵対をできるだけ長く維持して戦争状態を続けるという、右派の戦略そのものであった。

▼無視された諜報機関の警告

 パレスチナ人の中には、イスラエル軍に逮捕された経験を持つ人が多いが、逮捕された人の中には、イスラエル側のスパイになることを条件に、早期に釈放される者がいる。イスラエル軍は、パレスチナ人の中にスパイをたくさん抱えていることになる。このスパイネットワークを使えば、捕虜になったイスラエル兵がガザのどこに拘束されているが、ほぼ見当がつくはずである。それなのにイスラエル軍は、捕虜兵士がどこにいるか分からないと言い続け、発電所空爆などを激化し、不必要にパレスチナ人を怒らせた。

 イスラエルのスパイは、ハマスやファタハの中にも潜んでいるだろうから、イスラエル軍は6月25日のハマスの攻撃も予期していた可能性が高い。ゲリラがガザからイスラエル側に秘密のトンネルを掘っている兆候は前からあり、イスラエル政府の諜報機関である「シンベト」は、トンネルを通ってゲリラが攻撃を仕掛けてくる懸念があると軍に伝えていたのに、軍の側は無視したと報じられている(イスラエルの諜報機関は、国外担当が「モサド」、占領地を含む国内担当が「シンベト」)。(関連記事

 イスラエル軍は、ゲリラ攻撃をわざと防がず、反撃する口実を作った疑いがあるが、これはアメリカ国防総省が、911のテロをわざと防がなかったのと同種の作戦である。911が、国防総省がブッシュ政権を牛耳るクーデターとして機能したのと同様、イスラエル軍は、兵士拉致事件を誘発することで、オルメルト政権を牛耳ったと見ることができる。

 6月25日の兵士拉致事件が起きた経緯については、イスラエル政界内からも疑問が出されており、イスラエル軍は内部調査を開始したが、軍はシンベトがこの調査に参加することを拒否した。軍が右派的な好戦的戦略を好むのに対し、シンベトは現実的な戦略を好み、意見が対立している。(さらに、軍内にも、右派と現実派の対立がある)(関連記事

 両者の関係はちょうど、アメリカの軍(国防総省)が好戦的な右派であるのに対し、諜報機関のCIAは現実派であることと同期している。歴史的に、シンベトとCIAは関係が深く、アメリカとイスラエルの軍どうしも関係が深い。イスラエルの右派と現実派(撤退派)との対立は、アメリカの右派(ネオコン)と現実派(中道派)との対立を投影したものになっている。

▼クーデター第3弾:レバノン攻撃

 こうして、現実派だったはずのオルメルト政権は、軍に引きずられて右派好みの作戦を展開するようになったが、この流れの中で、右派によるクーデターの第3弾が起きた。7月12日のレバノンのヒズボラによるイスラエル兵の拉致事件と、それを受けたイスラエル軍のレバノン大攻撃である。

 レバノンでの7月12日からのヒズボラとイスラエルの戦いは、ガザでの6月25日からのハマスとイスラエルの戦いと、パターンがそっくり同じである。イスラエル側は、周到に準備されたゲリラ側の攻撃を予知していたと思われるのに、あえて事前の防備を十分に行わず、ゲリラがイスラエル兵を拉致すると、反撃と称して過度な攻撃を敵方に加え、ガザの発電所や幹線道路を爆撃したのと同様、レバノンの発電所や幹線道路を爆撃し、不必要に一般市民を苦しめ、イスラエルに対する憎悪をかき立てた。(関連記事

 3段階の軍のクーデター的行為によって、イスラエルの右派は、オルメルトの撤退戦略を潰すことに成功した。パレスチナ人を含む中東全域の人々の反イスラエル感情は大いに高まり、イスラエルが占領地から撤退することで安定した中東が生まれる可能性は大幅に減り、イスラエルが撤退した場合、アラブの過激派が強くなってイスラエルを潰しにかかる可能性かが強まった。(関連記事

 イスラエルの右派は、撤退戦略を潰すとともに、アメリカの軍事力を使って、最大の反イスラエル勢力であるイランの政権転覆を何とか実現すべく、レバノンとの戦争に入ったのではないかと思われる。イスラエルはレバノンを攻撃しつつ「最大の敵は、ヒズボラの背後にいるイランとシリアである」という主張を続けている。

 イスラエルは、在米のイスラエル系政治圧力団体を使って、アメリカで選挙が行われるたびに強力な影響力を行使し続けており、アメリカの政治家は今やほとんど誰もイスラエルに楯突くことができない。イスラエルがイランとの戦争に入ったら、アメリカはイスラエルの味方をせざるを得ず、イランとの戦争に巻き込まれることになる。

 アメリカをイランと戦争させるには、ブッシュ政権がイランに対して宥和策を本格的に採るようになってからでは遅い。だから、ブッシュ政権がイランとの外交交渉に出席する方針を見せたときから、イスラエルでは、右派によるクーデター的な戦争激化作戦が始まったのだろう。

 ブッシュ政権は今のところ、イスラエルの戦略に乗せられないよう、イスラエルとレバノンを停戦させようとする国連の動きに対して消極的な態度をとっており、停戦の努力は、イギリスのブレア首相などEU諸国が行っている。この状況がいつまで続くのか、イスラエルの作戦が成功し、イランやシリアとの戦争が起きるのか。それらのことについては、事態が流動的なので、動きを見ながら、続報を書いていくことにする。(関連記事



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